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悪女って誰のことですか? ~記憶喪失になったので真面目にお仕事していたら、何故か旦那様から溺愛されました~  作者: シロヒ


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第四章 5



 夕方。

 デュナン商会を出たところで、アイリーンは大きく伸びをした。それを見たレクスが背後から話しかける。


「無事に話がまとまって良かったな」

「はい! まさかこんなに上手く運ぶとは思っていませんでしたけど」


 レクスの言葉を聞き、アイリーンは満足げに微笑む。

 少々順番が前後してしまったが、王都を訪れると決めた時から教会と工房の誘致については話をしようと決めていた。

 教会は巡礼者からの要望が多かったし、なにより領民たちの心の安寧に繋がる。工房についてはどのタイミングで切り出そうかと期をうかがっていたが、アクスタ契約のこと、そしてバルトロのおかげで予想以上にスムーズにまとまってくれた。


(アクスタの高額転売と模造品の問題も解決出来そうだし……)


 予定していたすべての商談を終え、アイリーンたち一行は今日泊まる予定のホテル目指して大通りを歩いていく。するとその途中、店のショーウインドーに並んでいた綺麗な化粧品に目を引かれた。


(まあ、なんて素敵な……)


 精緻な装飾の施された小瓶がキラキラと宝石のように輝いており、アイリーンはしばしその化粧品に見とれてしまう。だがすぐにふるふると首を横に振った。


(い、いけません! いくら大きい商談がまとまったとはいえ、まだうちに余裕なんてないですし。それにちゃんとしたドレスもないのに、化粧品だけ買ったところで意味が――)


 我慢我慢と自身に言いきかせ、すぐにショーウインドーの前から立ち去ろうとする。すると大通りを歩く人ごみの中から痩せぎすの男がふらりと横に出てきて、店先にいたアイリーンにいきなり話しかけてきた。


「やあ、すごい綺麗な髪とドレスだね」

「……?」

「目が焼けそうなくらい真っ赤だ……ねえ、これから少し時間ある?」

(何かしら、いきなり……)


 男はよれた服をだらしなく着崩しており、この距離からでも分かる甘ったるい匂いがする。目もうつろで言動も奇妙な感じだ。

 アイリーンが拒絶しようとするよりも早く、後ろを歩いていたレクスが男の腕を素早く掴み、そのまま低音で尋ねる。


「彼女は俺の連れだ。何かあれば聞くが?」

「あ、えーっと、いえ、だいじょぶで―す……」


 陛下の番犬もとい『破壊する銀の獣』からギロリとひと睨みされ、男はそそくさと人ごみに紛れて立ち去った。あまりに一瞬の撃退にぽかんとしていたアイリーンだったが、慌ててレクスに礼を言う。


「あの、ありがとうございました」

「いや、気づくのが遅くなって悪かった。怪我はないか?」


 するとレクスは険しい顔をし、男が消えていった雑踏の方を振り返った。


「さっきの男――ラムリザ中毒か?」

「ラムリザ?」

「三年ほど前から若者を中心に出回り始めた麻薬だ。とある植物から取れる液体を乾燥させたもので鮮明な幻覚と高揚感、興奮を得られる代わりに強い中毒性がある。末期になると甘い体臭と目に障害が出ることでも有名だな」

「そんな恐ろしいものが……」


 ラムリザ。この大陸に災厄をもたらした冬の獣ラムザから付けられたのだろうか。言われてみると路地裏や店の陰に、薄汚い身なりの若者たちがあちこちたむろしている。美しく見える王都の裏側を見てしまった感じだ。

 ヴァンフリート領では感じることのなかった恐怖に、アイリーンはあらためて危機感を強める。するとレクスがいきなりアイリーンの手を取り、ぎゅっと強く握りしめた。


「レ、レクス様⁉」

「こうすれば変な奴が寄って来ないと思ったんだが……迷惑だったか?」

「(めめめ、迷惑だなんて……‼ むしろ手を繋いでいただいてよろしいのでしょうか⁉ あっ手汗! 手汗は大丈夫なのかしら⁉ でも今から外すのは感じが悪いですし私はいったいどうすれば)い、いえ、嬉しいです。ありがとうございます」


 溢れ出る本音を脳内で必死に押し留め、アイリーンは小さくはにかむ。緊張でしばらくは足を交互に出すのがやっとだったが、次第に彼の隣にいることが嬉しくなってきた。


(どうしましょう、私……今すごく幸せだわ……)


 大好きな人と、サント・ミリアムで飾り付けられた白い街を歩いている。

 もう実家には帰れない。あの頃の楽しさは戻らない。でも――今はレクスと、それにヴァンフリート領の人たちもいる。

 王都に着いた時に感じた寂しさがすっかりなくなり、アイリーンは知らず微笑む。そこでふと、行く手の先にある看板に気がついた。


(あれは――)


 アイリーンはそれとなく足を止めると、前を歩いているクライドとサリアに聞こえないよう注意しながら、レクスの耳元でそろそろと囁いた。


「レクス様。お願いしたいことがあるのですが」

「なんだ?」

「実は邸の皆さまに、サント・ミリアムのプレゼントをしたいと考えていて――」


 そう言うとアイリーンは通りの反対側にある菓子店を指差した。

 どうやら相当人気の店らしく、二つ先の区画まで客の列が伸びている。それだけですべてを理解したのか、レクスが穏やかに笑った。


「承知した。明日までにホテルに運んでもらうよう手配しよう。あなたはクライドたちと先にホテルに向かっておいてくれ」

「すみません、ありがとうございます」


 繋いでいた手があっけなく解かれ、レクスがクライドに指示を出しに行く。緊張からの解放とちょっと残念な気持ちが入り混じり、アイリーンは苦渋の顔つきで唇を引き結んだ。


(くっ……でもこうするしか他に方法が……)


 まもなくしてレクスが菓子店の方に歩いていき、クライドがアイリーンのもとへと近づいてくる。だがクライドが「それでは行きましょうか」と言うよりも先に、アイリーンは彼の腕をがしっと力強く掴んだ。


「ア、アイリーン様⁉」

「身長はだいたい手のひら一つ分低く……肩幅は二割増し……腕の太さは……」

「あ、あのー……」

「サリア、クライド。悪いけどちょっとだけ付き合ってくれるかしら」

「つ、付き合うってどこにですか⁉」


 いきなりのことに動揺するクライド、びっくりして目を丸くしているサリアをよそに、アイリーンはそのまま三軒先にある紳士用の衣料品店に突撃するのだった。




 

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