第一章 11
「以上が俺の知るあなた、そして婚約を結ぶにいたった経緯だ。心配であれば話半分で聞いてもらって構わない。さっきも言った通り、記憶喪失のあなたに都合のいい話を吹き込んでいる可能性は否定出来ないだろうから」
「は、はい……」
「……それから。もしもあなたが婚約を破棄してここを出ていきたいのなら、俺はその気持ちを尊重する。昨日はいきなりのことに動揺して思わず迎えに行ってしまったが、あなたが自分の意思でここから離れたいと思うのなら、俺にそれを止める権利はない……から」
「レクス様……」
本気で言っているのだと、その顔を見るだけで分かった。彼はアイリーンのことを思い、そのうえで選択肢を与えてくれている。もう婚約したのだから諦めて家に尽くせというわけでも、記憶喪失になった自分を見捨てるのでもなく。
(こんな優しい人に、以前の私はどうして冷たく接していたのかしら……)
エレナをいじめていたと聞かされた時と同じ。
自分のことのはずなのに、まるで他人のことを言われているかのように受け入れられない。でも――。
「……お話ししてくださり、ありがとうございます。そして……申し訳ありませんでした」
「……アイリーン?」
「今までの私が、どうしてそんな態度をとっていたのかは分かりません。でもレクス様がエヴァソールの家まで迎えに来てくれた時、本当に、本当に嬉しかった……」
エレナと元婚約者だという男に責められている間、アイリーンはあのまま消えてしまいたかった。でもレクスの――あの銀色の髪を目にした途端、涙が出るほど安堵したのだ。自分でも説明出来ないほど途方もない安心感があった。
「これまでの記憶がない私が、何を言っても信じてもらえないかもしれません。でも……少なくとも今の私は、レクス様のことをとても大切に思っています」
本当は今ここで、この溢れ出さんばかりの愛を伝えたい。
でもきっとレクスが『好き』なのは――記憶を失う前の自分なのだ。
(記憶が戻った時、今の私が私のままである保証はどこにもない。それなのにもし『悪女』の私に戻ってしまったら、きっとまたレクス様の心を踏みにじってしまうわ……。それだけは、絶対に嫌……)
今のアイリーンに出来る精いっぱいの告白を聞き、レクスはただ静かに微笑んだ。
「……ありがとう。その言葉だけで十分だ」
(レクス様……)
彼のぎこちない笑顔を見て、アイリーンはひとり唇を噛みしめる。
サリアやエマ、妹のエレナ、そしてレクス。過去の自分が何を考えていたのかは分からない。
でもこれ以上、周りの人を傷つけるのはごめんだ。
(――私、悪女やめるわ!)
もちろん一度犯してしまった罪は消えない。
だが少なくとも、過ちを繰り返さないということは出来るはずだ。そうして努力を続けていれば、記憶が戻ったあとも『悪女』にならずに済むかもしれない。
(だから、それまでは……)
レクスに対するこの思いを秘めることを決心し、アイリーンは再度拳を握りしめる。
そこでアイリーンはふと、自分がエヴァソール家に向かったそもそもの目的を思い出した。資金繰りが苦しいこの家に援助をしてもらうはずが、結局結納金すら回収出来ていない。
このままではいけない――とアイリーンはきりっと顔を上げた。
「時にレクス様、一つお願いがあるのですが」
「なんだ?」
「私の部屋にあるドレスと化粧品、すべて売り払ってしまってよろしいでしょうか?」
その瞬間、書斎の空気がピシッと凍り付いたのが分かった。
あ、まずい、と気づいたもののすでに時遅し、穏やかだったレクスの顔が引きつっている。
「もしかして……ずっと迷惑だったのだろうか」
「あ、ええと、違うんですのよ、その」
「いや、正直に言ってもらえてありがたい。今度からはちゃんとあなたの意見を聞くようにするから――」
「あああですからそうではなく! いえ相手の好みを知るのは大切なことですけども! 私は領地経営に必要な資金を用意したいだけでして――」
(どうしてこのタイミングで、こんな言い方をしてしまったのー!)
もう二度と悪女にはならないと誓ったばかりなのに、とアイリーンは心の中で涙を流す。
こうして『悪女更生計画』はひそかに始まったのだった。




