Chapter4:ぼくらはころしや⑫
「……いくぞ」
「待ってました」
拍手が鳴る。波紋のように広がることはなく、虚しい一人だけの拍手で終わる。
横島は目を閉じた。涙なのか汗なのか、水滴が目尻を垂れる。口はへの字にひん曲がっていた。
数秒とも数時間とも言える長い沈黙が流れ、横島の指が深く引き金を絞った。
銃声は、しなかった。焦げ臭さもなく、血も脳漿も飛び散らない。人差し指の離れた引き金が、残念そうに元の位置に戻った。
いよいよ残りは二回となった。黒川と横島に一回ずつだ。どれだけ喚こうが泣こうが、一回ずつやればどちらかが死ぬ。
「まさかここまで運がいいなんて思わなかったね。まさか残り二発って状況までお互い無事だなんて、ねえ」
横島の手にしていた拳銃を半ば引ったくるようにして取り上げると、しげしげとその銃口を眺めながら黒川ははしゃいだ。ゲームが最高の展開に持ち込まれたことと、ようやく自分の番が回ってきたこととの両方を喜んでいる。
一方で横島は自分が助かったことに安堵するのに精一杯で、はしゃぐ黒川のことも、まだゲームが続いていることも頭には入っていなかった。三分の二の確率を引き当てたことを神にでも感謝するように、額を砂利に擦りつけて亀のようにうずくまっていた。
「警部、大丈夫?」
呼びかけられ、ようやく横島は顔を上げた。頭蓋骨が鉛にでもなったかのような鈍重な動きだった。鉛になっていたら頭を撃ち抜く恐怖感もなかったかも知れない。
「まだ終わってないよ。次は僕の番だからね。ちゃんと見ててよ」
ようやく自分の安心が一時のものだと気がついたのか、平然と自分の頭に銃を突きつけている黒川を見て、横島は飛び退いた。砂利の地面を尻でずるずると後退し、今までもそうしていたただろうに、横島は不思議な、異星人でも見るような目を向けていた。
黒川の親指が撃鉄を起こす。これまでとは違い、自分にとっての最後の一回を楽しむつもりなのか実にゆっくりとした動作だった。
シリンダーが回る。銃弾が運ばれてきたのか、きていないのか。ルーレットの残りは二回、弾は一発だ。確率は二分の一。
そこでようやく横島は自分が今何をしているのかを思い出したようだ。面白味の欠片もないゲームに、文字通り命をかけて臨んでいるのだ。
「もし、銃弾が発射されたらどうする?」
横島が不意に訊ねた。
人差し指の力を少し緩め、黒川は首を傾げる。
「銃弾が発射されたら、僕は死ぬんじゃない?」
「……怖くないのか?」
「怖くないよ。死ぬのが怖いってことは生きてるのが怖いってことだよ」
「ならもし銃弾が発射されても運良く生きながらえてしまったらどうする」
「それは嫌だな。痛いし。でももう一度ロシアンルーレットが出来るからそれはそれでいいのかも知れない。痛いのは嫌だけど」
死神の鎌を首筋にあてがったような状況で発する黒川の言葉はやはりどこまでも冷静である。
「……でも流石に最後だって思うと緊張するね。少し心臓がドキドキしてる」
きっと黒川の緊張は横島とは違う。武者震い、と呼べる類のものかも知れない。人差し指一本で生死が分かれるこの局面に興奮を覚えているのだ。横島が抱いているのは恐怖だが、黒川が抱いているのはスリルだ。似て非なるものである。
黒川の手に力がこもる音が聞こえた。
横島はじっと目を瞑って、知りもしない神に祈っていた。どうか黒川に銃弾が回ってくるように。仕事仲間である彼に死なれては困るが、自分が死ぬ方がもっと困るのだ。
引き金がゆっくりと絞り込まれる。
ぱんっ、と鳴るか、かちっ、と鳴るか。じっと耳を澄ませた。かちっ、の方に期待した。黒川が死ぬのが悲しい、というわけではなかった。死んで欲しくない感情もあると思う。見殺しにされかけたが、それなりに親しみもあるし、彼が次の瞬間に頭を撃ち抜いて息絶えれば少しは悲しむだろう。しかしそれよりも、黒川が死んだら自分はどうすればいいのか、ある意味路頭に迷うことになるのが不安だった。大学生の生活費はバイトで成り立っているのだ。新しいバイトを探すのか、横島とコネができて警察官になる道が拓けるのか。もしかすると緑川が上司になって殺し屋屋のバイトを続けるのかも知れない。ただ、緑川を上司にするのは少し抵抗があった。
聞き慣れた発砲音はなかった。かちっ、と鳴ったのだった。
黒川は拳銃をこめかみに当てたまま直立していたし、笑っていた。達成感に満ちた笑みで
「ああ、楽しかった」というように拳銃を下ろした。少なくとも緑川が上司になるという未来は消えた。ついでに言えば警察官になるという道も消えた。
