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悪女って誰のことですか? ~記憶喪失になったので真面目にお仕事していたら、何故か旦那様から溺愛されました~  作者: シロヒ


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第二章 7



 特訓二日目、三日目とあっという間に時が流れ、ついに一週間が経過した。朝食を終えてしばらくした頃、アイリーンの部屋にレベッカが姿を見せる。


「アイリーン様、少しよろしいでしょうか」

「ええ」

「お約束の一週間になりましたので、今日で講師の仕事を終了いたします。つきましては出立前のご挨拶をさせていただければと」


 相変わらず一部の隙もないお辞儀をするレベッカを前に、アイリーンは微笑んだ。


「本当にありがとう、レベッカ。あなたのおかげでみんな見違えたわ」

「とんでもございません。わたくしは必要な知識をお伝えしただけ。あとは皆様の気概と鍛錬の結果でしょう」


 レベッカもまた穏やかに目を細める。しかし何かを考えるように口元に手を当てると、そのままちらりとアイリーンの方を見た。


「しかし……少々意外でした」

「意外?」

「はい。小さい頃のアイリーン様はとにかく人にお優しく、いさかいを避ける印象でして……。ですから『今いる使用人たちを厳しく指導してほしい』などと、相手のプライドを傷つけるような行動はなさらないと思っておりました」

「…………」


 レベッカの指摘を受け、アイリーンは「そうね」と苦笑する。


「あなたの言う通り、昔の私だったらこんなこと考えもしなかったと思うわ。だってこれって結局『あなたたちは仕事が出来ない』と叱責しているようなものだもの」


 でも、と伏せていた睫毛を上げる。


「それではダメなの。『領主の妻』として戦うためには、優しいだけでは話にならない。相手を傷つけるからといって指摘をためらってはならないのよ。必要なことはきちんと注意して、相手に理解してもらわないといけない。それに――」

「それに?」


 続きをうかがうレベッカの前で、アイリーンは小さくはにかんだ。


「……優秀なあなたの指導を受けておけば、きっと他のお邸に行った時もちゃんと働くことが出来るでしょう? 正直なところ、うちではいつまで雇ってあげられるか分からないから……。生きていくための知識とスキルを今のうちに身に付けさせてあげたくて」

「アイリーン様……」

「ふふ、このことは秘密よ。私の勝手な言い分なんだから」


 立てた人差し指を自身の口の前に当て、アイリーンはいたずらっ子のように笑う。そのまま鏡台に近づくと、引き出しを開けて中から小さな革袋を取り出した。揺らすとジャリと重たい硬貨の音がする。


「少ないけれど、講師料として受け取ってくれるかしら」

「必要ありません」

「そんなこと言わないで。わざわざ仕事を休んできてもらったのだから、報酬はしっかり支払わないと。まあ、本当はもう少し色を付けてあげたかったんだけど……」


 なんとか渡そうとするアイリーンに対し、レベッカは片手を九十度に立てて拒否した。


「本当に結構です。代わりにお願いがございます」

「お願い?」

「……実は妹君――エレナ様のことでご相談がありまして」


 レベッカの顔つきが変わったことに気づき、アイリーンは差し出していた革袋を下ろす。それを確認したあと、レベッカが静かに話し始めた。


「どうか他言無用でお願いしたいのですが……半年ほど前からエレナ様付きのメイドたちが『暴言を吐かれている』と訴えておりまして」

「暴言⁉」

「少しでも気に入らないことがあると深夜まで説教なさったり、無理難題を押し付けては罵倒したりと……。旦那様や奥様に訴えようとしたのですが、告げ口をすれば即解雇、他の邸にも店に雇ってもらえないよう根回しすると脅されているようなのです」

「なんてひどいことを……」


 貴族の情報網は想像している以上に広く、横領や間諜、職務怠慢をした使用人はあっという間に再就職の道を閉ざされてしまう。実際に悪いことをしたのであれば自業自得だが、今回のケースはあまりにも横暴だ。

 返す言葉を失っているアイリーンを前にレベッカがさらに続ける。


「来年の春にはエレナ様がオブライエン家に輿入りなさるので、それまでどうにか耐えて欲しいと我慢させておりました。ですが先日エレナ様から、自分の専属メイドは全員向こうに連れていくという命令がございまして……もう、どうすればいいのか……」


 初めて見るレベッカの表情に、アイリーンは何か策はないかと必死に考えた。


(どうにかして助けてあげたい……。でもお父様たちはきっとエレナの言うことしか信じないでしょうし……)


