7.猫の独り立ち
翌日、咲に声をかけようとドアを開けるとちょうど目の前のレイの家から二人が出て来てどこかに出掛けるところだった。
気が付いたらあとをつけている自分が居た。
心配でついて行くのではない…監視の仕事だ。
二人は手を繋いで仲良さそうに出店を見て歩いている。
咲が楽しそうに笑っているのは嬉しい。こんな日々を咲には過ごして欲しい。シャドーとか、樹の力とかそんな物に振り回されずに毎日を楽しんで欲しい。
でもその隣にいるのが自分ではないことが少しだけ寂しい。それは独り立ちする子供を見送る親の気持ちに違いない。
咲も元気そうだし、グネルの姿もないのでそろそろ追跡も辞めようかと思った矢先、珍しく火事に遭遇する。
まあ、すぐに消防団がなんとかするだろう、と引き返そうとすると咲が透明な何かを身に付けて炎の中に突っ込んでいくのが目の端に見えた。
おい、消防団待つべきだろう!
慌てて人混みを掻い潜って火事の家の前に出る。深呼吸をして指輪の向きを変えると周りが止めるのも聞かずに炎に入って行く。
「咲!どこだ!」
物が燃える音が大きくて声が通らない。
近くに咲が居ないか、注意深く見ながら炎をかき分けて進むと、咲は火に取り残された二人の周りに水をまとわせて逃げようとしていた。
でも炎が強くて行く先を拒んでいる。
炎はどんどん強くなってきて俺でも指輪を使わなければ避けるので精一杯だ。ましてや、薄らと身にまとっただけの水では太刀打ち出来るはずもない。
「咲、いつも無茶ばっかりするなよ!お二人は急ぎ外へお願いします。ぎりぎり逃げられる道を作りますのでそこを通って下さい。」
とにかく二人を逃がさないと咲の力がもたない。
リモべ
言霊を唱えると炎が円状に入り口に向かって広がっていく。二人がその輪の中を駆け抜けて行く。
咲と二人になったので指輪を使って炎を消そうと試みる。
ノセイン
炎が一瞬弱くなるがすぐに勢いを取り戻す。炎が強すぎるのか?もう一度言霊を唱える。
全く消えない。指輪と言霊を使って炎を無にすることが出来ないなんておかしい。
「くそ、この炎は普通じゃない。早くしないと危ない。」
咲が呑気に何でここにいるのかと質問してくるが今はそれどころではない。
力を使い果たして疲れた咲を抱き抱えて出たいが、それができない。気張って力を使わないと脱出するのが難しいのだ。
飛んでくる火の粉から咲を庇いながら何とか外に出ると先ほどの二人ともう一人が咲に駆け寄ってきて手を握って何度も頭を下げている。
全く…こんな危ないことに咲を巻き込まないで欲しい。
後から来た消防団も手こずっていたのを見ると、やはりこの火事の炎は普通じゃないと確信する。
樹の話していた博士の新しい動きと関係あるのだろうか。変な繋がりを予感してグネルを探すが見当たらない。アイツらのせいではないのか、そう思って油断したのが良くなかった。
咲が突然パタリと倒れた。
「咲!」
駆け寄ると前と同様に意識を失っている。グネルの仕業か?でも近くには居ない。
さてはアイツの仕込んだシャドーに侵された人に触れたのだろうか。
咲も咲だ。自分の状態が万全ではないのになぜすぐに人を助けようとするのか。
大体、カレンを助けたあと樹の力がなくなって声が聞こえなくなっているはずだ。なのになぜシャドーを見つけて浄化することが出来るんだ。
俺の知らない力を咲は持っているのだろうか。
咲は三日ほど寝込むと意識を取り戻した。前よりはずっと回復力が付いている。
ぼんやりと天井を見つめる咲を見て安堵すると同時にもう二度とこんな想いをしたくないと切に思う。
「咲、頼む、もう無茶はしないって約束してくれよ…」
俺が居なかったせいでこんな事になるなんて思いもよらなかった。俺がいつものように咲と夕飯を食べてしていればレイと遊ぶこともなく、火事に巻き込まれなかったはずだ。
咲は俺が助けたことにお礼を言うが、本当に危機感はあったのかと疑いたくなる。
「でも何でアンセあそこに居たの?」
相変わらず爆弾を投げてくる。
火事の時も同じ事を言っていた。
「え、あ、偶然?仕事で来ててな。」
何で起き抜けにそんな質問が出来るんだ。いつも抜けているのに変な事に鋭い。
「休みなのに大変だね。そう言えばレイはどうしてる?大丈夫?私あの日レイとデート中だったの。」
「デ、デート?」
デートって恋人がするあのデートだろうか。
俺との休日の外出もデートと呼んでいたんだろうか。
聞きたいけれど聞けない。
「うん。で、レイは?」
咲がさっきより強い口調で尋ねてくる。レイの事がそんなに心配なのか。
