第六章 2
(結局この人たちって、自分たちのことしか考えていなかったのよね……)
彼らがアイリーンの話をもっと真摯に聞いてくれていれば、メイドたちの違和感に気づいていたら、きっとこんな大ごとにはならなかった。悪いけど自業自得ね――とアイリーンが視線を戻すと、正面にいたランバートと目が合う。
「なるほどな。わざわざオレを呼びつけたのはこれを伝えるためだったのか」
「ええ、まあ」
「あやうく、とんだあばずれを我がオブライエン家に招き入れるところだった。礼を言う」
にたり、とランバートが歯を覗かせ、彼のもとから香水に似た甘い香りが広がる。その表情を見てアイリーンはまたも静かに微笑んだ。
「それは良かったですわ。ただ、まだお話は終わっておりませんの」
「何?」
「実は――私が記憶喪失になった事故について、お話ししたいことがございます」
「事故って……あれだろ、馬車の車輪が古くなっていて折れたっていう」
ランバートのその言葉を聞き、アイリーンが恍惚にも近い笑みを浮かべた。
「実はよく調べたところ、あれば単なる事故ではなく、何者かによって故意に引き起こされたものだと判明したのです」
「まさか――」
脇にいた父親が信じられない、とばかりにエレナの方を見る。
「まさかお前……馬車に細工を……?」
「ち、違います‼ わたし、そんなこと――」
この部屋を訪れた当初は仲睦まじく見えたのに、彼女の素行を知った全員がまるで汚物を見るような目でエレナを睥睨する。そんな醜いやり取りを見ながら、アイリーンは呆れたように「はあ」と両肩をすくめた。
「あいにく、エレナは無実ですわ」
「なに……?」
目をしばたたかせる両親を前に、レクスがアイリーンに代わって続きを引き受ける。
「事故に遭った馬車を調べた結果、車輪の部分に何かを重たいものを叩きつけたような跡があった。馭者に聞いたところ、アイリーンが事故に遭う一週間前に点検した時はそのような傷はなかったそうだ」
「そして点検から事故の日まで、領内に外部の人間が訪れたという情報はない。つまり馬車に細工した人間は、普段から領地にいる人間――」
アイリーンは「ふう」と慎重に息を吐き出すと、その冷徹な眼差しを壁際に立っていた自身の護衛――クライドへと向けた。
「クライド。犯人はあなたね」
「――っ‼」
指摘された途端、クライドの表情が一気に強張った。それで確信を深めたのか、アイリーンはその根拠を説明する。
「あなたは馬車が壊れたことについて『車輪が劣化していて』と言っていたわよね。でも実際は馭者席の取り付け部分の経年劣化によるもので、車輪は事故の原因ではなかった」
「…………」
「おそらくあなたは、自分が細工した馬車で私が事故に遭ったという情報を聞いて、原因をそれだと思い込んでしまったのね。だから事実と話が食い違うことになった。……どうして馬車に細工なんかしたのかしら?」
「それは……」
クライドは下唇を噛みしめたまま、怯え切った顔でガタガタと震えている。それを見てランバートが「はっ」と鼻で笑った。
「そんなの聞かなくても分かるだろ。個人的にお前に恨みがあったかもしくは――エレナの差し金って可能性もあるな?」
「ラ、ランバート様⁉」
「家を出たあともアイリーンを見張るため、スパイとしてこいつを送り込んだ。でこいつはエレナからの命令に従い、お前を亡き者にするため馬車での事故を誘発させた――どうだ。名推理だろう?」
「だからわたし、そんなことしてな――」
得意げに語るランバートを前に、アイリーンは両手でゆっくりと拍手する。
「まるで小説に出てくる探偵のようですわ。ただ……残念ながらクライドはエレナのスパイではありません。だってもしスパイだったら、テオをこの邸に送り込んだことをいちばんにエレナに密告するでしょうからね」
(そう、だからわざわざ使用人たち全員の前で話をした――)
レベッカが講師役を終え、ヴァンフリート邸を去った日のことを思い出す。
あの時アイリーンはレベッカに『こちらの使用人をひとり、そちらに潜り込ませたい』と交渉していた。それはもちろんエレナの暴虐の証拠を掴みたいという目的だったが、もう一つ――自身の周辺にスパイが入り込んでいないかを確かめるためでもあったのだ。
(一人一人確かめるには時間がかかる。だからあたりをつけようとした……)
だが結果として、エレナはテオの潜入に気づかないままだった。
つまりあの場で話を聞いていた面々――クライドもまたエレナの手先ではないと分かる。『周りの人間を信用するな』というメモは、エレナから離れたあとも油断するなという戒めの意味で書いたものだったのだ。
