第二章 2
「クライド様! 何か食べ物持ってない?」
「ああ、ちょっと待ってね」
すぐに馬を下り、クライドは持っていた携帯食料を男の子に手渡す。男の子は満面の笑みでそれを頬張っていたが、ほどなくしてアイリーンの存在に気づいたのか、じーっとこちらの様子をうかがってきた。
「おねーさん、この村の人?」
「え、ええ……」
「ふーん、見たことない顔だね」
(うう……半年前からいるはずなんだけど……)
クライドが「じゃあまたね」と言って馬上に戻り、ふたりは視察を再開する。だが男の子の姿が見えなくなったあたりで、アイリーンがクライドに尋ねた。
「さっきの子は? 親御さんはいないのかしら」
「彼はまあ……いわゆる孤児ですね。他にも何人かいて、領民がそれとなく世話をしているといった感じです」
「孤児……」
「病気で両親を失くした子もいますが、ここ最近は二年前の戦争――ラゼオラ戦争で父親が徴兵に駆り出されたケースが多いかと」
そう言えば事故から目覚めた直後、サリアからそんな話をされた記憶がある。
それによってヴァンフリート領がレクスのものになったと――。
「クライド、ラゼオラ戦争ってどんなものだったのかしら」
「ええと……きっかけは、隣国からの宣戦布告であったと聞いています」
「……宣戦布告?」
聖女ミリアムの物語で必ず登場するのが『北の王国』ラゼオラ、そしてそれを守護する冬の獣ラムダだ。かつてこの大陸を支配しようとした恐るべき存在とされ、二千年経った今もラゼオラは他国との交流を断じている。
「噂では君主の代替わりがあり、新しく即位した王の意向だと言われています。これを受けてアルトニス、そして同じく国境を接するサビニスが共同戦線を張りました。そこからまもなくして攻撃が開始されたのですが――」
高貴なるものの義務という大義のもと、両国の貴族たちが多数招集され、兵士とともに戦いの場に投じられた。そうして多少の被害を出しつつも、なんとかラゼオラの軍勢を退けた。
しかし――。
「勝敗を決する重要な局面でオブライエン伯爵家のご長男が作戦を放棄し、敵前逃亡を図られました。そのため一時戦線が大きく乱れ、あわや全滅かとなった時――レクス様が救援に駆けつけてくださったのです」
レクスは元々、アルトニスとサビニスの国境周辺を統治しているウィットロック侯爵家の次男で、ラゼオラ戦争には世継ぎである兄とともに動員されていた。
危うかった戦場が、彼の獅子奮迅の活躍により一気に形勢逆転。その見事な戦いぶりを戦場にいた現王太子が目撃しており、父親である国王陛下に報告したという。
その結果、国家に甚大な被害をもたらしたとして、オブライエン伯爵家はヴァンフリート領を没収された。そして戦いの功労者であるレクスにそれが与えられ、さらにヴァンフリート男爵を名乗るように命じられた――という顛末があったそうだ。
(なるほど、そんな経緯が……)
そこでアイリーンはふと『オブライエン』という名前に引っかかった。
(オブライエン……どこかで……)
やがて頭の中にぼんやりと、意地悪な笑みを浮かべた金髪の男が浮かんでくる。
(もしかして……あの男⁉)
どうしてすぐに気づかなかったのだろう。
あの時エレナが『そんな性根の腐った女は我がオブライエン家に必要ない!』と言ってくれたという逸話を披露していたのに――と苛立ったところで、アイリーンはずっと気になっていた疑問がようやく解ける。
(だからレクス様に『泥棒男爵』と言っていたのね)
しかし話を聞く限り、ヴァンフリート領を没収されたのは完全に自業自得な気がする。もはや単なる八つ当たりではとしかめっ面をしていたアイリーンだったが、そろそろと後ろを振り返ると、先ほどの孤児の姿を捜した。
(教会があれば、少しは安心出来るのだけど……)
王都や大きな街まで行けば、教会が運営している孤児院に保護してもらえる。しかしヴァンフリート領をはじめとした僻地の多くには教会がないため、そうした受け入れ先が存在せず放置されている孤児は多い。
(教会がないと、病気や怪我の時にも不便だし……どうにか出来ないかしら)
こうして領内の四分の一ほどを回ったところで、アイリーンはあらためて地図に目を落とした。過去の自分が記載していたメモはおおよそ正しく、それゆえにヴァンフリート領の伸びしろの無さをまざまざと痛感させられる。
(現状維持は大切だけど、今の畜産業や農業だけでは不測の事態が起きた時に対処しきれないわ。雇用の問題もあるし、何か他の産業を興せればいいのだけど……)
しかしそもそも王都から離れた辺境地であり、使用出来る土地も全体の三分の一程度しかない。隣国イルゼクルドとの国境には険しい山と深い森が広がっていて――とアイリーンが頭を悩ませていると、地図の上に『?』と書かれた場所を発見した。
(ここって……ただの森よね?)
