八十冊目『シモーヌ・ヴェイユ思想入門』
「府雨の読書日記」八十冊目『シモーヌ・ヴェイユ思想入門』
『シモーヌ・ヴェイユ思想入門』
著 今村純子
朝、電車の中でパラパラ。
新書は啜る蕎麦とばかりに、よく噛みもせず。
シモーヌ・ヴェイユの引用と、その隣の筆者の解題解説に、すごいなぁ、と驚くばかり。
ヴェイユの引用と抱き合わせる映画とかの引用も上手くて、それが描写力とか説明力というよりなにか「翻訳」をしているような独特の間合い。
本当は精読したいけど、それだと「全部覚える」式の愚直で骨の折れる試みになりそうなので、僕はとりあえず一周して満足です。
著者の特徴なのかもしれませんが、なんとなく説明より素描という感じがして、色も、合わせるというより置くというタッチ。
形容詞的、形容的な書き方、文体は特徴的で、全体を一貫して眺望する視点は、引用元のヴェイユのスタイルからいって難しいかもしれないけれど、いつもそれを求めてしまう僕としては、なんとなく「忍耐力」が涵養された気がします。
つまりその、ヴェイユはとても文学的で断片的で、読みにくかったということです。
その読みにくい文章をうまく説明している著者は「本当にそう言っているのか?」という疑問に論理的に答えているわけではないですけど、そういう論理が議論に似合わないヴェイユの文を、とても魅力的に仕上げていると思いました。
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仕事を休んでふわふわしていましたが、なんとか起きて、会社に行きます(いまバスに乗りました)。
何かが怖くて仕事に行けない。
なぜか体が起き上がらない。
なぜなのかはよくわからないのですが、そういう日もあるということでしょう。
生活リズムにゆとりがなかったというのもあるのかもしれません。
電車で座って寝るために早起きして、電車で寝るみたいなことに、果たしてどれくらい意味があるのか。
早く出勤して、始業前まで寝るとか、そんなに疲れてて大丈夫なのかとか。
転職して小さな変化が積み重なった結果、塞ぎ込んでしまったのかもしれません。
元気に振る舞って、毎日吉野家で朝ごはんを食べて、元気なふりをして、そんなふうでいいわけないのだと思います。
無理だ。元気ないとずっと思ってたのに、一週間休むくらい疲れていたことに、気づいていなかったなんて。
空元気と元気は人工のダイヤモンドと天然のダイヤモンドくらい、見分けがつかないみたいです。
よく寝て、その日の調子を見て適正な生活リズムを構築する。
無理は禁物だけど、自分がどう無理をしていたのか、自分でもよくわからない。
やりたくないことはいっぱいあったけど、それでもなんとかやれていたのに。というのがもう、精神的社畜なのでしょう。
無理に朝ごはん食べなくてもいい。
無理に早起きしなくてもいい。
無理に仕事を好きにならなくてもいい。
でもそれがなぜなのかは、実はよくわからない。
大きな理由がある気もするし、ただつかれていただけなのかもしれない。
仕事に潰される時に、仕事はつらいけど、無為に生きている時に、仕事は救い。だとしたら?
動くのは僕の気持ちだけではなくて、環境も変化していく。
先週の月曜日に思ったんだよな。
「ああ、またあと5日、塩素のにおいのする職場で過ごさなくちゃいけないのか」
それでもいいかと思うまでに、一週間を要してしまった。きついなぁ。
でも、僕はそれに対して試みを重ねて徐々に適応していく。はず。
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何かの言葉が欲しいと思って、音楽を聴き、本を読む。自分にぴったりの言葉は浮かばない。
こういうのをなんていうのかわからない。
ただまだ始まったばかり。諦めるには早すぎるし、全てを知っていなきゃいけないわけでもない。
わからないままもがく。スマートじゃなくていい。そもそも僕はスマートな人間ではないし、問題が全て解決する世界線に僕がいると想定するのは、あまりに傲慢だ。
昨日の研修は眠らずにメモを取った。それはまだ僕が、疲れを蓄えていないという健康上の事実の上に立っていることだけを示している。




