第六章 3
「それにお披露目のパーティーの帰り際、あなたは『下がっていろクライド』とおっしゃいましたよね? どうしてあなたが、私の専属護衛の名前を知っていたのですか?」
「それは……前にここに来た時にたまたま見かけて……」
「クライドにはここに来てすぐ、別棟にある従者用の客室へ向かわせました。翌朝騒ぎになった時も各々の名前を知る機会はありません。つまりあなたは元々、クライドのことを知っていたのではないのですか?」
クライドがあからさまに視線をそらしたのと同時に、ランバートが「ふざけるな!」と真っ赤になって怒鳴った。
「知っていたからなんだというんだ! 何か問題でもあるのか⁉」
「端的に申し上げますと、私はあなたがクライドをスパイとして利用していた、と考えております。おそらく、馬車を壊して事故を起こさせろと命令したのはあなたですよね?」
「……っ!」
「クライドは命令に従い、馬車に傷をつけた。その後私が乗って事故が起き、本当の原因を勘違いしたままあなたに結果を報告した。あなたはそれを覚えていて、つい口にしてしまった」
「違う! オレは関係ない! オレは――」
明らかな動揺を見せるランバートを見つつ、アイリーンはなおも話を続ける。
「……これが最後の質問です。実は先日のお披露目パーティーの帰り、私たちが乗っていた馬車が壊れました。おかげでふたりとも森の奥深くに投げ出され――まあそれはいいのですが。のちのち調べたところ、底面の一部にノコギリを入れたような跡が見つかりました」
「そんなもの知らん! どうせクライドかエレナがしたんだろ!」
「私も最初は同じように警戒していて、クライドは常に私の目の届くところに置いていました。エレナにはメイドのサリアを監視に付けていましたが、停めていた馬車に近づいたことは一度としてなかったと」
ちらりと壁際で待機していたサリアを見る。アイリーンの視線に気づいた彼女が小さくお辞儀する一方、追い詰められたランバートがいよいよ声を荒げた。
「オレがしたというのなら証拠はあるのか? 馬車に細工をしたという証拠は!」
「……お金持ちのあなたは分からないのかもしれませんが、本来ノコギリというのはとても高価な道具なのです。素人でも手入れが出来る斧とは違い、鍛冶師によってあの細かい歯をたびたび整えておかなければならない」
「それは……」
「レクス様にお願いして、壊れた馬車の部品はそのままにしてもらっています。ノコギリで切った断面というのは刃の角度などで微妙な違いが出るそうなので、オブライエン家で所有しているものを調べれば、同じものがあるかすぐに分かるでしょう」
あと少しだ、とアイリーンは覚悟を決める。
「あなたはクライドをスパイとして潜り込ませ、近況を常に報告させていた。そして馬車での事故を起こさせようとしたものの、私が代わりに被害に遭ってしまい、彼が自由に動けなくなってしまった。焦燥したあなたは仕方なく、自らの手で始末しようと試みたんです」
「だから違うと言っているだろ! だいたいどうしてオレが、こんな格下の男を――」
「理由は『ヴァンフリート領』ですよね」
アイリーンの言葉に、ランバートが小さく息を呑んだ。
「ヴァンフリート領は元々あなたが管理していた土地だった。だからレクス様に下賜されたあの場所を一刻も早く取り返したかった」
「それは……だってそいつがオレから奪ったから……」
「それだけじゃない。あなたはとにかく私たちをあの土地から追い出したかった――あの場所で、自分たちがしていた行いを知られないために」
わずかに生じた疑問の空気。一方ランバートは硬直し、続く言葉を見失っている。そんな彼を前に、アイリーンは実に美しい所作でソファから立ち上がった。
「ランバート様、今日の私のドレス、何色に見えますか?」
「何色って……赤だろ、前にも着てた……」
「そう。半年前にお会いした時もあなたは『こんな派手なドレスと髪』と私を見ておっしゃいました。でもあの時私は派手とは程遠い、とても地味な黒いドレスを着ていたんです」
「……っ!」
途端にランバートの顔色が変わり、真実かを確かめるようにエレナの方を見る。彼女がおずおずと頷いたのを確認し、絶望的な顔になった。
「この違和感に気づいたのは、王都である男から話しかけられた時でした。その男は私を見て『目が焼けそうなくらい真っ赤だ』と称したのです。その時の私は誰が見ても分かる、黒色のドレスをまとっていたというのに」
「見間違えただけだ、そんなもの――」
