第六章 悪女、ついに反撃する
その日、アイリーンとレクスはエヴァソール邸を訪れていた。
真っ赤なドレスを身にまとい、完璧な化粧な化粧を施したアイリーンはさながら戦場に向かう戦士のようだ。持っている鞄にはお守り代わりのレクスのアクスタが入っており、アイリーンはレクス、そしてサリアとクライドのふたりを伴って廊下を歩いていく。
「ようこそお越しくださいました」
「…………」
メイド長のレベッカに扉を開けさせて応接室に入る。
部屋の中央にはコの字型に置かれたソファがあり、手前のソファを空ける形でアイリーンの両親、妹のエレナ、その婚約者であるランバート・オブライエンが座っていた。あからさまな敵意を向けるその集団を前にアイリーンは笑顔で挨拶する。
「本日は、お時間を作ってくださりありがとうございます」
「……別にお前のためではない。そこのヴァンフリート男爵の頼みだから聞いてやっただけだ。そもそも先日はエレナがどうしてもというから招待してやったが、本来お前はこの家を訪れる資格のない人間なんだぞ。まったく……」
ぶつぶつとぼやく父親にもじいっと睨みつけてくる母親にも動じず、アイリーンは変わらずにこにこと笑みを浮かべる。レクスとともに残されたソファに腰かけたところで、彼らに向けてこともなげに話し始めた。
「実は私、記憶が戻りましたの」
「……何?」
「ようやく思い出しましたの。私が昔この家で、どんな扱いを受けていたのか」
エレナの自作自演によるいじめ。両親も聞く耳を持たなかったこと。そのせいで自分は感情を抑圧するようになり、生来の明るい性格が失われてしまった――。
「もう十年も前のことですし、何を今さらと思われても仕方がありません。でも、小さかった私の心は間違いなく傷ついていた。だから今ここで、謝罪していただきたいのです」
「謝罪って……」
「もちろん謝られたとて、許すつもりはこれっぽっちもありません。ですが言葉にすることで、自分たちがどんな愚かな行為をしていたのか自覚していただきたいの」
アイリーンの微笑みが、何かを狙い定めるような鋭い目つきに変わる。それはまるで捕食者である大鷲がネズミを狙っているかのような得も言われぬ迫力があり、両親は思わず息を呑んだ。
だがアイリーンの向かいにいたエレナが「ふふっ」と可愛らしく笑う。
「わざわざ呼びつけて何を言い出すかと思えば……全部お姉様の妄想でしょう? だいたい、わたしがやったっていう証拠はあるのかしら?」
「……ないわ。何しろ昔の話だし」
「じゃあ、謝る必要なんてないですよね? むしろお姉様がわたしをいじめてたって覚えている人はたくさんいるのよ? ねえ、ランバート様もご存じよね」
「ああ。だからオレはこいつとの婚約を破棄したんだ。妹をいじめるようなクズは、我がオブライエン家にふさわしくないからな!」
「…………」
にやにやと見下してくるエレナたちを前に、アイリーンは「ふう」と小さく息を吐き出した。気づいたレクスが目配せしてくるが、「大丈夫です」とばかりに口角を上げる。
「そうですか。では謝罪するつもりはないということですね」
「だーかーらー! そもそもしてないことは謝れないでしょってハナシ」
「ここで謝ってくれていたら、少しは手心を加えようと思っていましたが……どうやらその必要はなさそうですわね」
アイリーンの内側にぶわっと青い炎が燃え上がる。
冷静で冷酷な『悪女』の自分よ――今こそ演じるのだ。全力で戦え!
「それでは話題を変えましょう。エレナ、あなたは今、自分付きのメイドをいじめているそうですね」
「……は?」
「彼女たちから証言がありました。あなたがお父様たちから見えないところで、彼女たちにひどいことをしていると」
いきなり話が変わり、エレナは気色ばんでこちらを見る。
「さっきからいじめいじめって、だからしょーこはあるの? わたしがしたって証拠は!」
「……そうね、これでも見たら満足かしら?」
そう言うとアイリーンは鞄から分厚い紙の束を取り出した。エレナがそれをむしり取るようにして奪う――やがて眉間に深く皺を寄せた。
「なによ……これ……」
「あなたからされたいじめ――いえ、そんな言葉では生ぬるいわね。言葉による精神的な暴力、物を投げつけたことによる傷害、恫喝、強要……いつどこでそれをされたかという、メイドたちによる陳述書です。それぞれ直筆の署名も入っています」
「こんな……こんなのでたらめよ! だいたいどうやってお姉様がこんなものを集められるというの⁉ ――まさか」
激昂したエレナは、部屋の隅に待機していたレベッカをぎろりと睨みつけた。
「アンタが何か余計なことを言ったのね? 昔からあれこれと口うるさかったけど、まさか主人を裏切るような真似をするなんて――」
「レベッカの主人はあなたじゃないわ、勘違いしないことね。それに彼女は何も関係ない。これを集めたのは別の人間よ」
「別のって……」
「テオ、入っていらっしゃい」
アイリーンがそう呼びかけると、応接室の扉が開いてひとりの青年が入ってくる。
「なによ、そいつ……」
「やっぱり気づいていなかったのね。実はうちの使用人を半年ほど前からこちらの使用人として働かせていたの。まああなたは――というかお父様たちも、昔から邸の使用人が増えようが減ろうがどうでもいいって感じだったし」
