8.ネコからの解放
さっきは感情任せに出て来てしまったがもう一度樹と話そうと咲を家に置いて樹の館に戻った。
「おかえりなさい。心は決まったかしら?」
「さっきは、その…すみませんでした。来週までに話をつけるので、その時にお力をお借りできませんか。樹の力もないのにアイツらに付け回されるなんて咲が可哀想です。」
「勿論よ。それに咲のことがひと段落つけばグネルの動きが何なのかもっと見えてくるかもしれないわね。」
この人はそれを見込んで咲に残酷な事を告げたのではないかと思った。
樹は良い人だ、出来る人だ、でも全体最適解を考えて行動する時、平気で冷酷な判断を下す。
カレンの幽閉を決めた時もそうだった。
分かっていたけれどそれを今回改めて思い知った。咲を一番に考えてやれるのは俺だけだ。
咲が心配で樹と話すとすぐに帰宅した。
ところが咲の家は鍵が開いていてもぬけの殻だった。
「咲!咲!」
家中探しても見つからない。俺の家にも居ない。
たったの色半分の時間家を空けただけなのに何でこうなるんだ。連れ去られたのか?
これから博士達と話をつけようと思っていたのに。
心臓がバクバクとこれでもかというくらい存在感を主張してくる。
俺は樹に助けを求めるため、風通路に再び飛び乗った。
いつもの風通路が亀のように鈍く遅く感じた。
早く進め!
咲はどこなんだ。必ず助けてやる。
ようやくスクエアに着くと全速力で樹の館に向かう。
途中何人にもぶつかってみんなが振り返る。悪いが謝っている時間はない。
心配で手が震え、体が熱くなってきた頃、樹の館の近くにようやく着いた。
館に一直線に進むと咲だけを探している俺の目はベンチに座り込んでぼーっとしている咲を目の端に捉えた。
急に方向転換すると咲に向かって突き進む。
「咲!何しているんだ!家に居ろって言っただろう!病み上がりなんだから安静にしておけ。それに怖いって言っていたのに一人で出歩くなんて。」
勢いのままに声を上げる。
咲は怒っている俺に驚いて、目をまん丸にして何も言わずにただそこに座っている。
「おい、痴話喧嘩はこんな広場でやるもんじゃないぞ。他所でやれ。咲がかわいそうだろ。」
八百屋の野郎に声をかけられる。
部外者が余計なお世話だ。八百屋の野郎に噛み付くと、周りを見ろよと冷静に顎で促される。
言われるままに周りを見ると、周囲の揶揄う様な好奇の目線に気が付いて場所を変えた方が良さそうだと悟った。
八百屋に変な借りが出来てしまった。
咲を立ち上がらせると手を引いて一緒に家に向かう。
「どこ行っていたんだ。こんな時に行くくらいだ、大切な用事だったんだろうな?」
なんで怒っているのか、と問いかける咲の顔を見てどうしようもない憤りを覚える。
この様子だと連れ去られたのではなく咲が自分で外出して、疲れて休んでいたくらいのことなんだろう。
俺のこの心労はなんだったんだ…脱力する。
「その…北の方にはまだ行っていなかったから、気になって行ったら博士に会った。で、一緒に散歩してきた。」
遠慮がちに咲が答える。
博士に会った?どう言うことだ?何故咲の居場所を把握しているんだ…
既に追跡石は持っていないはずだから偶然か?
