第二章 11
そして一週間後。
ヴァンフリート邸の玄関前に、ベルナールとその家来たちが勢ぞろいしていた。
皆ここに来た時の疲労ぶりが嘘のようにはつらつとした顔つきをしており、肌や瞳は艶々と輝いている。噂ではマリアンの食事がとにかく美味しかったらしく、貯蔵庫の三分の一を食べ尽くす勢いだったという。
やがてベルナールが見送りに出ていたレクスの前に歩み出る。
「このたびは本当にお世話になりました。もしもサビニスに来られることがありましたら、ぜひ我がロジェ伯爵家にお立ち寄りください。誠心誠意、おもてなしさせていただきます」
「ああ」
「それからこれを」
ベルナールが目配せすると、脇に立っていた従者が一枚の小切手を差し出した。そこには王都の最高級ホテルに一か月泊まった時と同じくらいの金額が書かれており、両替商で財を築いたとして有名なデュナン伯爵家の署名とベルナールのサインが添えられている。
「泊まらせていただいたお礼です。あまり手持ちがないので、このような形になってしまうのですが……よければこちらを換金していただければと」
「いや、しかし――」
「どうかお受け取りください。まもなく冬が来るというのに、うちの者たちがずいぶんと食べてしまったそうですので」
ベルナールの軽口を聞き、レクスが苦笑しながら小切手を受け取る。さらにベルナールは自身の上着から小さく折りたたまれた赤い布を取り出した。中から楕円形の美しいブローチが現れ、レクスの隣にいたアイリーンは思わず目を奪われる。
(これは……もしかしてカメオかしら?)
細部まで彫り込まれたサダマンティス神の横顔。乳白色のそれとは対照的に、土台となる部分は夏の空を思わせる見事なターコイズブルーだ。カメオ自体は母親も持っていたが、ここまで見事なものは見たことがない。
「万一のことがあってはいけませんので、念のためこちらもお渡ししておきます。……あらためて、本当にありがとうございました」
深く頭を下げたベルナールにならい、従者や家来たちも揃ってお辞儀をする。こうして聖地巡礼に戻った一行を見送ったあと、レクスがアイリーンの方を振り返った。
「アイリーン。……ありがとう」
「えっ?」
「あなたのおかげで助かった。きっと以前の状態だったら、静養は難しかっただろう」
思いがけない感謝の言葉に驚きつつも、アイリーンはにっこりと微笑む。
「お礼でしたら私ではなく、お世話してくださった皆様にお伝えください。お部屋の掃除も食事の準備も、私ひとりでは何も出来ませんでしたわ」
「……そうだな。――皆よくやってくれた。しばらくはゆっくり休んでくれ」
レクスの労りの言葉を聞き、使用人たちがわあっと盛り上がる。
最初のうちは普段の仕事に加え、ベルナールたちのお世話もしなければならないと不満が出ていたようだが、レベッカとの特訓を生かせる機会にもなり、最後の方はすっかり熟練使用人としての働きぶりを見せていた。
以前とは見違えるような彼らの姿、それらを嬉しそうに眺めていたアイリーンだったが――そこで、ふと一つのアイデアを思いつく。
(……もしかして、これなら――)
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その日の夜。アイリーンはレクスのいる書斎の扉を叩いた。
「アイリーン? どうした、こんな時間に」
「夜分に失礼いたします。少し、ご相談したいことがございまして」
「相談?」
「実は、うちにある宿泊施設を正式なホテルとして経営してみるのはどうかと」
「ホテル……」
レクスの反応を見つつ、アイリーンは話を続ける。
「ベルナール様に確認したところ、サビニスでは聖地巡礼の際、内陸地を通るルートが周知されつつあるようです。そして現状そのルートに大規模な宿泊施設はない……。そこで我がヴァンフリート領でホテルを経営し、巡礼者たちの休憩場所を提供してみようと思ったのです」
使用出来る土地や資源、そして投資出来る金額にも限りがあるため、今のヴァンフリート領に畑や家畜を増やすことは難しい。
だが国境沿いであるという立地を生かし、ここを訪れる巡礼者や旅人相手に商売をする――要は『宿泊業』であれば、今ある施設、そして人員を調整することで新たな産業として興すことが出来るのではないかとアイリーンは考えたのだ。
「使用できる室数ならびに収容人数の試算、家具や備品の一覧、利益率を考えた宿泊料金の設定はこちらになります。建物の賃料がありませんので、一日この人数で稼働出来れば少なくとも赤字になることはないかと」
びっしりと書き込まれた資料を渡され、レクスはしばし目をしばたたかせる。だがすぐに相好を崩すと、アイリーンに向かって素直に称賛した。
「驚いた。いったいいつこんな資料を?」
「昼間に少しだけ。こうした計算は好きな方ですので」
「……あなたは機会に恵まれれば、ルーレイテイン王宮の官吏にもなれそうだな」
レクスはあらためて資料に目を通し、「ふむ」と自身の顎に手を添えた。
「……たしかに、あれだけ立派な建物をただ遊ばせておくだけというのはもったいないな。それに巡礼者以外にもこのあたりは他国からの商隊が多い。彼らが泊まってくれるのであれば、この試算以上の収益が見込めるだろう」
「でしたら……!」
興奮するアイリーンに対し、レクスは冷静に質問した。
「だが誰が運営する? 俺は仕事で長期間ここを離れることが多いし、今いる使用人に教え込むのは大変だろう。いちばんいいのはよそから人を雇うことだが……そうすると人件費だけでこの試算を大きく逸脱する可能性が――」
アイリーンはそれを聞き、待ってましたとばかりにドンと己の胸を叩いた。
「それはもちろん、私がいたしますわ!」
「あなたが?」
「元々そのつもりでのご提案でしたの。……レクス様がヴァンフリート領のためにたくさん働いてくださっていることはよく存じ上げております。ですから私にも、そのお手伝いをさせていただきたいのです」
あなたひとりに苦しい思いはさせない。その気持ちを込めてレクスの方を見る。
アイリーンの言葉に、レクスは少しだけ戸惑っているようだった。だがアイリーンを見つめ返すと、そのままはにかむようにして目を細める。
「……ありがとう。俺も、出来る限り協力しよう」
「はい!」
ようやく一つ、自分に出来ることが見つかった。
もう悪女とは言わせない――自らが導き出した活路を胸に、アイリーンはぐっと拳を握りしめるのだった。




