八十四冊目『デザインの仕事』
「府雨の読書日記」八十四冊目『デザインの仕事』
『デザインの仕事』
著 寄藤文平
大学時代のサークルの先輩。
物理の人で、その人と、今も遊ぶ仏文の人と鴨川のデルタで深夜におでんを食べていた。鴨川の墨色の波を見て、「波って、一つとして同じ波はないんですか?」と聞いた。
「ないよ」
その先輩は言った。
その先輩が博士課程でふてて、小説ばかり読んで一学期を過ごしたと聞いた時、羨ましいなと思った。
僕もそうしたい。今すぐにでも。
でも、そういうことができる人にしか、そういう機会は訪れない。
僕の衰えた集中力ではせいぜい、一冊一冊読んで、日記を書くことぐらい。
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病院に行って、メンタルきついと言ったら、先生は「いつも通り一過性です」とおっしゃったので、信じて、とりあえず本を読む。
外に出られたので少し気分転換になる。
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というのが昨日で、今日はシャワーを浴びたのが午後4時。恐ろしい。
普通に会社休んでるし。
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著者の本のほとんどは、自分には正直フィクションか何かかと思いました。
それはもちろん冗談なんですが、それにしても筋が通り過ぎていて、怖いを通り越して面白い。
経験を通して得たスタンスのようなものを血肉にしているのは、ちょっと怖くなる。
人のことを分析しているその目を、扉の写真から想像すると、少し恐ろしくなる。
自分を確実に磨き上げていく人の感覚は、時に追いつけず、とても羨ましくなります。
緩やかに巻き上げていく人生が、遅いように感じてしまうのが、逆に面白いのは、本書の著者の猛烈さが、本当に限られた人しかできないことのように思えるからです。
優れた能力と、優れた体力が、誰にでも備わっているわけではないことから、著者を真似ることは誰にもできないことがはっきりわかるからでもあります。
それがこの本の一番面白いポイントです。
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とか言っていたら、その翌日に、休職することを決め、とてもぼんやりと一日を過ごしています。
動画にも集中できず、本も読めず、シャワーも浴びれず、ただ椅子に座って三日にわたるこの日記を書いています。
今は、休みを肯定的に捉えることも、否定的に捉えることもできず、頭もぼーっとしていて、いかに自分がこの状態に陥る前に、適当なことを言っていたんだということに、ちょっと寂しさを覚えます。
あれこれ書いても、きつい時はきついし、書けないのは純粋に体調が悪いし、書けても、「何が書けてんだ?」と言われると確かにそうだなぁという気持ちになってしまいます。
休めば勉強できると思ってた。
昔、十年くらい前に「病気になりたい」と思って、必然的になった精神病は、勉強なんか全然許してくれなかった。
こういう鬱もそう。休むことだけしかできなくて、小説を書くことも、本を読むことも、ぼくには許してくれないのです。
つまり、必要なのは時間ではないことがわかります。
ゴールデンウィークに中国で買った本の中で癌を患った哲学者の朱鋭は、「必要なのは長寿ではなく、人生の質だ」と書いています。
つまり、たとえ長い時間を持っていたとしても、それ自体には特別の価値はないということです。
長い時間を無為に過ごすことにかけて、僕の右に出るものはいません。
浪人三年間、大学三年間は、完全に何もできていないので。
こうやって回り道していく。
文という虚飾(というほど立派なものでもないけど)を取り除かれると見えてくるのが人間のリアルなのか。
それともそれは人間のリアルではなく動物的リアルなのか。
夏にダウンを着込むほど、寒く感じることがあります。
それは、自分でどうしようもない防御反応で、凍えるほど冷たい夏の空の下の自分の体に、物語を作れない止まった自分の頭が、「使えねえな」と毒づいているようなものです。
自分の心から心と体が離れていく。
それをただ見ていることしかできない。