博士に限ってそんなことはない。
「博士は何の用があったんだ?なんで一緒だったんだ!くそ!」
咲は益々俺の怒っている理由が分からない、といった顔で俺を見ている。
危機感のない咲の様子に腹立たしさと不安を覚える。
「これから朝は迎えに行くから一緒にスクエアまで出勤な。帰りもオレが迎えに行くまで待ってろよ。絶対な。」
咲がすごく嫌そうな顔をする。
理由を説明した方がいいだろうか。でもそうなると俺が監視していることも話さなくてはいけない。それは出来れば避けたい。
「…十日だけで良いから。何もなければそれで終わりにしよう。」
期限を付けると咲は明らかにほっとした顔をしていた。咲にとって俺といるのは義務であって、嬉しいことではないらしい。
それから毎日朝晩、咲と一緒に行き来するのはとても楽しい時間だった。咲も楽しんでいたと思う。
その日あった事を話して帰りそのまま夕飯を共にすることも多かった。これからも、契約ではなくこんな毎日が続くといい。
その為にも博士たちと話をつけなくてはいけない。
休日はレイと出かけると言うので咲が居ない週末に博士たちと話す事にした。
断ったのだが博士たちは俺の家まで来ると言うので、仕方なく家に招くことになった。あとで炎で清めよう。
「ご足労ありがとうございます。今までの咲の監視の結果を報告します。」
「いやいや、待っていたよ。始めてくれたまえ。」
博士はとても嬉しそうに椅子にのけぞって座っている姿に嫌気がさす。早く切り上げてもらおう。
「では、結論から申し上げます。咲はこれまでの人同様に、樹の力は消滅しました。」
あれこれ言っても仕方ないので結論を述べる。
すると明らかに博士達が俺の報告に疑念を抱いているのが分かる。
「どう言うことかね。今回は見るからに樹の素質があったと思うが。私もつい先日この目で確認しておる。」
先週、博士が咲に接触したのはそのためか。
「咲は先日の火事でシャドーをまとったと思われる人を浄化したのを最後に樹の力が、気配がなくなったと樹から聞いています。博士も最近接触されたのでご存知ではありませんか。」
博士は一瞬言葉に詰まってグネルを睨みつける。さてはあの火事はグネルの仕業か。
でも博士は直ぐに平然と返してくる。
「私が樹の力を失って長い。私にはもう樹の気配を感じる力はない。でもあの子のそばには、明らかに樹々からの好意的な風を感じられた。特別な子だ。分かるだろう。」
咲は特別だ。それは間違いない、樹の力を失って尚樹々に目をかけてもらっているのが俺にも分かる。
でも、事実、樹の力はもう無いのだ。
咲が落胆して意識を失いかけるほどに。
何度か同じやり取りを繰り返したが博士達には理解してもらえない。自分の時を思い出して背筋がぞっとした。俺の二の舞には絶対に避けなくてはならない。
「いくら話しても平行線なので今日は終わりにしませんか。明日、樹にお願いをして咲が樹であるかどうか見てもらいましょう。」
博士は、確かにこのままでは埒が開かないと渋々同意してくれた。
樹である証明をするのは容易だが、そうでは無い証明は難しい。ましてや樹ではない第三者に出来ることは何もない。
「それから、もう一つお話があります。この仕事は…地上から来た人の迎えは、咲で最後にさせて下さい。そろそろ俺も自分の道を歩んでいきたい。」
「少し考えさせてくれ。君にはだいぶ世話になった。」
ようやく二人から解放されて自分も一緒に外に出る。清浄な空気を吸いたかった。
二人が完全に見えなくなったら窓全開で家を換気をしよう。
家を出て数歩進んだところでグネルが後ろから俺に声を掛けてくる。
「…私は認めません。」
「ん?」
振り返ってグネルを見るといつもより目が吊り上がっているように見える。
「博士は明日確認するので良いとおっしゃいますが、納得いきません。咲さんは樹です。私も咲さんを見てきたのです。間違いない。私は何があっても咲さんをこのまま追跡します。ミレニオを見つけるまで。」
何を言い出すんだ、こいつ。
