七十八冊目『積読こそが完全な読書術である』
「府雨の読書日記」七十八冊目『積読こそが完全な読書術である』
『積読こそが完全な読書術である』
著 永田希
今日会社を休んで四日目。
ずる休みのようでもあり、本当に元気がなくもある。
朝五時半に起きる生活が怖くなって、動画を見たり動画を見たりしながらうにゅうにゅしていました。
豆腐のメンタルに悲しくなりますが、友達は「絶対また復活する」と言ってくれたので、信じて休みます。
今日起きたのは十二時でした。
のそっと起きて、ご飯を食べ、外に出て、電車に乗りました。
気まぐれに秋葉原に向かい、その間本書を読んでいました。
スターレイルのカフカのフィギュアを買い、満足したので帰りの電車も本書を読んでいました。
それで読み終わりました。
文章がなんというか「木造」という感じで、読みやすく味わいがストレートで、行き詰まることがなかったいい本でした。
買う前に誤ってアマゾンのレビューを読んでしまって、「行き当たりばったり」というような評価が、頭から離れず、読書の味わいを損なってしまった感はありますが、批判は、当たらないでしょう。
読書に関するスタンスや、蔵書に対する姿勢は、人によってそれぞれで、僕も本書を読んでどうこうという感じではないのですが、読み物としてはなかなか良かったです。
情報の濁流という表現は、僕みたいな中途半端な年齢(30歳)の人間からすると、一番応えるもので、情報処理が苦手なのに、苦手だから、前から読んでいく読書しかできないのが、コンプレックスでもあります。
飛ばし読みが嫌なのは、読書を体験と捉えていて、情報処理とは考えていないからなのでしょうけれど、それにしても愚直で、頑固だなぁとは我が身に振り返ると、ため息が出ます。
個人的には、目次とかどうでもいいとすら思っているので、本を読む体験を、知識を身につけることと思っていないのでしょう。
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情報に対する感度の低さは、執筆という、より遅いヴィークルに乗っていることからも、自覚できることではあります。
ある程度遅い、いちいち覚えない、読み切る、書き切る。
そういう効率の悪い文字に対する態度は、あまり褒められたものではないのかもしれません。
でも、タイパとかどうでもいい中途半端な情報感度に、呆れるばかりです。
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積読していた本書を読むきっかけは、ここ数日の謎のメンタル不調で、本とか読む気全く起こらずに、ぽよぽよしていました。
それで十二時間寝てある程度動ける感じが出た今日に、リハビリのつもりで一冊だけサコッシュに入れて、秋葉原に向かいました。
まじで正解。
読みたかったんだと思います。
ずっと読めなかったから。
まとまった文字の集まりかたまりを、まとまった時間で読むことが、こんなに幸せなことかと思うと、また読書したくなります。
積読が一冊解消されたのも嬉しかった。
積読という意味ではたぶん僕は、七冊買って一冊しか読んでない感じだと思うのですが、それでもどんどん買ってしまいます。
僕は食事と本とフィギュアにしかお金を使わないのですが、本は本当に別格で、金額を気にすることがあまりない。
別にお金持ちではないのですが。むしろだからこそかもしれない。
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明日金曜日もずる休みです。
メンタルの回復を待ちます。
図書館にでも行って、本を読むのもいいかも。
調子を崩すとなんか書きたくなって、ここ数日で三万字くらい書いていますが(本当に調子が悪いのか?)、ドパミンは疲れるので、やはり読書でセロトニンを分泌させたい。
そういう時の僕の積読は、やはり頼もしいです。




