第四章 6
こうして王都での仕事を終え、一行はヴァンフリート領へと帰ってきた。
邸に戻ったアイリーンたちを出迎えたのは白い装飾で飾り付けられたダイニング、そしてテーブルいっぱいに並べられたごちそうの数々。
丸々と太った鶏の丸焼きにじっくりと低温で調理した牛塊肉のロースト、くし型に切って揚げたルゼイモには塩と胡椒が振りかけられ、食卓の中央には真っ白なクリームとベリーで彩られたホールケーキが飾られている。
「すごいわマリアン、いったいどうしたの?」
「やだねぇ奥様、今日はサント・ミリアムだよ。ちょっとくらい贅沢しなきゃ」
「おくさま! こっちこっち!」
わくわくを抑えきれないエマ、そして料理の手伝いに来ていたバルトロとその弟たちが駆け寄ってきて、アイリーンを真ん中の椅子へと引っ張っていく。レクスがその隣に座り、女神アクロディアと聖女ミリアムへの感謝の言葉を捧げた。
「――それでは、乾杯」
グラスを軽く持ち上げ、一同は皿を手に食事を群がる。普段の食事は主人と別々の場所で違うものを取ることが多い使用人だが、サント・ミリアムの日だけは邸内のいちばん大きな部屋で一緒に食べるというのが一般的だった。
端の方では不満そうにしたバートラムがマリアンの焼いた肉をこれでもかとばかりに頬張っており、アイリーンは苦笑しながら皆の前に立つ。
「そうそうみんな、レクス様からプレゼントがあるの」
王都の菓子店で手配した大量のお菓子をテーブルに置くと、子どもたちが「わあっ!」と目を輝かせて駆け寄ってくる。
「美味しそう! これ、食べていいの⁉」
「もちろん。レクス様にありがとうって伝えてね」
「レクス様、ありがとー!」
「ありがとー!」
無邪気な子どもたちの笑顔を見て、レクスが小さく微笑む。その後子どもたちは珍しいお菓子を、女性たちは食事を、男性陣は発泡酒を片手にこの一年のあれそれを語り尽くした。
こうしてヴァンフリート領で迎えた初めてのサント・ミリアムは、ふわふわとした幸福感に包まれたまま、夜遅くまで続いたのだった。
そして宴が終わった――深夜。
夜着に着替えたアイリーンは、自室で巨大な包みを前に煩悶していた。
(いったい……なんと言って行けばいいのでしょうか……)
包みの中身はレクスへのプレゼントだ。
嫌がるクライドにわざわざ採寸見本になってもらってまで購入したというのに、いざ渡すとなるとどうにも勇気が出ない。
(サント・ミリアムにプレゼントを渡すのは普通のことですわ。色々と意識せず、さっと言ってパッと渡してさささっと帰ればよろしいのです! よし!)
ようやく覚悟を決めたアイリーンは、包みを抱えて扉へと向かう。だがドアノブに向かって手を伸ばしたところで、コンコンというノックの音が廊下から聞こえてきた。
「は、はいっ!」
「――俺だ。今、少しいいか?」
(レ、レクス様⁉)
持っていた包みをドアの裏に隠すと、アイリーンは前髪や夜着のすそを急いで整える。大きく息を吐き出して心拍数を落ち着かせたあと、そろそろと扉を開けた。
そこにはアイリーン同様、シンプルな夜着に着替えたレクスが立っている。
「すまない。こんな時間に」
「い、いえ」
サリアや他のメイドたちは仕事を終えてすでに退室しており、ここにいるのは自分とレクスのふたりだけだ。ぎこちない動作でアイリーンが中へと案内すると、やがてレクスが一枚の便箋を取り出した。
「これは……」
「明日でも良かったんだが、早い方がいいかと思って」
そこに書かれていた文言を見て、アイリーンは思わず唇を噛みしめる。
三か月後に行われるオブライエン家とエレナの結婚、それに先がけお披露目式をエヴァソール邸で行うので、アイリーンとレクスにも参加してもらいたいという内容だった。
(どうして……)
事前に中身を確認していたのか、レクスがやや険しい顔で眉根を寄せる。
「俺としては、無理に行く必要はないと思っている」
「…………」
本音を言うと行くのは怖い。頑張って行ったところできっとエレナからも、両親からも歓迎されないと分かるからだ。ただ――。
(そのせいで、レクス様が無礼だと取られるのは嫌だわ……)
おそらくこのパーティーの主催者はエレナの夫となるランバート・オブライエン伯爵令息。こちらの不参加に腹を立て、仲の良い貴族たちに根も葉もないレクスの噂を吹き込む可能性は否定出来ない。元々彼はレクスをひどく嫌っていたし――。
「……私でしたら大丈夫です。妹のお祝いもしたいですし」
「ならいいが……」
一度口にすると思ったより恐れがなくなり、アイリーンはあらためて腹を据える。だがそこでふと、自分がパーティーに出られる状態ではないことを思い出した。
(私……化粧品もドレスも売ったままだったわ……‼)
今衣装室にあるのは黒や濃紺の暗い色のドレスばかり。やはりあの時王都で化粧品を買っておけばよかった? 今から頼んで――と焦っていると、目の前に立っていたレクスが「ごほん」とわざとらしく咳払いする。
「それならちょうど良かった。……これを」
