終章 2
「以前、ランバートたちを追及した際――それに似たものを鞄から出さなかったか?」
「え」
「絵柄はよく見えなかったが、良かったら俺にも見せてもらえないだろうか」
(ま、まずいですわ……)
慌ててドレスのポケットを押さえる。そこにはレクスのアクスタの硬い感触があり、アイリーンはだらだらと冷や汗をかいた。なんとかしてごまかせないかと彼の方を見るが、レクスは興味津々なのか『待て』をする大型犬よろしく目を輝かせている。
(ア゛~~ッ可愛すぎる~ッ‼)
眩しさに目がくらんだアイリーンは、レクスが描かれたアクスタをおずおずと本人に差し出した。
「こ、こちらに……なります……」
「……。これは……俺か?」
「は、はい……レクス様のアクスタで、その……大切に、させていただいて、おります……」
「…………」
まさか自分のアクスタが出てくるとは思わなかったのだろう。レクスは一瞬真顔になり、じわじわ赤くなったかと思えばすぐにみるみる青くなっていく。やがて『さすがに少し抵抗がある』という結論に達したのか、レクスはアクスタを自身の上着の内ポケットにすっとしまった。
「……没収する」
「なっ、なんでですの⁉」
「逆に聞くが、俺があなたのアクスタを持っていたら恥ずかしくないのか?」
「えっ、むしろ嬉しいですけども⁉」
「~~っ……!」
とにかく没収すると宣言され、レクスのアクスタは本人に連れ去られてしまった。ある程度覚悟していたことだが、あの場でどうやったら逃れられたというのか。
(レクス様のアクスタがぁ……)
かつての『悪女』はどこへやら、アイリーンはよよよと泣き崩れながら自分の部屋へと向かう。すると廊下を歩いていたところで、背後から「おくさまー!」とエマに呼び止められた。
「おくさま、これあげます!」
「これって……」
差し出されたそれを受け取った瞬間、アイリーンの目から涙が吹き飛んだ。
(これは……レクス様の新しいアクスタ……⁉)
以前より精巧に作られたガラス板に、アイリーンが贈った黒の外套を着たレクスが完璧な状態で描かれている。しかも前のよりちょっと大きい。
「エ、エマ、これ、いいんですの⁉」
「はい! バルトロがこうぼうのお礼をしたいって。それにエマも、おくさまにはありがとうって伝えたくて」
「私に?」
「わたしに、おしごとをくれてありがとうございます。絵を描くの、とっても楽しい!」
えへへとはにかむエマが愛おしくなり、アイリーンはその小さな体をそっと抱きしめた。子どもならではの暖かい体温。おひさまの匂いだ。
「私の方こそ……助けてくれて、本当にありがとう」
「――うん!」
用事を終えたエマは嬉しそうにいなくなり、アイリーンは取り残された廊下でひとり、新しいアクスタを穴が開くほど見つめた。
(神絵師の……新作……‼)
太陽の光がガラス板を越えて差し込み、描かれたレクスの顔を神々しく照らす。アイリーンはその素晴らしさにしばし見惚れていたが、やがてキョロキョロと周囲を確認すると、そのまま自身の唇をアクスタへと近づけた。
(アクスタなら、怒られないし――)
だが唇がアクスタと触れ合う直前、背後から今度は「アイリーン?」というレクスの声が聞こえてきた。
「……今、何をしていた?」
「え、ええと、その」
「そもそも今手に持っているものはなんだ? ――まさか」
レクスが瞬く間に接近し、アイリーンの持っていたアクスタを取り上げようとする。だがこれ以上没収されてはたまらないと、アイリーンはすかさずその手から逃れた。
「お、お許しください! これだけはどうか見逃してくださいませ!」
「だからどうして絵の俺に固執するんだ⁉ 口づけなら、その……ほ、本物の俺に、すればいい話だろう……」
「本物のレクス様に、口づけ……?」
アイリーンの脳裏に、森の中でした初めてのキスが甦る。
その瞬間、顔が一気に赤くなり――アイリーンはそのまま自室に向かって走り出した。
