第三章 悪女、アクスタを作る
頭上にどんよりとした雲がひしめく初冬。
ちらつき始めた雪を見て、商隊の一行――その先頭にいた男が振り返った。
「おい、どうする? このまま次の街までいくか?」
「いや、まだだいぶ距離があるな……。天気も崩れそうだし、出来ることならどこかで休みたいところだが……」
すると森の手前にある分かれ道に看板が立てられていた。そこには大きな文字で『ホテル・ヴァンフリートはこちら』と書かれている。こんなところにホテルが? と疑問に思いつつも、男たちは進路をそちらに定め、黙々と山道を進んでいく。
やがて物寂しい集落が見えてきて、男たちはやや不安そうに道を歩いた。
「ホテル、ホテル……。もしかしてあれか?」
道沿いにある看板を辿っていくと、なにやら巨大な邸宅の前に到着する。集落の規模に見合わない豪華さに男たちが二の足を踏んでいると、門のところから可愛らしい女の子が出てきた。彼女は男たちの姿に気づくと、ぱあっと満面の笑みを浮かべる。
「もしかして、ごしゅくはくのおきゃくさまですか?」
「え、ええっと……」
「うけつけはこちらです! どうぞー」
断るのもなんだか気が引けてしまい、男たちは案内されるまま庭の中へと入っていく。立派な邸宅を横目に奥へ進んでいくと、こちらもまた大層な宿舎が建っていた。ただし邸とは異なり、実用性を重視したかなりシンプルな外見だ。
女の子に続いて玄関の中へと入る。そこには木で出来た立派なカウンターがあり、聖女ミリアムの見事な絵が描かれた黒板が飾られていた。まもなくして長い黒髪と紫色の瞳をした美女が現れ、男たちにたおやかな笑みを向ける。
「いらっしゃいませ。ようこそ、ホテル・ヴァンフリートへ」
「あ、ああ……ちょっと数が多いが泊まれるかね」
「もちろんでございます。お部屋の方はいかがなさいますか? 当館では三種類のお部屋をご用意しておりまして、それぞれこういった値段になっております」
差し出された料金表を前に、男たちがしばし逡巡する。
いちばん安いグレードの部屋は良心的で、ここから離れたところにある街の宿と大差ない。一方中級、上級となるとそれなりの値段がし、商人ならではの計算が頭の中でバチバチと繰り広げられた。
「手持ちもあまりないし、ここは安い部屋にするか?」
「そうだな、温存しておきたいし……」
すると男たちの思考を読んだかのように、タイミングよく美女が言い加える。
「中級、上級のお部屋でしたら、ご夕食と翌日の朝食をサービスしております。メニューは温かいシチューと焼き立てのステーキ、そして我が領地特産のルゼイモを使った揚げ団子を」
「シチューにステーキ、揚げ団子……」
ほかほかと湯気を立てるそれらを想像し、男たちの決意がやや揺らぐ。そこに追い打ちをかけるかのように美女がにっこりと微笑んだ。
「近くに食事を提供するところはございませんので、そのあたりも含めてご検討いただければ幸いですわ。ちなみに当館では現金以外にも小切手、手形、宝飾品といった現物払いが可能でございます。また次回お泊まりいただく際には、今回の料金から一割引きさせていただいております」
「ううっ……」
もうこれ以上寒いなかを移動したくないという気持ちもあり、男たちは苦渋の表情で中級の部屋を選ぶ。
案内された部屋は家具こそ年季が入っていたものの、とても綺麗に掃除されていた。あまり稼働していない宿だと全然人の手が入っていないのでは? と疑いたくなるような所もあるので、旅先でこれだけ清潔なのはありがたい。
「夕食はダイニングでご用意しております。こちらの札を受付の者にお渡しください」
「はあ……」
荷物を解き、ようやく一段落したところで男たちはのそのそとダイニングを目指す。そんななか、食事の良し悪しにうるさいと評判の若い男が冗談交じりに肩をすくめた。
「温かい飯が食えるのは嬉しいですけど、正直あんま期待してないんですよねー。だってこんな田舎じゃ大した料理人もいないだろうし」
だがダイニングに足を踏み入れた途端、男たちは思わず言葉を失った。
大人数の宿泊客を一度に収容出来る巨大なダイニング。その中央には出来立ての料理が大皿で並んでおり、それぞれに取り分け用の大きなスプーンやフォークが置かれている。
初めて見る様子に男たちが戸惑っていると、受付係の女性が近づいてきて「いらっしゃいませ」と札を受け取った。
「当ホテルでは、お客様ご自身で料理を取っていただく形式を取っております。一部、個数を制限しているメニューもございますが、あちらに置いてあるお皿を取って、なんでも好きなだけお料理を選んでくださいませ」
「好きなだけ⁉ 自分で⁉」
「はい。ただし飲み物は別料金とさせていただきますね」
最初は困惑していた男たちだったが、要領が分かると次第に楽しくなったのか、ある者は肉ばかり、ある者はパンを中心にと各々が好きな構成で料理を皿に乗せていく。先ほど文句を言っていた若い男も適当に料理を盛り、やれやれとばかりに席に着いた。
「まあ見た目は及第点だな。ただ味は――」
ステーキを口に運ぶ。だがひと噛みした途端、若い男は目の色を変えた。
「な……なんだこれ……。こんなの食べた事ねえぞ⁉」
「おいおい、おおげさだな――」
若い男の反応に苦笑しながら、他の面々も遅れて口に運ぶ。地方の食事はあらかた経験してきた彼らだったが、正直このレベルのものはいまだ出会ったことがない――と若い男同様目を大きく見開いていた。
「肉は確かにいいやつだ……。しかしなんだ? 焼き方の差か……?」
すると商隊のリーダーらしき年嵩の男性が、腕を組んでおもむろに首をかしげた。
「あいつ……どこかで見たことある気がするんだよな」
「あいつって?」
「さっき気になって厨房を覗きに行ったんだけどよ、料理長を女がやってて……えーとどこだったか……。……そうだ、王宮だ! 王宮料理人の中にそっくりな奴がいたんだよ! まあ、あの頃はもっと若かった気がするが」
リーダーの言葉を聞き、周囲は一瞬沈黙の中に落ちる。だがすぐに「がははは」と陽気な笑い声に包まれた。
「リーダー、もう酔っぱらっちまったのかい?」
「王宮料理人といやあ、王族の口に入る料理を作る超エリートだぜ? 身分が確かなことはもちろん、何十年もの下積みと修行、そのうえ厳しい試験を受けて合格しないと厨房にすら入れねえ。そんな奴がこんな田舎にいるわけねえだろ」
「……やっぱそうだよなあ?」
一気に自信が無くなったのか、リーダーは照れたように頭を掻いたあと、あらためて持っていたビールのジョッキを傾けた。
「しかし良いところを見つけたな。帰りもここに泊まるか」
「いいねえ。二回目はもっと安くなるって言ってたしな」
「そういやぁ、受付にあった絵は誰の作品だ? 見たところアゼルト派かレネー派のようだが……もしかして王宮お抱え絵師の習作とかじゃねえだろうな」
「おい、なんかあっちに甘いもんあったぞ。なんかすげえうめぇ」
「すみませーん、ビールおかわりー!」
これが旅の楽しみとばかりに、次々と新しいジョッキが運ばれていく。
アルトニス王都から離れたこの辺りは大きな宿がなく、昨日おとといと野宿で疲弊していたこともあるのか、男たちは極上の食事とビール、そしてデザートの数々を前に、外の寒さも忘れて夜遅くまで盛り上がるのだった。