「アンセは、咲さんが樹と知って独り占めしようとしているのでしょう。」
散々話したのにグネルは聞いていなかったのか。それとも理解出来ないほど馬鹿なのか。
「咲は樹じゃないんだよ。だからミレニオなんて見つけられない。」
「なら見つけられるようにすれば良いのですよ。アンセも楽になりたければ咲さんを説得されたらいかがですか。」
グネルはすごく嫌な顔でこちらを見てくる。楽になるってなんなんだ。
俺に得体の知れない、存在するのかすら分からないミレニオは必要ないし、咲が樹かどうかも興味がない。
「グネル、話を聞いていたのか。お前が咲を監視するのは違うだろう。あいつは樹ではないんだ。だからもう俺もこんな風に咲と一緒にいるのは嫌なんだよ。いい加減にしてくれよ!」
グネルの視線が一瞬、俺からズレたのが分かって振り返ると咲がレイと一緒にこっちを見て立っていた。
酷いタイミングで見られてしまった。一気に怒りが不安に変わる。
「咲、いつからそこに居た?何を聞いたんだ?」
咲の顔が強張ってどもりながら俺の方を指差している。ショックを受けているのか、何か言おうとしているのか分からない。
「どうしたの?ショックなのは分かるけど話を聞いた方がいいと思うよ。」
レイが咲の顔を覗き込みながら、どうにか俺たちを繋ごうとして助け舟を出してくれる。
「あの人…私のあとをずっと付けていた人だと思う。」
咲は、今度は明らかにグネルを指差して震える声で言った。やはり咲が怯えていたのはグネルのせいか。先日俺の家の前で咲に接触したのもグネルかも知れない。
「え?犯人はグネルなの?」
レイが驚いているが、それ以上に咲が驚いているように見えるのは気のせいだろうか。
咲はグネルを知っているはずなのに、この前手を掴んだ奴は知らない人だと言った。
「貴女は…貴女は樹なのでしょう!何で隠すのですか!博士が貴女をわざわざ呼び出して差し上げて、アンセに毎日面倒をみさせたではないですか!監視の眼を掻い潜って面倒ごとに巻き込まれたり、一人で北に行ったり。ミレニオを内緒で見つけて独り占めするつもりだったのでしょう!恩知らずにも程があります。」
グネルは俺が今まで咲に隠してきたことを一瞬で台無しにする。
咲の俺を見る、曇った視線が痛い。そんな疑心暗鬼の目で俺を見ないで欲しい。正面から目を合わせるのが怖くなって咲から視線を逸らす。
「アンセもアンセです。今までの経験を踏まえて家を隣にして咲さんの外出を知るために入口に色々工夫したり、追跡石もお貸ししたのに行動を全く把握出来ていない。挙げ句、女性関係に巻き込んで咲さんを昏睡させるとは。しかたないので私が代わりに追跡してあげたのですよ、ずっと。咲さんは樹ではないなんて本気で言っているんですか?我々の任務遂行のためには咲さんの樹の力が必要なのです。分かっているでしょう?」
咲には知られたくなかった事をグネルに次々と捲し立てられて耳を塞ぎたくなる。
なんだって今、咲に伝える必要があるんだ。グネルにだって良いことはないはずだ。俺と言う監査役が居なくなり下手したら俺が博士達と相対するかも知れないと、分からないのだろうか。
「さあ、咲さん来てもらいますよ。隠しても無駄です。貴女の樹を愛でる姿はずっと見ていれば分かります。ミレニオについて教えて貰えるまでは返しません。」
嫌がる咲の手をグネルが強引に引っ張って行こうとするので、ぎゅっと咲を引き寄せる。
咲は俺の腕の中で硬直したまま直立している。明らかに俺を警戒している。
「あと一日待つって話だっただろう?」
「あと一日くらい、待っても待たなくても一緒です。」
「じゃあ今、樹に判断してもらおう。」
「樹が嘘をつくかもしれません。信用出来ません。」
「樹が嘘をつく理由がないだろう。もし咲が樹なら彼女だって解放されて嬉しいはずだ。」
「今の樹は我々には協力しないと断言されたと博士から聞いています。なので我々を欺き、咲さんを樹として先に洗脳する事も考えられます。咲さんがミレニオを我々に差し出すと言うのであれば樹の判断を受け入れます。」