そう言って差し出されたのはリボンでラッピングされた小さな箱だった。レクスに促されて蓋を開けると、中には見覚えのある商品――王都のショーウインドーで見かけたのと同じ化粧品が一式収まっている。
「レクス様? これって……」
「邸の使用人たちから頼まれた。毎日頑張っているから、何か贈り物をしたいと」
「そんな……」
まさかという驚きが抑えきれない喜びに代わり、視界が涙で滲む。するとそんなアイリーンに向けて、レクスがさらにもう一通、封筒を差し出した。
「そして俺からはこれを」
(レ、レクス様から⁉)
緊張で手が震えるなか、アイリーンはおそるおそる封筒を開ける。
中には一枚のサント・ミリアムカードが入っており、真ん中にアイリーンの名前が金の箔押しで刻まれていた。単なるカードかと逆に安心したアイリーンだったが、右下に書かれている店名に気づき、次第に顔をこわばらせる。
「あの、レクス様、これって……」
「ドレスを頼みたいと言ったらこれを渡されてな。来週あたり、採寸をしにこちらまで来てくれるそうだ」
(やっぱりー‼)
書かれていたのは王室御用達で有名なドレス工房の名前だった。
以前アイリーンの衣装室を埋め尽くしていたドレスは俗にいう既製品で、平均的な体形の女性が誰でも着られるよう、リボンや布を使って微調整する前提で作られているものである。
対してこの工房で作られているのは完全なる受注生産。注文者一人一人の体形にあった完璧なドレスを仕立てるのが特徴で、デザインが他の令嬢と被ることもない。ただし既製品一に対して十倍くらいの費用が掛かり、そもそも予約が取れないと聞いたことがあるが――。
「昔、父や兄と一緒にいたのを覚えられていたみたいで、特別に手配してもらえた」
「(侯爵家ってやっぱりすごい……)はわあ……」
「はわ?」
うっかり感激の鳴き声を漏らしてしまったことにも気づかず、アイリーンはカードを嬉しそうに見つめる。だがすぐさま冷静になると、レクスに向かって眉尻を下げた。
「でも……こんな高価なもの、よろしいのですか?」
「この前の仕事の報酬が予定よりかなり多く入ったんだ。冬用の燃料や食料の手配も終わって少し余裕も出来た。これも全部あなたが家のことを回してくれたおかけだ。以前のドレスは手放させてしまったから、せめて一つだけでもと思ったんだが……もしかして迷惑だったか?」
「め、迷惑だなんて! と、とっても嬉しいです!」
喜びのあまり頭が真っ白になってしまい、上手く言葉が出てこない。アイリーンはそのままわたわたとカードを封筒へ戻すと、扉の陰に隠していたレクスへのプレゼントを急いで取り出した。
「じ、実は私も、準備していたものがありまして」
「俺にか?」
「は、はい……」
レクスが慎重に包みを開く。中から現れたのは新品の外套だった。
「これは……」
「あ、あいにくオーダーメイドではないんですけども、サイズはそこまで違わないはずです! これからまた寒い日が続くので、お仕事の時にでも使っていただけるかなと思い……ま、し……て……?」
あれっどうしよう。思ったより反応が薄い気がする。
もしかして今着ているものにすごく愛着があった? だとしたら私はとんでもなく失礼なことをしてしまったのでは? とアイリーンが冷や汗をかき始めたところで、レクスがラフな夜着の上にいきなりそのコートを羽織った。
「レ、レクス様?」
彼の長身を余すところなく包む丈。生地は撥水・防塵に長けた黒の革地で、立体的で丁寧な縫製が彼のスタイルの良さを何倍にも引き立てている。襟元には銀糸の装飾がなされており、銀で出来たボタンにも同じく見事な彫刻が入っていた。
それを間近で見たアイリーンの脳内で、サント・ミリアム第二の宴が始まる。
(はあああァ~~‼ かっ……こいいいい~~‼ 店頭で見た時から絶対似合うと思っていましたがここまで来るともはやレクス様のためにあらかじめオーダーメイドされていた説すらありますわね⁉ まさに美の神レクス・ヴァンフリート様……私、新しい神様をこの世界に創造してしまったかもしれませんわ……)
あまりの美男子ぶりにアイリーンはただただ見惚れる。
するとその視線を感じ取ったのか、レクスが首元に片手を添えてわずかに顔をそらした。その耳は真っ赤になっており、やがて小さくつぶやく。
「あ、あまり見ないでくれ……」
(~~~~ッ!)
尊さと可愛さと愛しさが臨界点を突破し、アイリーンはその場で卒倒しそうになるのを必死に踏みとどまる。ヴァンフリート領に教会が出来るのはしばらく先なのだからそれまでは――とよく分からない気合を入れていると、レクスがこちらを向き、まるで少年のように笑った。
「アイリーン……ありがとう」
その笑顔を見た途端、アイリーンの心にキラキラと輝く宝石が零れ落ちる。
好き。好き。私――やっぱりこの人のことが好き。
だからこそ――。
(私……記憶が戻らなければいいのにって、思い始めてる……)
記憶が戻らなければ。
そうしたらずっと、彼のことを好きなままでいられるのに。
以前の記憶を取り戻した時、私は、今の私と同じでいられるのだろうか――とアイリーンは名状しがたい不安に心を締め付けられるのだった。