「アイリーン⁉」
(こ、心の準備が整いませんわ~~‼)
自分を押し殺していた枷がなくなって、ただでさえ好きな気持ちが止まらないのに。
アイリーンは新作のアクスタを握りしめたまま、懸命にレクスから逃げ続けるのだった。
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その夜、レクスは夢を見ていた。
自分が小さい頃――父と兄が参加していたパーティーに同席していた時の夢だ。
『俺は……まだ一つだけ、彼女に嘘をついている』
アイリーンには、彼女が婚約破棄された日に初めて話したと伝えたが、実はそれよりも昔――彼女が八歳の頃にも少しだけ言葉を交わしていた。
『あの頃のあなたは明るくて、誰にでも優しい聖女のような子で……』
真っ赤なドレスを着て、くるくると変わる表情が本当に可愛くて、レクスは彼女から目が離せなくなった。
すると彼女がこちらに気づき、とたとたっとレクスのもとに駆け寄ってきた。緊張して固まるレクスに対し、アイリーンは『はじめまして、私アイリーン。あなたのお名前は?』と無邪気に聞いてくれた。
『俺はそれが……びっくりするほど嬉しくて……』
当時の――いや、生まれてからずっとレクスの立ち位置は『兄の付属品』だった。レクスという名前からも分かるように、侯爵家の跡取りである兄を命を懸けて守り、助け、家の繁栄に誠心誠意尽くすということだけを良しとされていた。
そのせいかどんな場所に行っても挨拶されるのは父と兄ばかりで、レクスは常に見えないものとして扱われていた。そんな自分に、彼女は声をかけてくれた。兄ではなく自分に。その存在に気づいてくれた。
『俺はあの時からずっと……あなたのことが好きなんだ』
小さなアイリーンが消え、代わりに美しく成長した今のアイリーンが姿を現す。彼女の嬉しそうな笑みを見て、レクスもまた幸せそうに口角を上げるのだった。
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訪れる深い眠り。
それはレクス自身も覚えていない、遠い遠い、過去の夢。
頭上に広がる、夜ではないのに真っ暗な空。頬に当たる風は刃物のように鋭く、体は敵の攻撃を受けて起き上がれないほどに痛んでいる。次第にかすんでいく視界のなか、必死に彼女の姿を捜していた。
『――神よ。我が女神アクロディアよ。我に力を貸し与えたまえ』
彼女の祈りの声が聞こえる。女神アクロディアに捧げる誓いと制約の言葉。
ミリアムの声は可愛らしくて大好きだが、彼女をこんな目に遭わせた女神アクロディアのことは嫌いだ。ついでに彼女を慕う、どこぞの国の男たちも。
(俺が、もっと強かったら……まだ彼女を守ることが出来たのに……)
人の言葉を話せる口があれば、不安がる彼女に優しい言葉をかけることが出来た。自由に使える両腕があれば、使命が怖くて泣いていた彼女を抱きしめてあげられた。自分がこんな獣ではなく、逞しい体を持った人間の男だったら――。
(次に生まれてくるときは、絶対に人間になる……そして……)
考えていることがぶつん、ぶつんと途切れて消えていく。あれだけあった痛みがいつの間にか無くなり、なんだか全身がぽかぽかと温かくなってきた。
ああ――そろそろか。
(きみに、愛していると……)
最後に思い出すのは、気丈な顔で笑う彼女の姿。
レクスは――のちに聖獣と呼ばれるようになった白銀の狼は、そのままゆっくりと目を閉じたのだった。
(了)
悪女ものを書くのは初めてで色々と悩みましたが、最後まで書き切ることが出来て良かったです。
アクスタアタック、実はとてもお気に入りです。笑。
また新作が出来たら公開しますので、その時は応援していただけたら嬉しいです。
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました~!




