15 SHIVER
“SHIVER” 震え
十月二十五日夜。
どんよりと低い雲が広がったレスター・スクエア駅にアキは降り立った。
前日深夜、ジーンは彼のフラットでアキに告げた。
「俺は、俺自身のためのギグをやるつもりだ」
強い、自信に満ちた瞳の輝き。
「俺のすべてを賭けて」
出窓の縁に座るジーン。
アキが初めてこのフラットに訪れた時のように。
あの夜、彼は自分が『死』への憧れを語った。
同じ場所。同じ姿で
──何という違いだろう。
「ジーン、この前晴臣さんは、次の俺のパフォーマンスが楽しみだって言った。でも、それは君にも言える。いや、俺なんかよりずっと凄いかも知れない」
「凄い?」
「ああ、俺なんか足元にも及ばないんじゃないかって事。クラクラするよ」
嬉しさのあまり軽口を叩く。
「ハハッ。俺に惚れた? 駄目だよ? 俺みたいな危険な男に惚れちゃあ」
ジーンも調子に乗って応える。
堪え切れず二人は大笑いした。
「でも、いい変化だと思ってさ。本当に楽しみだよ」
「そう言って貰えると嬉しいね。⋯⋯俺もアキが歌う姿を観てみたいな。ああ、明日一緒にやるか?」
大真面目な顔でジーンが言う。本気のようだ。
「いや、やめておくよ。明日は君のためのギグだ。⋯⋯でも、いつか実現するといいな」
「ああ、そうだな」
『DAMASK ROSE』へ向かう道すがら思い出す。
繰り出す足が軽い。
ドアの向こうには限りない希望が広がっているような気さえした。
ドアに手を掛けようとしたその瞬間、視界の隅に銀色の光の糸が流れた。
アキは弾かれたかの様に振り返る。
──今のは⋯⋯?
目を凝らし周囲を見回す。人々の喧騒があるばかりだ。
鼓動が、ガンガンと警報のように鳴り響く。体の末端から感覚がなくなる。
──いや、落ち着け。
この古びたドアを開けなくてはジーンを守れない。
ドアボーイに導かれ店の中へと足を踏み入れた。
すでに最初のバンドの演奏が始まっているようだ。
地下へと続く階段を降りる毎に、アキの身体を爆音が絡めとる。
初めての時と同じようにカウンターに身を落ち着けた。
舐めるように店中を見回す。
演奏に合わせ身を弾ませる観客たち。客席で絡まりあう男女。
──いない。見逃すはずがない。バックステージにでもいるのか?
広い店内ではない。
おまけにこの人混みで何が出来る?
冷静さを失うアキの両手が震える。手にしたグラスを揺らす。
「アキ。どうした? 震えてるぞ」
長い指が自分の手首に触れたのが視界に入る。
指先からずっと辿るように、アキは顔を上げた。
軽く口元を歪ませ、眉間にしわを寄せるジーンの顔があった。
「アレックスが知らせてくれた。様子がおかしいから見て来いって」
ジーンはそっとアキの手からグラスを取り、静かにカウンターに置いた。
アキは目を閉じ、深く呼吸する。
「嫌なものを見た気がしたんだ。少し過敏になってるみたいだ。⋯⋯駄目だな、俺は」
「あまり気にするなよ。大丈夫だ。こんなに人がいるし、俺だってちゃんと注意してる。心配はいらない」
「そうだね、こんな有様じゃ、君のギグを観る事が出来ない。せっかくやる気になってるのに」
「その通りだ。あんなに昨日言ったのに。ちゃんと観ないと暴れるぞ? 暴れて欲しくなければ安心して観ろ。いいな?」
ポン、と軽くアキの頭を小突く。
弱々しくも微笑み返す。
アレックスは二人の様子をしばらく遠巻きに窺っていた。
アキが落ち着きを取り戻した様子を見て、頃はよしと二人に近づく。
「やあ、アキ。またジーンに無理を言われて来たのかい? 具合はどう?」
「無理って何だよ。具合が悪そうならあんたが看てくれたっていいだろ? まあ、俺のせいなのはその通りだけどさ」
ジーンはむくれてアレックスを睨み付ける。
「言葉尻を捉えるなよ。おまえが来て彼の具合が良くなったならいいじゃないか」
アレックスは相変わらず子供をあやす様にジーンをからかう。
ジーンは首を竦める。
「まあ、いいか。俺は行くよ。あんまり神経質になるなよ。アレックス、後よろしく」
ジーンはひらひらを手を振り、バックステージへ向かった。
見送るアキは大きく息をつき、アレックスに向き直る。
「今日ここでサンドラを見てませんか?」
「サンドラ? いいや、見てないな」
幾分アキは安堵する。
「そうですか。それならいいんです」
アレックスは意味が解らず訝しんだが、深く追求しなかった。
カウンター内の従業員にエールを二つ用立てるよう言いつける。
手渡されたエールをアキに渡そうと身を捻った時、人の波の中に煌めくプラチナブロンドが目に映った。
──サンドラ?
先刻のアキの様子が気にかかり、もう一度客席を見渡す。
姿は見えず釈然としない思いがアレックスに去来する。
だが、わざわざ人をかき分けてまで探す気にもなれず、アキにエールを差し出した。
「アキ、どうぞ。ちょっと訊いてもいいかい? ジーンに何か言ったか?」
「え?」
エールを受け取るアキの目に戸惑いが走る。
「リハの時のジーンはいつもと何だか違ってる気がしたんだが⋯⋯。何というか、とてもリラックスしていたというか⋯⋯」
納得のいかない様子のアレックス。
「それは⋯⋯。俺は別に。ほんの取っ掛かりになっただけで、彼自身による変化です。⋯⋯彼は自分自身を見付けようとしてるんです」
「自分を見付ける⋯⋯? どういう意味?」
「言葉通りです。彼の歌う姿を観れば判るはずです」
アキは敢えて答えを提示しなかった。
ジーンは言った。
アレックスはジーンの中の『ディー』を求めているのだ、と。
「アレックス、あなたはジーンの変化を好ましく思っていないんですか?」
アキの真っ向からの問いにアレックスは言葉を詰まらせる。
二人の間にDJの選曲のグラムロックがすり抜けていく。
場違いな程、高く甘い声。
アレックスは旨い言葉が見付からず言い淀む。
やがて重い口調で語りだした。
「⋯⋯それは、何とも言えないな。俺にはまだよく分からない」
「そうですか。ではジーンが歌い始めた時、それはきっとはっきりするでしょう」




