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38. 引き継ぐ決断

昼休みに咲の様子を見に行くと案の定カレルと話していた咲が、トビーに捕まっていた。


やれやれ。

まずは様子を見るか。


トビーは「ナミさんを裏切るな」と咲に凄む。

トビーの様子に咲は怯えているように見える。


横顔からも分かるほど、腫れて充血している目は相当の心労を想像させるが、あの目で睨まれたら怖いだろう。しかも寝不足で、相手を配慮することもできないトビーの強い態度はさらに脅威を増しているに違いない。


「なぜだ。咲しかナミを安心させてやれないのにどうして引き受けない。今まで助けられて来ただろう。」

それはずるい問いだ。

ナミさんに助けられたことのない奴はこの主天界には居ない。


咲は黙って返事を考えている。

これだけ強く言われても頷かないくらい、悩んでいるのだろう。


中継ぎでよいと言われても、樹を引き受けるのは覚悟がいる。

しかもナミさんを近くで見てきた咲には、樹のあるべき姿や理想の姿がある。


普通はそれがない。

樹として呼ばれてきた時には前任の樹は居ないか、数日で消えてしまうので、何をするべきか分からない。その代わりに、前任者と自分を比較するプレッシャーはない。

どちらの方が樹を受け継ぐ時にやりやすいのか分からない。

でも代々樹が被らないように呼ばれていたのだから前者の方がいいと大いなる力は判断しているのだろうか。


放っておくとトビーが咲にさらに強く詰め寄りそうなので、止めに入ることにした。


「トビーの旦那、そんなに詰め寄ったら咲はどんどん頑なになる一方だぞ。」

トビーは俺をみると、睨みをきかせて今にも飛び掛かってきそうな勢いで近づいてくる。


「あ?煮え切らない彼氏か。」

めんどくさいな、喧嘩を売りたいらしい。

でも買ってやらない。


「ナミさんが昇華することくらい分かっていただろう」と強く返すと、トビーは急に弱々しく答える。


「分かっているさ。でも今じゃなくてもいいだろう。腹に俺達の子が居るのに…」

それには心から同情する。


ナミさんだけではなく子供にも会えないまま消えてしまうかもしれない。

もし産んでからナミさんが昇華したとしても、これから一人で育てていくのは大変だ。

カレンの子育てに付き合ったことがあるからその大変さは想像がつく。


咲がかなり迷っているのが見える。


人情とそれだけでは背負いきれない責任との間で揺れている。

人情にはトビーへの気遣いもあると思うが、自分しか引き受けられないという想いも少なからずあるだろう。


「咲もさ、引き継ぐと思うから荷が重いんじゃないか。もっと気楽にさ、伝書鳩のつもりで話だけでも聞いたらいいんじゃないか。」

咲を誘ってみる。


ナミさんが消えてもしばらくは大丈夫だと思う。

でも、一月や二月もの間、樹が居なかったら?

不安から街が少しずつ乱れていくかもしれない。


そうなってから、引き継ぐくらいなら、樹としての仕事のやり方は今のうちに聞いておいてもいいのかもしれないと思い始めていた。


新しい樹が来たらその役を譲るよう、予め大いなる力に誓いを立てたらいい。そうすれば、やりたくないと言われても、引き継ぐことができる。


…それが一番良い気がしてきた。


あとは咲を説得するだけだ。


新しい樹が来なかったら、と咲は心配しているがそればかりは誰にも分からない。


「長い歴史から考えて樹が昇華した後に、新しい樹が現れなかったことはないんだから大丈夫だろう。」

咲が「そうだよね」と曖昧に頷いている。

あと一息だな。


気がつくとナミさんが階段の影に待機している。

参加すればいいのに心配そうに咲とトビーの話を見守っている。


「代償にアイツと話す権利でも貰ったら。新しい樹は細かいルールなんて知らずにここに来るから、今ナミさんの許可を貰えたらあとはどうとでもなるだろう。」

「アイツ」と言っただけで俺がモムラキプラートの話をしているのだと咲には分かったんだろう。目つきが変わった。


「……話を聞いて次の人に伝えるだけだからね。聞くだけ。」

落ちた。


トビーもナミさんに気が付いていたようで夫婦で喜んでいる。

俺もほっと胸を撫で下ろす。


丸く収まったが、誓いの件はナミさんに言っておこう。


咲が決めたら気持ちが変わらないうちにと、どんどんと話が進んでいく。


早速、昼からの仕事はキャンセルさせられて毎日のナミさんの日課を聞く。

トビーが家庭を支えてきたのだと知る。

この前、咲が保育園の仕組みを話した時にナミさんが興味を持っていたのも頷ける。


トビーにも子育て以外の仕事をさせてあげたいとの思いだろう。

八百屋で十分楽しそうではあるが。


ざっと説明が終わって帰ると咲から質問攻めにあう。

まあ、そうだろうな。

俺が誘導したようなものだ。


これでみんな幸せだろうと言ったら、それだけでは納得しなかったので結局全て説明することになった。


「…いつも俺たちはナミさんの手のひらで転がされているよな、あの人はこうなるって分かってて話したんだろう。」


翌日朝から引き継ぎに向かう。

咲がナミさんに話を聞いている間、俺はトビーが支える側の心得を聞くことになった。


「俺たちの場合は、表がナミ、影は俺で分担してたよ。長いこといたのにお前は俺のこと知らなかっただろう?」

確かに。ナミさんとは何度も会っているの夫が誰か知らなかった。


「ナミさんは采配を振るったり得意ですもんね。」

「それだけじゃない。樹には言わないことを拾うのが俺の役目だ。」

「そんな隠蔽が天界であるんですか。」

「いや、住人としてはたいしたことないと思って言わなかった程度のことだ。でもそれがシャドーと関係していることもある。住人はシャドーを知らないからな。」

住人的にはなんか元気ない、不機嫌だなと思っていたらシャドーで、広がっていたことがあったらしい。


「樹の在り方に決まりはないからな。お前の場合、相方は咲だしな…二人が全面に出るのもいいと思う。色々やってみたら。俺も影ながら支えるから安心しろ。どっちかというとお前が取り仕切っていくことになるんだろうからな。」

なんとトビーに心配されてしまった。

よく見ているとは思う。

咲は人を惹きつける力はあるが、全体を治めるのは難しいだろう。多くを守るために冷酷な判断はできない。


咲もナミさんとの話が終わったようで、二人で昼を食べに行く。のんびりと空を眺めて樹の館に戻るとスクエアに人だかりが見えた。


近づくとスクエアの真ん中が明るい昼間なのに殊更光っているように見える。 


まさか…

いや…

今なのか…

咲を上手く説得したアンセ。

でもそうなるように計算済みのナミの方が一枚上手でした。

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