 方法があるとすれば、退職して行き場のなくなった彼女たちをヴァンフリート家で雇い直すことくらいだろうか。だが何度も言うが、この家にそんな余裕はない。


「……話してくれてありがとう、レベッカ。なんとか力になってあげたいのだけど……私はもうあの家には戻れないし、かといってその子たちを引き受けてあげられる力もないの。本当に、ごめんなさい……」


 元お嬢様と使用人という立場も忘れ、アイリーンはレベッカに向かって深く頭を下げる。それを見たレベッカは唇を噛みしめたあと、長い沈黙とともにうつむいた。


「こちらこそ、密告するような形になってしまい申し訳ございません。その優しいお言葉だけで十分です。……ありがとうございました」


 レベッカはあらためて深々とお辞儀をすると、何ごともなかったかのように背を向けた。それを見た途端、アイリーンの中に名状しがたい罪悪感が湧き起こる。


(本当にこれでいいのかしら……)


 きっとレベッカは、藁をもつかむような気持ちで打ち明けたのだろう。

 メイド長である彼女はメイドたちを守らなければならない。でも下手なことをすれば被害者であるメイドたち、そしてレベッカ自身の進退も危うくなる。


(~~っ!)


 わずかな逡巡のあと、アイリーンはたまらずレベッカを呼び止めた。


「レベッカ、ちょっと待って」

「……?」

「少しお願いしたいことがあるのだけど――」




 嵐のような使用人特訓を終えたその日。

 エヴァソール領へ帰るレベッカの見送りにアイリーン、そしてクライドをはじめとした使用人たち全員が玄関広間に集まっていた。ざわつく彼らの前に立つと、来た時同様堂々とした態度でレベッカが挨拶する。


「短い間でしたがお世話になりました。今後も使用人としての矜持を胸に、常に全力で仕事に取り組むように」

「はいっ!」


 わずか一週間という期間だったが、使用人たちの意識を叩き直すのには十分すぎる時間だったらしく、アイリーンの背後からびっくりするような大きな返事が響き渡る。アイリーンは苦笑しつつ、前に歩み出てレベッカの手を取った。


「レベッカ。最後に一つだけいいかしら」

「はい、なんでございましょう」


 するとアイリーンはくるりと振り返り、いちばん後ろの柱の陰で存在感を消していたテオに向かって大きく片手を振り上げた。


「テオ! こちらに出てきなさい!」

「⁉」


 周囲からいっせいに注目され、テオがおっかなびっくり前に出てくる。事態を理解出来ていない彼の背中をぐいっと押すと、アイリーンはレベッカに向かってにこっと微笑んだ。


「彼だけもう少し、そっちで教育してもらえないかしら」

「はあ⁉」

「承知いたしました」

「いや承知いたさないで⁉ ていうか今なんの契約が交わされてるんです⁉」


 にこにこと笑みを交わす女性ふたりを、テオが顔を真っ青にしながら交互に見る。やがてアイリーンがやれやれと困ったように片手を自身の頬に添えた。


「実はレベッカから、あなたにはまだ教え足りないことがあると言われていて」

「はあァ⁉」

「それならいっそ勉強も兼ねて、エヴァソール家(向こう)の使用人としてしばらく働いてもらおうと思ったの。メイド長のレベッカが進言すれば増員するのは簡単だし、レクス様には戻られてから承諾をいただくつもりよ」

「そ、そんな勝手、許されていいはずが……」


 なおも抵抗するテオを前に、アイリーンはゆっくりと自身の口角を引き上げた。妖艶とも酷薄ともとれるその笑みを見た使用人たちの中に、ぞくりとした恐怖が生まれる。


「許されるのよ。だって私は――『領主の妻』になる女なのだから」

「あ……悪女ーッ‼」

「さ、時間がありません。行きますよ」


 じたばたと逃げ出そうとするテオの首根っこを掴み、レベッカがすたすたと移動する。そのまま玄関先に停まっていた馬車にテオを押し込むと、自身も乗りこんであっという間にエヴァソール領に向かって旅立っていった。

 あまりにも怒涛の展開にぽかんとしていた使用人たちだったが、やがてサリアがおそるおそるアイリーンに話しかける。


「あ、あの……本当によろしかったのですか? テオは……」

「半年だけだから安心して。お給金はちゃんとうちから払うわ」

「は、はあ……」

「さあみんな、仕事に戻りなさい! 明日にはレクス様が帰られるわ。それまでに邸内をピカピカに磨き上げるのよ!」


 若干の動揺が残りつつある場をよそに、アイリーンはパンッと自身の両手を叩き合わせる。

 こうしてレベッカの特訓は、ひとりをのぞいて無事終わりを迎えたのだった。



 

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