「スパイってこと⁉ ……っ、お父様⁉」
エレナの視線が両親へと向く。だがこちらも使用人関係はレベッカら任せきりにしていたのだろう。分からないとばかりに必死に首を振っている。
やがてテオが「えーっと」とやや気まずそうに話し始めた。
「ここにある通り、エレナ様付きのメイドたちの何名かがあきらかな嫌がらせを受けています。これは雇用関係において、適切な状態であるとは到底言えません」
「…………」
「この書類以外にも暴行の現場を見た、話を聞いたという第三者の証言もあります。あまり例はありませんが使用人側が集団訴訟を起こした場合、雇用者としてなんらかの罰、または処分が下される可能性が高いでしょう」
すらすらとよどみなく説明するテオを前に、エレナの顔がついに怒りで赤く染まる。手にしていた書類を片っ端から破き捨てると、興奮した様子で叫んだ。
「勝手にすれば⁉ その代わり、こいつら全員クビにするから‼」
「エ、エレナ、ちょっと落ち着いて」
「裁判でもなんでもすればいいわ! でもそのあとどこかに雇ってもらえるなんて思わないことね。なにせわたしはもうすぐオブライエン家の人間になるのよ⁉ 社交界でぜーんぶ話して、こいつら全員路頭に迷わせてやるんだから‼」
父親が止めるのも虚しく、ビリ、バリ、と紙の繊維が破ける音が応接室に響く。それを聞いたアイリーンは「ふっ」と優雅に目を細めた。
「その必要はないわ。彼女たち、もう辞めているもの」
「はあっ⁉」
「エヴァソール家の使用人を辞め、あらたにヴァンフリート家の使用人として雇用する――彼女たちにはこの条件で書類を書いてもらったのよ。あなたが報復してくることを見越してね」
「雇用って……貧乏貴族のどこにそんな余裕が」
「あなたは知らないかもしれないけど、今うちは人手が足りなくて大変なのよ。ホテルが大盛況で元々いた使用人だけでは全然人数が足りないし、今度デュナン商会のガラス工房が出来る関係でお店や宿泊施設が増えているの。だから来てくれてすごく助かるわ」
にこっと微笑むアイリーンと、目を限界にまで見開いたエレナが対峙する。一触即発の空気のなか、テオが「あのー」と手を挙げた。
「実はまだありまして」
「まだって何よ⁉」
「実はエレナ様のお部屋の屑籠に、このような手紙が――」
テオがそれを取り出した途端、あんなに騒ぎ立てていたエレナが一気に青ざめた。テオは折りたたまれていた便箋を開くと、中に書かれていた文章をその場で読み上げる。
「『ああ愛しのエレナ。次に会えるのは――』」
「――っ‼」
その瞬間、目の前にあったテーブルを踏み越えてエレナがテオに向かって手を伸ばした。だがテオはあっさりと躱し、そのまま続きを読み続ける。
「『――また素敵な夜を楽しもう。ジェラルドより』。これ以外にも二、三、四、五……全部で六人ですかね。それぞれ違った男性からの熱いラブレターが届いておりました。いやあ、モテモテですね」
「アンタ……許さないわよ」
「わたしはただ、ゴミ焼き場でゴミを焼いていただけですよ。まあ大切な手紙だといけないと思ってわざわざ避けていたんですが……そこまで怒られるとは心外ですね」
いたずらが成功した子どものようにテオが薄く笑う。それを見たエレナが再度食ってかかろうとしたものの、ソファに座っていたランバートが「おい」と低い声で制した。
「ジェラルドってのは、ガルシア家のあいつか?」
「ち、違うんですランバート様、これは何かの間違いで……」
「おい、手紙をよこせ。筆跡を確認する」
何やら雲行きが怪しくなり、父親たちが慌てて会話に割って入った。
「お、落ち着いてくださいランバート様! まずはいったんわたしどもで確認させていただき、それからあらためてご説明を差し上げられればと――」
「黙れ! オレに指図するな‼」
無理やりにテオから手紙を奪い取り、ランバートがかつてないほど険しい顔つきでそれを凝視する。その様子を静かに眺めながら、アイリーンは心の中でほくそ笑んだ。
(元々はメイドたちから被害の証言を取るだけのつもりだったけど……まさかこんなにいい材料が出てくるとは思わなかったわ)
思い出したのは記憶を取り戻してからだが、エレナはパーティーのたびに多くの男性を侍らせていた。そのうえ「人の婚約者を奪った」という噂もあり、歳の近い令嬢たちから忌々しげに見ていたのを覚えている。
(でもまさか、婚約してからも関係を続けていたとはね……)
やがて精査が終わったのか、ランバートは持っていた便箋をテーブルに叩きつけた。そのまま冷たい目をエレナの父親に向ける。
「エヴァソール卿。月末に予定していた式だが……中止させてもらう」
「ちゅ、中止とは」
「まずは事実関係を確認する。このことはオレの父上にも報告し、事の次第によっては賠償金を請求する形となるだろう」
「そ、そんな……」
ランバートの容赦ない断罪に、父親は一気に二十歳ほど老け込んだかのように放心していた。母親もまた蒼白になって小刻みに震えている。伯爵家と繋がりを持てると思ったら、逆に多額の借金を抱えてしまった――そんな両親をアイリーンは冷めた目で見つめた。