「その男は危険だとされる麻薬――ラムリザの中毒者でした。調べたところによると、ラムリザの副作用には香水に似た甘い体臭と目に障害が出るそうですね。ちょうどあなたのように」
いつの間にか、ランバートの額には玉のような汗が浮かんでいた。むわりとしたその甘い匂いを感じながら、アイリーンは静かに目を細める。
「あなたは以前、ヴァンフリート領にたくさんの友人たちを招いていたそうですね。たしか森に入って狩りをするためだとか」
「…………」
「でも夏ならまだしも、獲物がいない冬にまで毎日のように招待する理由があるでしょうか? そもそも、狩猟の遊び場にされていたとは思えないほど森は綺麗な状態でしたし」
もう少し、もう少しだ。
アイリーンは声が震えないよう注意深く息を吐き出す。
「これは私の推測ですが……あなたはヴァンフリート領で友人たちと麻薬を楽しんでいたのではないでしょうか? 自分が管理する領地であれば、多少の犯罪行為は隠すことが出来る……。でもいきなりその場所を取り上げられ、あなたは焦った――」
不自然に壊されていた庭の温室。そして森の奥にあった植物の灰を思い出す。
「おそらく庭の温室で、麻薬のもととなる植物を栽培していたのでしょう。しかしレクス様が新しい領主としてあの邸を使うことが決定し、あなたは急いで焼却処分した――人目を避けた森の中で、こっそりとね」
二年前に森に出たという幽霊の正体。それはきっとランバートたちが証拠を隠滅するため、夜な夜な麻薬を運び込んでは燃やしていた時のものだろう。その後温室の窓ガラスも破壊し、出来るだけ人を近づけさせないようにした。
「クライドから情報を流させていたとはいえ、あなたは気が気でなかったでしょうね。何か処分し損ねたものがあるかもしれない、痕跡が残っているかもしれない――だからあなたは一刻も早くあの領地を取り戻したかった。どんな手を使ってでもね」
使用人をすべて引き上げさせたり、村の大切な柵を壊したりして、レクスが自らこの土地を手放すように仕向けた。だが彼はいっこうに諦めようとはせず――焦ったランバートはクライドに命じ、事故に見せかけてレクスを亡き者にしようとしたのだ。
「私が記憶喪失になった事故、そしてパーティーの帰りに起きた事故……そのどちらもがあなたが企てたものだったのです」
「違う、違うッ……オレは悪くない、オレは――」
心配そうにエレナが見上げるのをよそに、ランバートは突然「うわあああ」と頭を掻きむしり始めた。ぼさぼさになった髪で息を荒げたかと思うと、正面にいたアイリーンを睨みつける。
その出で立ちはさながら、木の根まで追い詰められたネズミのようだった。
「そもそもお前がっ! このオレに、偉そうな口をきくから……ッ‼」
そう叫ぶとランバートは自身の上着から小型のナイフを取り出した。半狂乱の状態でアイリーンに向かってそれを突き出す。
「お前が領地経営だとか、領民のことを考えろだとか、親父みたいなことを言うから! 女はエレナみたいに馬鹿でいりゃいいんだよ‼ お前さえいなければ、お前さえ――」
「――!」
凶刃がアイリーンの鼻先へと迫る。
だが隣にいたレクスがすぐさま立ち上がり、目にも止まらぬ速さでランバートの手首を掴んだ。同時にアイリーンは鞄から取り出したアクスタをランバートの首筋にぐっと押し当てる。冷たさから刃物だと勘違いしたのか、ランバートの顔が一瞬でこわばった。
「――⁉」
「まさかまだ私が、反撃も出来ないような女だと思っていたのですか?」
真っ赤に引いた口紅が、美しい笑みの形になる。
アイリーンの――それはそれは妖艶な『悪女』の微笑みを前に、ランバートはみるみる蒼白になっていった。手にしていたナイフを取り落とすと、そのままがくりと床へ座り込む。
その醜態を見て、アイリーンはどこか楽しそうに言い添えた。
「ちなみにこのことはすべて、あなたのお父様に伝えておりますわ。どのような反応をなさるか、楽しみにしておいてくださいね――ランバート様?」
「やめろ、やめてくれ……!」
「私、あなたには感謝しているんですのよ? あなたと結婚すると思っていたおかげで、私は領地経営に関わる色々なことを勉強出来たんですもの。この力は今後、レクス様とヴァンフリート領のために精いっぱい使わせていただきますわ」
やがてノックの音が響き、ランバートの従者らしき男が飛び込んでくる。
「失礼いたします! ランバート様、お父上が大至急本家に戻るようにと――」
