第三章 4
いよいよ本格的な冬となった頃。アイリーンはホテルのカウンターに小さなアクスタを三つ並べた。
「これでよし。……何度見ても本当に素晴らしいわ」
エマとバルトロにアクスタという名前について説明すると、ふたりとも響きが素晴らしいと絶賛してくれた。その後エマの負担にならないことを第一に作製してもらい、ようやく三つの完成品が出来上がったのだ。
(しばらくは見本として飾っておいて、希望者が出てきたら受注販売する形に――)
すると遠くで馬の鳴き声がし、なにやら慌ただしい足音がホテルの建物に近づいてきた。目の前にあった扉が開き、中年の男性がカウンターにいたアイリーンに向かって駆け寄る。
「ここに、珍しいアクロディア様の護符があると聞いたんだが⁉」
「も、もしかしてこちらでしょうか」
そのあまりの剣幕に、アイリーンはやや怯えながら先ほど飾ったアクスタを手で示す。男はそれをじーっと眺めたあと、腰に下げていた革袋から金貨を三枚取り出しバン、とカウンターに叩きつけた。
「すべてもらおう」
「すみません、こちらは見本でして」
「じゃあ今すぐ全種十個。金額は言い値でいい」
いったい何事だろうか。アイリーンは若干警戒しつつも、相手のペースに呑まれてはならないと笑顔で話を続ける。
「申し訳ございません。制作に少々時間がかかる品物でして、今はおひとり様ひとつに購入を制限しております」
「……分かった。とりあえず今すぐ申し込む」
「は、はいっ!」
まだ何も用意していなかったアイリーンは、とりあえず近くにあったノートに名前と連絡先を書いてもらう。するとその対応をしている間にも、本邸からサリアが「アイリーン様!」と取り乱した様子でやってきた。
「すみません、今お邸の方に『アクロディア様の護符が欲しい』という方が殺到してまして」
「殺到?」
「はい。こちらにご案内しても大丈夫ですか?」
それからしばらくホテルのカウンターは、祝祭と収穫祭が同時に来たかのような大騒ぎとなった。求めるものは皆アクスタで、予約ノートがあっという間に埋まっていく。夕方、ようやく列の終わりが見えてきたあたりでアイリーンは予約客のひとりに尋ねた。
「あの、失礼ですが、この商品をどちらでお知りになったのですか?」
「王都だよ。あのデュナン伯爵が持っていて、それでみんな欲しがっているのさ」
(デュナン伯爵って……)
デュナン伯爵といえば両替商で財を成した、王都で知らない者はいないほどの大商家だ。
対応を続けるかたわら、アイリーンはこっそりとこれまでの宿泊者台帳を確認する。かつての老紳士が記入したのはありふれた名前――だが文字のいくつかに独特の癖があり、アイリーンは「まさか……」と蒼白になった。
(以前、ベルナール様からいただいた小切手で似たようなものを見たような……)
小切手はお金を預けている両替商から発行されるもので、支払者、両替商それぞれの署名が書かれている。レクスの話では問題なく換金出来たということだったから、あそこに書かれていたのは間違いなくデュナン伯爵の文字だろう。
(まさか、あの方がそうだったなんて……)
護衛もいないひとり旅だったから完全に油断していた。おそらくお忍びで台帳に書いた名前も偽名なのだろう。
とんでもないことになってしまった――と蒼白になるアイリーンをよそに、予約ノートはなおも埋まり続けていくのだった。
翌朝。アイリーンは多種多様な筆跡がひしめく予約ノートを前に頭を抱えていた。
(まさか、ここまで話題になるとは思っていなかったわ……)
もう少し時間をかけて周知させ、商品価値を高めさせていくつもりだったのに。最初に売った相手がとんだ著名人だったがために、想定外の広がりを見せてしまった。一応「納品がいつになるか分からない」と説明したうえでこの状態だ。
(売れるのはありがたいことだけど、エマが無理をしないか心配ね。申し訳ないけれど、これ以上は予約を受けないことにしましょう)
