16. ネコの失踪事件
咲は退院後、声が出ないまま仕事を始めた。
ところが初日早々に、忘れていた魂消滅の話を耳にしてしまったようだった。
あの辛い体験を思い出してはいないようだが、嫌な予感だけはするようだった。
夜一人になるのを不安に思っているのが見て取れたので、一緒に居よう提案すると咲は了承した。
あまりにもすんなり了承されたので、提案した俺の方が一瞬たじろぐ。
俺はものすごく信頼されているのか、危機感がないだけなのか…
咲はもう少し躊躇うかと思っていた。
まあ、どう思っているかはさておき、咲は俺との暮らしを了承した。早速、布団や食料を俺の家から咲の家に運ぶ。
その途中で、レイに出会ったので咲の状態を伝えることにした。
「…咲、この前の騒動にやっぱり関わっていたんだね。風電話に返信ないから心配してたんだ。家にもいないみたいだったし。」
「俺と、樹以外にも知っている人が居てくれると安心だから、よろしくな。」
そう言って去ろうとするとレイに引き止められる。
「分かった…で、さっきから運んでいるその荷物なんなの?」
「ほら、咲が心配だから、しばらく一緒に暮らそうかと思ってさ…。」
「しばらく?どれくらいの話よ?話せない咲とアンセが二人?もっと心配なんだけど。」
関係ないレイの方がよっぽどまともな反応をする。
普通そうだよな。
でも警戒されると反論したくなるから不思議だ。
「安心しろ。俺は大いなる力に誓った身だからな。咲を傷つけるようなことは一切できない。」
レイにはちゃんと宣言しておく。
「ふーん…大いなる力に誓ったの…。で、咲は合意しているの?」
レイはそれでもまだ、胡散臭いものを見る目で俺を見る。
そんな目で見られると痛くない腹を探られている気持ちになる。
それとも俺はやり過ぎのラインを踏んでいるのか?
咲を探すとちょこまかと荷物を運んでいる。
なんで愛らしいのだ。
「…ほら、咲も一緒に荷物を運んでいるだろう。」
俺にはやましいことなど何もない…
「じゃあな。」
これ以上話すとレイに口うるさく言われそうなので早々に退散する。
咲の家に戻るとサボるなと怒っている。
声がないと怒っているのも可愛い。
思わず抱きしめたくなる衝動をグッと堪える。
まだまだ、そこまでの距離ではない。
空っぽの冷蔵庫にも食料が入り、布団も運んだので今回は朝起きて背中が痛くなることもない。
ひと段落ついてホッとしているとドアを叩く音がする。ドアの横の窓からは真っ白な何かの影が見える。
「重いから早く開けて!」
聞き覚えのある声に、嫌な予感がする。
咲がドアを開けると布団を持ったレイが居て部屋になだれ込んできた。
いやいやいや、それはない。
これからの咲との二人の生活が…
でも、咲はとても嬉しそうだ。
咲は布団はお願いねと無言のメッセージを俺に残す。以心伝心とレイが俺に布団を押し付けてくる。
何が起きた?
どこで間違えた?
レイの布団運びながら考える。
これからゆっくりと距離を縮めていくはず…いや、咲を癒すはずだったのに。
癒すどころか、一人増えて賑やかになった。
「もう、これから暫くアンセが泊まり込むって言うから心配で私も来ちゃった。」
レイがそう言うと、咲が俺をじっと見てくる。
いや、最初から今晩だけ泊まるとは言っていない。
聞かれないので言い訳はしないでおく。
とりあえず、その日は三人の同居生活を祝って酒盛りをした。
翌日、咲が森に調査に行くと言うので付いて行った。
森でカレルと二人きりなんて心配すぎる。
北の入り口に着くと、咲とカレルは森に通されるのに俺は枝に邪魔されて入れない。
二人は、申し訳なさそうに仕事だからと森の中に消え行く。
「なんなんだ、カレルより俺の方が安心だろう!」
思わず、樹々に怒りをぶつけると強風が吹いて飛ばされそうになる。
くそ、俺にもまだ樹の力あったら…
何度か別の日にも試したが、森に入れる気配はまるでなかった。
「カレルはなんで森に入れるんだ?俺の方が、咲を守るのに適しているだろう。」
「そう言われても、私も困ります。樹々が選んでいるので。」
「そうか、自分は選ばれた存在だと言いたいわけか。」
「いやそんな意味では…」
カレルが咲に助けを求める。自分をストーカーしていたような奴を咲が助けるわけがない。
咲は黙って俺の顔を見て首を振った。
「なんだよ、咲もカレルの味方なのか。」
咲は呆れたように俺を見ると、振り返らずにスタスタと歩いて行く。
カレルのせいで咲に呆れられたじゃないか。
面白くない。
「アンセ、最近仕事はどうかしら。」
ついに樹から呼び出しがかかった。
そろそろくるかとは思っていたが、なかなかの剣幕に言い訳を考える。
「全然仕事にならないと聞きましたが、何をしているんです?」
「咲の身辺警護を。それに今回は毎日工房に行ってますよ?滞在時間は少し短めかもしれませんが、仕事に遅れはないはずです。」
「依頼を何件も断っているとか。」
「それは趣向に合わないと思ったからです。」
いつもなら趣向が合わなくても時間をかけて提案するが、今はそんな時間はない。
「咲を守るのもいいですが、周りを少しは見なさいね。今回の同居にレイが居てくれて本当によかったわ。」
同居の件も知っているのか。どこから漏れるんだ?咲は話せないし、レイが言うとも思えない。
樹々からの密告なのか?
「咲はどうです?」
「前より笑顔が増えました。」
「…ご馳走様。声は戻りそうかしら。」
「それは分かりませんね。魂の消滅がショックだったのだと思いますが、流石に聞くのは憚られて。」
「何のために同居しているの?博士の作った石の情報が欲しいのよ。分かっているでしょう。早く咲の声をなんとかしてちょうだい。」
樹は無理難題を押し付けてくる。しかも咲の事情なんかお構いなしだ。
「ごめんなさい。少し過ぎたわね。でもアンセ、あなたが思っているより事態は良くないの。お願いね。」
樹の焦る気持ちは理解しているつもりだ。
あの石はヤバいと俺にも分かる。
だからこそ咲を巻き込みたくない。それにようやく前のような曇りのない笑顔になってきたのだ。
もう少しこのまま見守りたい。
樹の館を後にすると、示し合わせたかのように咲が今回の同居を終わりにしようとしているのが分かった。
ありがとう、と咲はパクパクと口を動かして言った。
レイもそれを汲み取って受け入れている。
盛大に飲み明かして、最後の夜を楽しむ。
目覚めると咲が居なかった。
「俺は咲の何を見ていたんだろう。」




