Chapter4:ぼくらはころしや⑥
「何の真似だ?」
「そっちこそ」
互いに銃口を眉間に触れさせつつ、しかし少しも取り乱した様子なく言う。笑みすらたたえるほどだ。まるでふざけた子どもが互いに指鉄砲を向けるようであるが、彼らの手に握られているのは正真正銘本物の銃。人差し指に箸を握るほどの力を込めれば喜々として飛び出した鉛玉が相手の頭蓋を一直線に貫く。弱々しい懐中電灯の光に血の赤が鮮やかに散るだろう。
生唾を飲み込み、一歩後ずさる。靴の底がうるさいくらいに音を立てて砂利を削った。幾度となく修羅場をくぐり抜けてきたであろう二人の間に僕が口を出す余地もなく、それどころか近くにいては自分自身に銃口が向きかねないと察した。
「俺は話があるって聞いてきたんだが」
「僕も話があるって言っただけだけど」
会話の一つ一つが長い。その間の沈黙は本当に世界から音が消えてしまったかのように静かだった。意識せずとも耳は周りの音を拾い集めようとする。ほんの些細な音すらもイヤホンジャックで音楽を聴くように明瞭に聞こえてきた。どちらかが拳銃のグリップを握りしめる音すらも耳に入り、その度に緊張感が体を走り抜けた。
「まあ落ち着けよ。今日は話し合いだけなんだろう」
「そのつもりだけどね。こうやって銃を向けられてる手前、どうしたって銃を下ろすことは出来ない」
軽快な調子で発せられる会話が、心臓を締め付ける。今までに感じたことのない緊張感だ。殺しの現場にはいくらでも立ち会ったことはあるし、銃で脳天を撃ち抜くよりも凄惨な現場だって見たことがある。それにもかかわらずここに感じる緊張は今までのものとは違った。
僕には呼吸すらもし難くなっているというのに、薄暗い視界の中で、黒川と横島は互いの腕が始めからその形で固定されたかのように銃を向けあっていた。へし折らない限り一生下げられることはないのではないかと思えるくらいだ。
「平和にいこうや」
「そっちこそ」
言葉とは裏腹に彼らの指にこもる力は強くなっていく気がする。
自分の唾を喉奧に落とし込む音が頭のなかに響いた。
腕時計が普段なら気にすることもない微細な音で時間を刻み続け、ぼんやりと闇の中に文字盤を映し出した。真っ暗の中に浮かぶ緑色の線は心電図を思い出す。この規則正しい秒針の音が途絶えることはすなわち彼ら二人のうちのどちらかが死ぬ、ということなのかも知れない。
秒針の音が途切れるよりも先に横島が痺れを切らしたように低い声を漏らした。
「同時に銃を下ろそう。そうすれば文句はないだろ」
「なるほど。合図は?」
「三つ数える。いいな?」
「三つね」
横島は息を吐き、小さいがしかし良く通る声で「三、二、一」と数えた。何があっても動かないように思えた銃が、ゆっくりとその照準を下げていく。発砲の機会を逃すことに項垂れているようにも見えた。
しかし、黒川は平然とした顔で銃を横島の額に向け続けた。
「お前……」
慌てて構え直そうとする横島。しかし黒川の手が横島の拳銃の動きを制した。
「僕は一言も銃を下ろすなんて言ってないんだけどな」
「そりゃあ卑怯だな」
黒川はリボルバーの銃口をぐっと横島の額に押しつけた。
「ま、冗談だけどね」
薄く笑みを浮かべ、黒川はすんなり銃を下げた。
「冗談だってのはわかってたがな」
震える笑い声で横島は強がったが、懐中電灯の明かりに、彼の額に浮かんだ汗玉が照らされていた。
「警察はこういう時いつも卑怯だからなー。警部を試させてもらったんだよ」
「俺にはお前の方が随分と卑怯に思えるがな」
「どっちもどっちって奴だね」
器用に指で拳銃を回すと、黒川は見事にホルスターに収めるようにベルトとズボンの間へ拳銃を挟んだ。西部劇のガンマンという古くさい表現が頭に思い浮かぶ。ここは夕日に染まる荒野でもなければ、黒川はガンマンなどという格好いい存在ではなかったが。
しかし彼は唯一の武器である拳銃をしまってどうしようというのだろうか、と僕は疑問を抱く。そもそも横島警部と話し合うことなど彼にはない。強いて言うなら「死んで下さい」という依頼の文句と「さよなら」という別れの文句くらいだ。
「ほら」
僕に悪意はないよ、と主張するように黒川は両手を広げた。殺意に充ち満ちた人間がするには随分と似合わないポーズである。しかしお世辞に言っても横島は黒川が素手で立ち向かえるほど柔な人間ではない。素手ならプロの格闘家でもない限り一蹴できそうな体格をしている。黒川には何か隠し武器でもあるのだろうかと何の変哲もない袖口や懐を凝視してしまう。
「攻撃の意図はない、ってか。そうかい、なら」
咳き込んだのか笑ったのかわからない声を発して、横島は再び拳銃を黒川の額に向けた。
「は?」
驚きの声を漏らしたのは黒川ではなく僕だった。平和的に事が進むと思っていた矢先、突然また元に戻った。しかし黒川に動揺の気配は無く、多少驚いたように目を見開きはしたがあとは澄ました顔で銃口を見つめていた。
銃を向けているのは横島だけではなかった。どこに隠れていたのか、あるいはずっとそこにいたのに暗闇のせいでわからなかったのか。黒川の横にはスーツを着た男が二人立ち、彼を挟んでいた。その手に握られた拳銃は黒川の両方のこめかみにピタリとくっついている。
そして今度は何か強い力が僕の肩当たりを後ろから掴んだ。反応する間もなく腕の関節が変な方向へ捻られ、抵抗できない状態でつま先立ちになった。
「な、何すんだよ」
首を何とか捻って自らを締め上げる者を見た。横島の懐中電灯のお零れに照らされ、辛うじて見えた顔はモアイ像に似ていた。長方形の輪郭で、部分部分が角張っている。
モアイ像にはない黒目がぎょろりと動き、威圧するように僕を見下ろした。一般人には見えなかったが、かといってただの強盗や犯罪者にも見えない。警官だな、と判断した。横島とグルだ。
「すまんな、卜部」
「なんすか、これ」
ちょっとでも抵抗すれば相手は倍の力で腕を捻り上げてきて、普段なら痛まないようなところに鈍痛が生まれた。モアイ像に似つかわしく、僕の腕を捻り上げる指もまたゴツゴツとまるで骨が剥き出しであるかのようだ。
何度か抵抗してみて、これは無理だと諦めた。そもそも身長百七十センチの僕を見下ろすような男で、おまけに全身が岩のように角張って硬い。腕を締め上げる指もそうだし、後頭部に当たる胸板もまるで石版だ。並大抵の人間よりも力を持て余しているのは明らかである。
「今黒川の命は俺の人差し指に左右される状況だが」
淡々とした低い声で横島は拳銃をゆらゆらと動かした。気分はどうだ、と黒川の目の前で手を振るかのようだ。
「正直こいつは何をするかわからない。だから一応君を人質に取らせてもらったというわけだ」
警察は卑怯だからな、という黒川の声が頭のなかで再生される。
「やっぱ卑怯じゃん」
状況を理解しているのかしていないのかわからない間延びした声で黒川が言った。