うわあああ、というランバートの絶叫をよそに、アイリーンはレクスとサリア、テオ、そしてクライドを連れて退室しようとする。だが扉のところでピタリと足を止めると、呆然としているエレナと両親の方を振り返った。
「お父様、お母様、今までありがとうございました。お約束通り、もう二度とこの家には戻りませんわ。ですのでそちらからも連絡はよこさないでくださいね」
「ア、アイリーン……待て、もう一度話を――」
「それからエレナ」
「……?」
「ありがとね、散々私をいじめてくれて。おかげで私は誰にも負けない、強い心を手に入れることが出来た。人はみんな優しいと信じ込んで、大切な場面で戦えもしない私のままだったら、きっと今の幸せは得られなかったから」
過去に誰かから付けられた傷痕は、きっと一生消えることはないのだろう。
だがこのたくさんの傷が今のアイリーンを形作っている。心の中に生まれた『悪女』は、アイリーンが必死に戦ってきた証なのだ。
「さようなら――可愛かったエレナ」
ほんの少しの愛おしさを込めて、アイリーンは妹に最後の別れを告げたのだった。
玄関を出たところで、アイリーンはすぐさまレクスに礼を言った。
「レクス様、ありがとうございました。おかげで気持ちがすっきりしましたわ」
「あなたがどうしてもと言うから、出来るだけ口は挟まなかったが……ランバートがナイフを持ち出した時は心臓が止まるかと思ったぞ」
「あれは確かにびっくりしましたわね」
ふふっと軽く笑ったあと、アイリーンはテオの方を振り返った。
「テオも、長い間潜入してくれてありがとう。おかげでしっかりした証拠を掴めたわ」
「まったく……そういう事情があるなら先に言っておいてくださいよ」
「ごめんなさい。それにしても、テオは難しい説明がすごく上手いのね。どこかで勉強していたのかしら?」
アイリーンに指摘され、テオは「はは」と視線を斜め上に向けた。
「ま、色々とあるんです」
「……?」
ともあれ過去の糾弾を無事に終え、アイリーンは晴れやかな顔で大きく伸びをする。
するといちばん後ろにいたクライドが「あの!」と突然声を上げた。振り返った一同を前に勢いよく頭を下げる。
「本当に……本当にすみませんでした」
「……クライド」
「おっしゃる通りわたしは、ランバート様にレクス様の情報を漏らしていました……。馬車に細工をしたのもわたしです。この罰はいかなるものでも受けます。おふたりの信用を裏切るような真似をしてしまい、わたし、わたしは……」
「…………」
クライドの肩が小さく震えていることに気づき、アイリーンはそっと彼に近づいた。
「実は、あなたのことについてもう少しだけ調べさせてもらったの」
「……?」
「あなた……病気の妹さんがいるのね。今は王都の病院に入院していて、毎月相当な金額の治療費がかかっていると。もしかしたら……その入院の許可やかかったお金をランバートから融通してもらっていたのではなくて?」
返事がないところを見ると、どうやら当たりなのだろう。アイリーンは「ふう」と肩を落とすと、クライドに向かって手を差し出した。
「あなたがしたことは到底許されることではありません。ですが、あなたが車輪に付けたという傷はとても小さく、何度もためらったような乱れがあったと聞いています。本当はしたくなかったんじゃないのかしら?」
「……そんなものは後からどうとでも言えます。自分は間違いなくおふたりを裏切りました。どうかしかるべき罰を与えてください」
(うーん……)
アイリーンは困り果て、ちらりと隣にいたレクスを見る。彼はすぐその視線に気づき、クライドに向かって淡々と告げた。
「クライド。お前に三か月の謹慎を命じる」
「……はい」
「ヴァンフリート邸への出入りは特別な用件がない限り禁止とする。その代わり、妹御が入院している病院へ毎日出向くこと。病院の保証人はランバートから俺に変更しているから、何も心配しなくていい」
「レクス様? それは……」
話に違和感を覚え始めたのか、クライドが困惑したように顔を上げる。それを見てレクスは優しく微笑んだ。
「なお謹慎中の三か月分の給与は一括で支払う。謹慎期間を終えて、再度うちで働きたいと思うのであれば――その時は俺に言ってきてほしい」
「すみません……ありがとう……ありがとうございます……!」
クライドの目からついに涙が零れ、足元の地面を色濃く濡らす。
アイリーンはレクスと視線をかわすと、ようやくいつものように笑うのだった。