昨日はアクスタの予約とホテル業務の板挟みに遭い、すっかり疲弊してしまった。今日からはいつも通りなはず――とアイリーンが大きく伸びをしていると目の前にあった扉が開き、外からレクスが姿を見せる。
「アイリーン」
「(あらレクス様、おはようございます)はわわ」
「はわわ?」
油断していたせいで、心の声と本音が逆になってしまった。アイリーンはすぐさま姿勢を正すとすぐにしゃなりとした貴婦人に様変わりする。
「なんでもありませんわ。それよりどうなさいましたの?」
「実はこんな手紙が届いたんだが」
「手紙?」
そう言って差し出された手紙には何やら見覚えのある封蝋があり、そこに刻まれた凹凸からそれが教会からのものであることに気づく。いったい何が――とアイリーンが緊張しながら手紙を開くと、そこには大きな文字で『至急、イシス大教会へ出廷せよ』と書かれていた。
「……『貴殿には許可なく聖女アクロディアを模倣し、高額な金品に変えているという嫌疑が掛かっている。ついては弁明の機会を付与するため、アルトニス王都にあるイシス大教会へと足を運ばれたし』……レクス様、これって……」
「目をつけられたんだろう。さすがに教会側も無視出来ないというか……」
(ああ~~っ、やってしまいましたわ~~‼)
その場でうずくまりたいのを、アイリーンは必死になってこらえる。
実はこのアクスタを作るにあたり、問題がないのか事前に教会に確認していた。
その時は『女神アクロディアの模写やそれを販売することについて特に規制はなく、聖地巡礼が盛んな街道沿いの街ではすでに非公式の色紙や彫刻などが販売されている』との回答だったのだが――おそらく事情が変わったのだろう。
(いっきに知れ渡り過ぎて、教会もさすがに目を瞑れなくなったと……)
『公式から怒られる』という謎の文章がアイリーンの脳裏をよぎり、珍しくどんよりと落ち込む。それを見ていたレクスが「ふむ」と自身の顎に手を添えた。
「出廷は来月だな。悪いがその期間、領地の管理を任せてもいいだろうか」
「えっ? 出向くのは私では……」
「呼び出しは俺宛てになっているな。まあこの領地で販売されていれば、責任者が俺になるのは当然だろう」
(ああ~~~~ッ‼)
なんということだろう。まさかレクスにまで迷惑をかけてしまうとは。
どうしようという絶望と同時に、アイリーンの脳内にパパパッといくつかの案が浮かぶ。その瞬間、アイリーンはレクスの腕をはしっと掴んでいた。
「あのっ、どうか私も同行させてくださいませんか⁉」
「アイリーン?」
「アクスタは私が作ると言い出したものです。ですからどうか弁明は、自分の口からさせていただきたいと!」
「…………」
必死なアイリーンの様子を見て、レクスが静かに唇を引き結んだ。
「……分かった。だが無理はしなくていい。もともと責任は俺が取ると決めていたからな」
「レクス様……」
「それよりいいのか? その……王都までは泊まりで移動することになるが」
「もちろんですわ。ぜひご一緒させてください!」
アイリーンは朗らかに笑い、ぐっと拳を握りしめる。
だが快諾したあとで、はたと先ほどのレクスの言葉を思い出した。
(泊まりで……移動?)
ヴァンフリート領から王都までは馬車で約五日。今は積雪があるのでプラス二日は欲しいところだ。つまり途中に六回宿を取ることになる。宿泊を六回。レクスと。
(レクス様と、六回、お泊まり……⁉)
実家の蔵書室――おじい様の秘密基地にあった恋愛小説を思い出す。
やむなき事情で安宿に泊まることになった姫と従者がついにお互いの秘めた思いを打ち明け、忘れられない一晩を過ごした――という描写を思い出し、アイリーンはみるみる真っ赤になった。
(私……大丈夫なのでしょうか⁉)
そこでようやく自身がレクスの腕を掴んでいたことを思い出し、慌ててその手を離す。
教会に対してしっかり説明しなければという思いと、レクスのそばで一週間も過ごすという事実に、アイリーンの頭の中は真っ白になるのだった。