(まあそれが結局、こうして真実を突き止める鍵となったのだけどね……)
自身の名推理に水を差されたのが面白くなかったのか、ランバートは両腕を組み、どさりとソファの背もたれにもたれかかった。
「だとしたら個人的な恨みか。……まさかお前、アイリーンに横恋慕して心中を図ろうと」
「それも違いますわ。そもそも『前提』が違うのです」
「……前提?」
「私も最初は、エレナの嫌がらせではないかと考えました。ですがクライドとエレナには繋がりがない。そこで考えたのです。もしかしたら本当は――狙っていた相手が違ったのではないかと」
クライドの表情がいっそう険しくなる。アイリーンはそれを確認したあと、ランバートに視線を向けた。
「私が事故にあったのは、以前からレクス様が王都に出ると予定していた日でした。ですが直前に馬車ではなく、馬での移動に変更したのです」
「…………」
「本来ならばそれで終わりだったのですが……あの頃めったに外出しなかった私が突然、レクス様を追ってほしいと急ぎで馬車を出させた。その馬車には細工がなされていて、しかしながら違う原因で事故が起きた――」
「ああもうまどろっこしい、結論はなんだ!」
苛立つランバートを前に、アイリーンは余裕たっぷりに微笑んだ。
「つまり私が事故に遭ったのはただの『偶然』だった。元々の狙いは、あの日馬車を使うはずだったレクス様の方なのです」
そうだ、とアイリーンは心の中だけで再度思考を整理する。
記憶を失くしてすぐにこの邸を訪れた際、去り際にエレナから言われた『そのまま、事故でいなくなってくれたらよかったのに』という言葉がずっと引っかかっていた。
だからあの事故は偶然ではなく、誰かから作為的に起こされたものではないかと疑っていたのだが――実際は狙った相手が違っていたのだ。
「クライドはレクス様が馬車を使うと知り、あらかじめ車輪に傷をつけていた。でも実際に乗ったのは私で、さらに車輪ではなく別の場所が壊れてしまった――これが事件の顛末です」
どうやら間違いはないのだろう。クライドは何も反論することなく、ただ目を瞑ってその場に立ち尽くしていた。それを見たアイリーンは一呼吸置き、クライドに向かって小さく「ごめんなさい」と謝罪する。
「悪いけれど、少し調べさせてもらったわ。あなたはサビニスの出身で、私の専属護衛として一年前からレクス様に雇用されている。でもサビニスといえば『騎士の国』とも称される武人の国。あなたほどの技量があれば、国内でも十分仕事があるはずだわ。それなのにどうしてわざわざ他国まで来て働いているのか――」
「…………」
「……あなたのお父様、咎人の烙印を受けているのね」
クライドは押し黙ったままだ。そんな彼に向けて、アイリーンは静かに続ける。
「サビニスでは罪人が出た家は、軍神サダマンティスの加護を失うと言われている。故郷にいられなくなったあなたは新しい生活の場を求めて、わざわざ隣国であるここアルトニスまでやって来たんだわ」
「……はい。アイリーン様のおっしゃる通りです」
このような場で暴露してしまったことを申し訳なく思いつつ、アイリーンはそっと目を伏せる。一方ランバートは「やれやれ」と大げさに首を振った。
「とんでもない護衛だな。助けてもらった主君を殺そうとするとは」
「本当にそうですわね。ただ――本当にこれをクライドがひとりで考えて実行したと、そうお考えになりますこと?」
「……何が言いたい?」
「そもそもクライドがレクス様を殺害しても、そこに何も得はありません。つまり彼は『誰かから命令されて実行した』という可能性が高い」
さあ、もうすぐだ。
紫色の瞳の大鷲が、最後の敵に狙いを定める。
「……少し確認したいのですけども、先ほどランバート様は私の事故について『馬車の車輪が古くなっていた』とおっしゃいましたよね?」
「…………」
「でも先ほど申し上げた通り、事故の原因は車輪ではなく馭者席の方だった――そのお話、どこでお聞きになったのかしら?」
クライドに向けられていた眼差しが、いっせいにランバートの方へと移動する。
「ど、どこでって前に……エレナから決まってるだろ!」
「あら、それはおかしいですわね。だって私はこの邸の人間には誰ひとり『馬車の』事故で記憶を失ったとは言っていませんのに」
「何……?」
最初に会った父親には『事故のせいで』とだけ説明した。母親、レベッカにも詳細は伝えていないし、翌日戻ってきたエレナにも当然言うタイミングはない。途端に口数が少なくなったランバートに、アイリーンがさらに畳みかける。