残りは一発。
黒川はバトンをパスするように横島へ拳銃を渡した。アンカーだけがゴールテープを切ることが出来る。
僕は少しだけ横島の方へと懐中電灯を向ける。彼の顔が驚くほど白かったのはきっと光の反射だけが原因ではない。青ざめる、という表現は間違っていないが適確ではないほどに彼は顔色を失っていた。そのうち白すらも通り越して無色透明になってしまうのではないだろうか。
機械的に黒川から受け取っていた拳銃を凝視して、またしてもこれから自分が何をやるのか今まで自分が何やってきたのかを全て彼方へと忘却してしまったかのように動きを止めていた。体の動かし方すらも忘れてしまったようにさえ見えた。
「なあ、黒川」
どうやって口を動かすのかを思い出したのか、しかし覇気もなく横島は口を開いた。
「何? 無意味な交渉なら聞かないよ」
「俺を殺すように依頼してきたのは誰なんだ?」
「和久田利根彦君」
その名前に一瞬首を傾げたが、すぐに合点がいったようで横島は口の端を片方釣り上げた。まさか獲物に狙われるとは彼も思っていなかったのだろう。
「どんなヤツだった?」
「不潔感漂う若い男、かな。見るからに正常じゃない雰囲気を漂わせてたよ」
「そうか。で、お前はそいつを殺したのか」
「別の人から彼を殺すように依頼を受けてたからね」
「そうか」
色あせた顔が一瞬だけ赤みを取り戻し、安堵したように綻んだ。
「それにしても警部が一つの事件にこだわるなんて珍しいよね。いつも部下とか他の人間に丸投げするのに。正義感でも芽生えた?」
「……娘が殺されてるんだ。とは言っても別れた女房に連れていかれたから久しく会ってないがな。死体を見て、身元を調べて確証を得たよ」
「もしかして真宮奈津美さん?」
「なんでわかる」
「顔が似てたから」
「そうか」
「うちの事務所に腕があるよ」
「そうか」
驚くでもなく警部は頷いた。
「まあご愁傷様だよ」
全くそう思っていない声で黒川は言った。
「欲を言えば俺の手で殺してやりたかったが、悪くない結果だ」
今までの躊躇いが嘘だったみたいに、横島はすんなり銃口をこめかみに向けた。
「これ、最後ってことは死ぬということだよな?」
「そうだね。即死の保障はないけど、死ぬのに違いはない」
「そうか」
あり得ないことに横島は苦笑いをし、「痛いのは嫌だな」と冗談めかして言った。
「どうしたの。なんか随分と態度変わったけど」
さすがの黒川も疑問に思ったらしく、横島の顔を覗き込むように問いかける。僕ももう一度懐中電灯の光を向けた。油断させて逆に残りの一発で黒川を仕留めようとしているのかも知れない。
しかしやはり横島は小さく笑っている。銃口はしっかり自分に向けていた。
「もう死ぬのがわかったらどうでもよくなった。娘を殺した人間が殺されたってわかって安心したってのもあるな。よく考えたら心残りみたいなもんはなくなっちまったよ」
「警部は単純だなあ」
「お前の方が単純だ。簡単ではないだけで」
「誉め言葉かな? ありがとう」
横島は引き金に指をかけるが、思い直したように途中で止め、拳銃を下ろした。
「どうしたの?」
黒川の声に再び警戒の色が滲む。
「いや」
しかし握られた拳銃は地面に向いたままだ。
「どこを撃てば一番確実に死ぬのだろうかと思ってな。わかるか?」
「うーん。そんなことを言われても……」
「痛いのは嫌だからな」
黒川はしばらく考え、あっ、と思い出したように人差し指を立てた。
「天姫ちゃんが前教えてくれたんだ。一番手っ取り早く相手を殺す方法をさ。脳幹を撃つのが一番なんだってさ。こうやって口の中に拳銃を入れて、少し斜め上に向ける」
実際に黒川は自分の口に指鉄砲を入れた。
「脳幹は中枢神経を司るから、そこが傷つけば人は死ぬらしいよ。痛みも感じず一瞬で。いいセックスをしてくれた相手はいつもそうやって殺すんだってさ」
「そうか。どうせなら俺もあの嬢ちゃんに殺されたかったな。あれは殺し屋としても女としても一流だ。少し幼いが」
それっきり何も言わず、横島は口を噤んだ。拳銃を口の中に入れたから何も喋れなくなった、というほうが正しい。撃ち方の都合上、拳銃を逆さまにしなければならず、撃鉄を起こすのに少し手間取ったようだった。
「警部の遺言は『女子高生と楽しいセックスがしたかった』になっちゃったね」
横島は「まいったな」と言うように苦々しく笑った。
笑っただけで返答はなかった。代わりに乾いた銃声が工事現場に響いた。