アイリーンは不思議に思いながらも、過去の自分からの大切なメッセージかもしれないと捉え、クライドにその地図を見せた。
「クライド、この森に行ってみたいのだけど」
「こ、ここですか?」
すると普段にこやかなクライドが、珍しく顔をこわばらせる。
「? 何か問題があるのかしら」
「い、いえ! なんでもありません。参りましょう」
(……?)
そうして十分ほど経ったところで、アイリーンは目的の森へと辿り着いた。
聞けば領民たちもほとんど近づかない場所らしく、寒々しい気候もあいまって何やらおどろおどろしい雰囲気だ。地面には雑草が伸び放題だし、間伐が行われていないせいか伸びきった木々がぎゅうぎゅうとひしめき合っている。
さすがに馬では入れないと判断し、アイリーンはクライドに下馬を促した。
「さあ、行きましょう」
「な、中に入られるんですか?」
「一応ここも領内だもの。それとも入りたくない理由があるのかしら?」
「そ、それは……」
アイリーンの問いかけに、クライドがとてつもなく深刻な顔をして答えた。
「実はその……二年ほど前、この森に幽霊が出たという噂がありまして」
「ゆうれい」
「白くぼんやりした煙を見たとか、夜な夜な男性のうめき声が聞こえたとか、それに変な幻を見たりした者もいて……ですから、その……」
「…………」
もごもごと奥歯に物が挟まったような言い方のクライドを前に、アイリーンはようやく「はっ」と目を見開いた。
「ごめんなさい。誰でも苦手なものの一つや二つあるわよね」
「ちっ、違います! べ、別に怖いとかではなく」
「でも疑わしきことがあるのなら、領民たちの不安をなくすためにもその原因を確かめる必要があると思うの。大丈夫、クライドはそこでしばらく待っていてちょうだい。私ひとりで中を散策してくるわ」
「ア、アイリーン様⁉ お待ちください‼」
ブーツで雑草を踏みつけ、勇ましく森に分け入っていくアイリーンをクライドが慌てて追いかける。中に入ると先に誰かが通ったのか意外と歩ける道があり、アイリーンは木の根や水たまりに注意しながら足を進めた。
(幽霊……実は私、そこまで怖くないのよね)
小さい頃は怯えていた気がするが、いつからか全然気にならなくなってしまった。
むしろ冬眠しそこねたクマと鉢合わせる方が恐ろしく、アイリーンは周囲の音に警戒しながら慎重に奥へと踏み入っていく。以前はよく狩りで使っていたと聞いたが、それにしては木肌が綺麗だし、狩猟犬が地面を掘り返したような跡もない。
(ちょっと意外だわ。もっと荒れていると思ったのに……)
こうしてそれなりの距離を歩いた頃、ふたりの前方で誰かが落ち葉を踏みしめるガサッという音が響いた。すぐさまクライドがアイリーンの前に立ち、佩いていた剣を抜いて構える。
「なッ、何者だァっ⁉」




