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卜部くんとつれづれならぬ日々  作者: 土倉ミクロ
1 糴州螺連続殺人事件
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Chapter4:ぼくらはころしや⑪

「さ。後は引き金を引くだけだよ」


 人差し指が引き金にかかったが、中々押し込まれない。自分に向けて引き金を引く恐怖は想像するだけでも恐ろしい。瞳孔を開き、渇ききっているであろう口を半開きにする横島の顔に浮かぶのは絶望だ。小刻みに繰り返される荒い息づかいが僕の耳にまで届いた。


「大丈夫。確率は五分の一だよ」


 覚悟を決めたのか、全てを諦めたのか、横島は目を強く閉じる。生唾を飲み込んだ喉が小さく蠕動する。つられて僕も喉をゴクリとやった。震えの止まらない人差し指が、震えるまま強く引き金を引いた。


 撃鉄の戻る静かな音だけが響く。銃は不発に終わった。音にしてしまえば何てことはない鉄と鉄との打ちあう硬い音だが、恐らく横島の脳内には勝利の鐘に聞こえたことだろう。


 安堵のあまり、横島は砂利の地面に跪いた。


「ハァー……ハァー……ッ」


 息が止まらない。彼は自ら自分へ引き金を引いた恐怖と、死を逃れた安心とが入り交じった複雑な感情を抱き、また顔に浮かべる。


「あー残念……」


 再び拳銃を受け取った黒川は本当に残念そうに呟いて、いとも簡単に自分のこめかみへ銃口を向けると、先ほどの横島の決断がまるで夢であったかのように迷いなく引き金を引いた。既に二発空砲を消費しているというに、最初と何ら変わりのない作業的とも言える動作だった。


 この男に死を恐れる感情などない。わかりきっていたことかも知れないが、こうまではっきり見せつけられると、反対にこちらが恐怖を抱く。彼の死に対してもだが、何より常規を逸脱したその思考回路に対して。


 十数秒と経たないうちに、拳銃は横島へ戻ってきた。


 残るは三回。そのどこかで銃弾が飛び出す。丸く皮膚を突き破った鉛弾は頭蓋の中に破片と火薬を撒き散らし、土竜が住処を作るようにに脳みそを掘り進める。対角線上に突き抜ければ安泰かも知れないが、硬い頭蓋で跳弾すれば銃弾はさらに別方向へ穴を掘る。その置き土産たる火薬は脳を焦がし、破片は余計なところまで更に傷つけるのだ。


 想像だけで身震いする。こめかみの辺りに気持ちの悪いむずがゆさを覚えた。


「早いね。もう半分終わっちゃった」


 楽しいことはすぐ終わってしまう、と嘆くような口ぶりだった。実際黒川にとってはそうなのかも知れない。


 心の準備をする余裕など与えず、黒川は引き金を引くよう横島に促した。元から心の準備などという範疇の問題ではないが、心を落ち着けないままでは自分に銃口を向けることすら叶わない。やれと言われて二つ返事で実行できるほど強靱な心臓を持ち合わせた人間はきっと限りなくゼロに近い。


 まだ一つ前の恐怖が抜けきっていない悲痛な表情は、黒川にもう少し待ってくれと懇願しているようだった。横島の震えは止まらず、コルトパイソンの銃把を左右の手で包み込んで何とか持ち上げているといった状況だった。恐らく彼の手の中にあるものは、この世のあらゆる物質よりも思い。今にも銃口が地面と接しそうな程であるから、それを再び頭まで持って行くにはまだ大分時間がかかるように思えた。


「早くー。ちょっと頭に当ててちょっと人差し指を動かすだけじゃん。簡単だよ」


 黒川は無神経にせっつく。


 丸腰でそこまで相手の神経を刺激して、もし相手が突然吹っ切れてしまったらどうするつもりだろうか、と疑問に思う。黒川は丸腰だが、横島は一発だけ装填された拳銃を持っている。


 しかし改めて状況を観察するまでもなく疑問はかき消えた。


 自分が生きるか死ぬかの瀬戸際に立った人間に、それを端から悠長に眺めている人間の言葉が聞こえるはずもなく、また銃を向ける余裕もない。横島は自分の頭まで拳銃を持ち上げられないのだ。それにもし黒川を撃とうとする意志が芽生えたとしても、へたり込む彼の後ろには暇そうにナイフを玩具にして遊んでいる緑川が立っている。恐らく彼が他の殺し屋同様仕事の出来る殺し屋ならば、横島が黒川を殺そうと心に決めた瞬間には刺し殺しているかも知れない。


