七十九冊目『複雑化の教育論』
「府雨の読書日記」七十九冊目『複雑化の教育論』
『複雑化の教育論』
著 内田樹
Dua Lipaのライブ、メキシコのやつ。
Apple Musicで配信されている「Training Season」を聴きながら、読書日記を書いています。
この一週間は本当にぽよぽよしていて、土曜日になってようやくリハビリとして、都立大の図書館に行きました。
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どのタイミングでこの本を買ったのか、ここ数日のことのはずなのに思い出せない。
金曜日かなぁ。南大沢で買った気がするのですが、よく覚えていないです。
まあ、あれですね、内田樹は、内容というより文体、文体というより雰囲気、雰囲気より……なんというか。
複雑化という語彙選択が全てを表していますが、それはsimplificationを徹底的に嫌うという、とても学者らしい態度に裏打ちされていて、こういうダルいこと言ってお金もらえるって羨ましいなぁと思います。
内田樹が「変わったことを言っている」と言い続けてはや二十年。
十五年前からウチダの文章を読んでますが、複雑でも知的でもなく、わかりやすくて、おじさんくさい、もはや僕の中では通奏低音です。でも、おじいさんなのに、文体若いよなー。機嫌が良さそう。
ほんと困ったもので、その謦咳に接することもなく、本を読み読み、だんだん安心してくるのです。
そう。「職場のにおい」が「毎日終わりの見えない仕事」に結びついて「なんか飽きたな」と思ったことに端を発して調子を崩し、それから五日間も仕事を休み、小説書き書きの時間を過ごしていました。
飽きたというのはまことに正直な感覚で、生身の自分に触れてしまった。今まで読書等々でかけていたワックスが、はげてしまった。
自分の体に職場が入り込んできたのが始まりでした。満員電車の中で読み書きする。
読み書きが主だった生活が変化して、仕事の隙間に読み書きを入れる。割譲。これ、ダメです。
今、職場から離れ、飽きを忘れるように努めています。
読書する時間がないのが、こんなに応えることだったとは。寝て起きてシャワー浴びて仕事するだけという生活は、それをやるなら本を読む時間を確保しないと。
内田樹の本みたいに、何にも考える必要のない娯楽本を読まないと。(悪口ではないです。本音なだけです)
とりあえず、本を通して、ある程度のフィクションを構築しないと。病む。まじで病む。
仕事が僕の生活を侵食するのは、許せない。
小説が書きたい。本が読みたい。
考えることを考えないと、早晩人は闇落ちします。
直接考えると、ゾッとします。
一旦思考という緩衝材を間に置く。
恐れることが一番恐ろしいと、今読んでいる中国の哲学読み物に書いてありました(朱鋭『哲学家的最后一課』)。
何事もそのままでは濃度が濃すぎ。職場の漆喰の壁に恐怖を覚える(仕事の手触りのベージュなことベージュなこと!)
僕が小説を書くのは、自分の体験があまりに濃度が濃いから。記憶を希釈するために書いているんです。たぶん。
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何度も言いますが、内田樹の文章ほど頭を使わなくて読める文体はありません。
新聞記者から「難しい」とか「一言で」と言われたと書いてありましたが、それは新聞記者も読者を舐めすぎているか、あるいは文盲かのどちらかでしょう。
それは情報ですらない。
飲み物のようなものです。定期的に飲みたくなるカルピスです。
頭働いてないので買う、コンビニのアイスみたいなものです。
十五年も読んでいると、この文章が果たして好きなのか嫌いなのかもわからない。
ただ、今回のぽよぽよ期には、大いに助けられました。読む本ではなく本を読むことが、今の僕には必要だったので。
ウチダ先生、ありがとうございます。ぺこり。