「…レイは仕事終わった夕方に見舞いに来るんじゃないか。」
咲は安堵したようだった。
二人はその、付き合っているのだろうか。聞きたい、でもまたしても言葉を飲み込む。
「そう言えばアンセは?仕事は?」
俺に関しては仕事の心配か。火事に巻き込まれて大丈夫だったとか、そういう心配はしないのか。
「…オレはいつも通りお前のお守り役だからな。休業だよ。」
「え、またか、ごめん!もう大丈夫だよ。今回はそんなに寝込んでないでしょう?」
「まあ、今回は三日だ。前よりは短いな。」
咲の強気な発言に油断したが、起きようとするとまだ体に力が入らずふらつくようだった。
起こすのを手伝いつつ様子を伺う。今回は退院までどれくらいかかるだろうか。
「どうした?」
咲はじっと俺を見つめている。言いたいことがあるが口にするか悩んでいる目だ。あれほど報連相と言ったのに分かっていないようだ。咲の目を見てもう一度尋ねる。
「また隠しているだろ。」
咲の目が泳いでいる。
これは複数隠していることがあるに違いない。全く…隠し事は下手なのだから始めからしなければ良いのに。まずは大事なことから聞き出すか。
「またストーキングされているんだろ?」
咲の心にあった隠し事とは違うようだった。
一瞬、何だっけと惚けた顔をする。これが一番じゃなかったら何を隠しているんだ。
「はぁ、レイから聞いたよ。全くなんで言わないんだ。それでこの前カレンの家を覗き込んでいたわけか。」
咲は曖昧に首を傾げる。何かが咲の言わんとすることとズレているらしいが、細かい事はどうでもいい。
「で、目星は?目星は付いているのか?」
「…今回は全くない。」
「あの八百屋野郎じゃないだろうな。」
「違うと思う。奥さん一筋って感じだったし。実はすごい年上なんだって。」
何であの野郎の婚姻歴なんて知っているんだ。まさか野郎から告白するはずはないから咲が聞いたのだろうが、咲もアイツに気があるのか?いや、レイがいるだろう?本筋とは関係ない疑問が湧いてくる。
「あいつ…二百才くらいだろ?年寄りだから若い子に興味ないってこともないだろう?」
イラっとする。
奥さん一筋なんて口では何とでも言える。
「それにトビーと二人で話している時に違う角度から視線感じたから多分違うと思うの。」
俺の気持ちは全く意に介さず咲は自信ありげにトビーと二人で居たと話す。
「何?二人で?うーん、じゃあ一旦ストーカー疑惑は仮候補にしてやる。でも二人なんて…」
「昨日も視線感じたんだよ、何度も。あ、三日前か。」
それは…三日前の視線は俺かも知れない…と言うか後をつけていた俺に間違いない。
「そ、それは、気が休まらないな。でもまあここで話しても犯人は見つからないから、今度街で感じたら直ぐに言え。」
グネルの線はまだ消えたわけではないが俺の見た感じでは可能性は低い。でも八百屋じゃなければ誰なんだ。違う意味でもっと咲を監視する必要がありそうだ。
また数日入院かと思われたが今回は元気なので即退院となった。嬉しいが心配になる。
元々鈍い上に寝たきりになり、倒れたことで行動力が落ちているので助けがいる。病院を出れても、咲を一人にできない。
咲は退院すると自然と俺に捕まって歩き出す。
俺もそのために腕を差し出す。
ようやく最近一人で歩けるようになってきていたのに、またしても俺が杖の役割をすることになる。
歩いていると前からレイが駆けてくるのが見えて、咲は俺から離れて一人で歩いて行く。
歩けるじゃないか…
咲とレイは触れ合うとすぐに抱き合ってお互い声を上げて喜んでいる。ふと、レイとデートしていたと言う咲の言葉が頭をよぎる。
「オレもいるんだが。そう言うのは後にしてくれないかな。」
何だか一気に疲れた。
レイは俺に挑戦的な目を向けながら咲を引き寄せて髪を撫でる。
咲も嬉しそうに笑っている。
「アンセ、私達の再会の邪魔しないでくれる?私が咲を送って行くからアンセは帰っても大丈夫よ。」
「そうか。…いや、それでも、オレは見守るから。」
何かあった時、男手があった方がいいに決まっている…
それにしても、まるで俺は居ないかのように二人で盛り上がる姿に心がざわつく。
途中何かに誘われたが、二人の仲を邪魔するようなことはしたくない。
「ふーん。」
レイはニヤリと笑って咲と腕を組んで歩き出す。
咲はレイのうちに寄るようだったのでそのまま俺は別れた。こんな風に自分を必要としなくなる日が突然来るなんて思っても居なかったので家でドアを閉めるとしばらくその場に立ち尽くした。
「猫から離れられて良かった筈なのに何なんだ、このモヤモヤは…。」




