九十三冊目『街場の教育論』
「府雨の読書日記」九十三冊目『街場の教育論』
『街場の教育論』
著 内田樹
文庫になるとつい買っちゃう。
高校生の頃読んでいたはずなのに、内容は全く覚えてなくて、新鮮でした。『街場の文体論』と勘違いしていたのかも。文体論の方は読んでいたから、やっぱり読んでないのかな。
仕事場で机に置いていたら隣の先輩が「高校時代の国語で一番わからなかった」と言っていて、僕はむしろ「内田樹が一番わかりやすいのだが?」と思ったのだけど、たぶん僕の国語力がゴミ(文学部二次試験二割)なのは内田樹の読みすぎのせいです。絶対。
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何度もこの読書日記で出ている内田樹は、僕の思考の基礎を作った人です。
その中でもこの本が、最高傑作だと思います。教育の専門家として、政治的言語に対置する教育的言語を僕はじゅんじゅんと体に染み込ませました。
政治言語。空疎で内実のない形式に、正直僕は飽き飽きしています。
文学的、あるいは教育的言語との対置でいけば、文と法の対立ということになるのでしょう。
その隣の同僚も確か法学部で、法学部的な考え方をする人は、なんとなーく内田樹苦手そう。
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懐かしいです。
ロジックを否定するロジックというか、実際に生の思考の流れを体感できたのは、内田樹を読んでからです。
駿台模試、ラカンの鏡像段階についての文章を読んで、そのまますぐ本屋で内田樹の『下流思考』を買いました。
内田樹が言う、若者はバカになっているという言説は事実に反すると思いますが(頭のいい人の割合はどの世代でも変わらない)。
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コードギアス20周年イベントの予約会開始を待ちながら、池袋のジュンク堂で本を見ていました。
やばい本を見つけてしまったと思いました。『複数性のエコロジー』。篠原雅武さんという方が書いている。
ちょっと怖いもの見たさで買いました。
読んだら感想を書きます。読み切れないかもしれないけれど。
ゾクっとした。気持ち悪さもあった。なんだか不気味な文体であり、内容です。
理解に基づいた解釈ではない、独特の「言語海」の色味。不幸をネタにしている平成的ディストピアでもあり、そこに希望はなさそうです。
依って立つ基本的な意見がなく、ただ解釈を可能性だけを、解釈可能性としてはではなく提示する。
人新世という言葉がどうやら著者のテーマらしいのですが、それはなんだ? AI脅威論より胡散臭い。
まるでそういうことが本当かのように。書いてあることは、本当ではないのに。
すごいゾワゾワしたのでつい、買ってしまいました。
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コードギアスイベント、池袋のアニメイト。
高校の通学途中に池袋があったので、旭屋書店にはよく行っていました。
池袋はもう中国語の方が優勢な気がしますね。中国領。租界。
アニメイトにいくことは滅多にないので、お作法もわからず整理券を片手に入場。
大好きなC.C.のミニ色紙入場特典に打ち震え、あまりよくわからないまま物販ですごい額を買ってしまい、「まあいいか、コードギアスだしな」と特に後悔することもなく、アニメ見直すか、と心に決めました。
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そういえば、アニメ、最近見るんですよ(誰に言っているんだ?)。
死亡遊戯で飯を食う。とか、幼女戦記とか。
アニメが見れるというのは、極めて文明的。
安心してフィクションに没入できるのは文化の勝利です。
中学の時は死ぬほど見ていたのに、高校生では全く見れず、人文書界隈にたむろするように。
でも、ちょっと真面目に書くと、それは精神疾患の後退局面でもあります。そうだと信じたい。
集中力がないという事実に耐え難さを感じるが故に、アニメは見れなかった。
集中力というのは、所与のものではないのですね。
その欠損の感覚は、身体の欠損ではないのに、僕をひどく傷つけました。
小説を書くというのは生活なので、それに集中力も何もないのですが、フィクションを読むというのは、僕にとっては生活ではない。
大好きな村上春樹の小説ですら、一つのタスクです。
でも「アニメでも見るか」と思えるのは、その欠損を背景に押し込めて、気にならなくなっていることに他ならない。
もしかしたらそのうち、小説が読めるようになるのかもしれない。
呼吸のように、フィクションを浴びれるかもしれない。
今日、ジプレキサという薬の量が減りました。
それはとても大きいことです。
体調が変わらないということはないでしょう。
重い薬と長い間付き合うことは、家族を抱えるようなものです。
病の家族をどう取り扱うか。取り扱うというか、遇するというか。
狭い部屋の中に病人と二人で一緒に暮らすような、鬱積する感覚です。
でも、それがとても自分の成熟の助けになる。
自分を排斥するわけにはいかない。多くの闘病者は、そうしてしまうし、僕もそうしてしまうことがあるけれど。病を持った僕は、他ならぬ僕だから、それを捨て置くわけにはいかない。
捨て置けば先に行けたかもしれない。でもそれはたぶん、「犠牲」という戦いの論理ではありふれた、駒を「捨てる」行為で、それを僕は自分には許していない。
内田樹的言い回しに、自分でもびっくりします。もちろん本家には遠く及ばないですが。
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晩御飯、池袋のジュンク堂そばの商店街でタコライス食べました。ONI TACOという店。
いや美味しいですね。お皿とか使い捨てなのも最近の店らしくて(僕は皿で出して欲しいですが)いいですね!
今度また友達と行きます。
今は池袋から帰る途中の新宿駅発橋本駅行き京王線。
しぃつー。思い出しました。昔のいい思い出と、ずっとくっついてる。
雨で、少し蒸し暑い今日も、苦しくて少しかゆいですが、金曜日の手応えと思うと、悪くないです。