 決心して銃口をこめかみにあてがっては、やはり恐怖に駆られて再び下に戻す、というのを横島は五分ほど繰り返した。


 一時期は鉄仮面の横島、という異名が付くほど警察官からもその筋の人間からも畏敬の念を抱かれていたという話を僕は聞いた事がある。初めて横島とあったときのことだ。その時は、なるほど異名に違わない雰囲気のある人物だな、と恐れ半分感心したものだが、それが今は、まるで遥か大昔に見た夢のような色合いしか持たない。


 いつもの威厳と貫録に満ちた顔は消えていた。鉄仮面という異名にはおよそ似合わない情けない顔で横島は座り込んでいる。時折すがるように虚空を見つめては視線を落とす。すぐ側まで這い寄っている死神にでも情けを乞うような弱々しく歪んだ顔をしていた。


「警部」

「わ、わわかってる。やるから。もう少し待て」

「もう一時間は待ってるんだけどな」


 そんなには待っていない。しかし黒川の体感ではそれよりも長い時間が過ぎているかも知れない。


 何度目になるかはわからないが、横島は決心したように頷き銃口を自らのこめかみに突き付けた。薬物でもやっているかのように異様な震えを見せる指が引き金にかかる。震えすぎて自分の意志とは無関係に発砲してしまうような未来も想像できた。フー、フー、と鼻呼吸なのか口呼吸なのかわからない荒い呼吸を繰り返し、だが結局引き金を引くことは出来ず、横島は腕を下ろそうとした。


 しかし、横島の腕は下がらなかった。頭の横に掲げたまま、銃口を依然としてこめかみにあてがい続けていた。


 とうとう覚悟を決めたのか、とは考えたが、よくよく目をこらして見れば横島の背後に立つ緑川が彼の腕を押さえつけていた。一体緑川のどこにそのような力があるのかは甚だ疑問であった。枯れ枝のような細い腕だ。腕相撲でもすれば簡単にへし折れてしまうような貧弱さがある。しかし事実、横島の腕はびくともしない。


「延々と同じ事繰り返したから、ちょっといい加減飽きてきちゃって。こうやって腕を支えてあげれば後は引き金を引くだけだから簡単でしょ?」

「じ、自分のタイミングでやらせろ。頼むから。ちゃんとやる。勿論撃つ。だから俺のやりたいタイミングでやらせてくれ」

「だから自分の好きなタイミングで引き金を引いていいよ。緑川君は警部の腕を支えてるだけだよ」


 黒川は笑う。今か今かと横島が引き金を引くのを心待ちにする笑顔だった。 


 語弊があるかも知れないが、横島は一般人だ。黒川のような人を殺しても、あるいは自分が死にかけても楽しめるような人間とは一線を画すという意味で、である。一般人が腕を支えられただけで、引き金を引けるとは到底思えなかった。


「なに、引き金も引いてあげなくちゃいけないの? でもそれじゃロシアンルーレットの意味ないよ」


 黒川の伸ばした手を横島は払う。「自分のタイミングでやるって言ってるだろ!」と怒鳴った。


 大人しく黒川は引き下がったが、舌打ち混じりだ。いい加減引き金を引いてくれ、と苛立って口を尖らせる。きっと早く引き金を引いて死んでくれ、ではなく早く自分に引き金を引かせてくれ、という意味で彼はせっついている。


「まだ?」


 十秒と経たないうちに問い直す。


 蚊帳の外、もはや背景と同じ立ち位置で状況を見守る僕も「早くい引けばいいのに」と思い始めていた。


 バンジージャンプを無理矢理やらされる人間と同じだ。まず飛び込み板に立つまでに一悶着有り、泣く泣く縁に立つ。そこまでは出来る。まだ安全だとわかっているからだ。というよりも縁に立ってしまえば後ろに監視員が壁のように立っていて、引き返そうにも引き返せないからだ。そしてまたそこから飛び降りるまでが長い。安全だとわからないうえに、九割は自分の意志で踏み出さなければならないからだ。実際に飛んでしてしまえば何と言うことはないというのに、中々飛ぶことが出来ない。


 実際に撃ってしまえば何と言うことはない。横島の未来は生存か即死か、だ。生存なら喜ばしいことだろうし、即死でも痛いなんて思う暇もないだろうから、やはりどう転んでも横島が苦しむ必要はない。強いてあるならば幽霊にでもなって自分の死体を見下ろす不快感ぐらいだろうか。


「……いくぞ」

「待ってました」


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