Chapter4:ぼくらはころしや⑤
不意に目が醒めた。見慣れぬ部屋に疑問が浮かび、しかしすぐにラッキーマートの地下だということを思い出す。
ポケットに入れていたスマホで時間を確認する。暗闇に慣れきった目に画面の光は痛いくらい眩しい。時刻は午前二時半。結局、と言うべきか案の定と言うべきかたいした会議にはならなかった。適当な三十分程度の話し合いはあった。しかしすぐに天姫が部屋の隅のテレビとゲーム機を見つけ、黒川が乗り気になって格闘ゲーム大会と成り果てた。試合は休みなく延々と続けられ、流石に眠くなった僕は執拗に引き留める黒川を振り払って眠り落ち。そうして冷たい床の上に目覚めたというわけだった。
散らかった部屋の真ん中で体を起こし、大きく伸びる。バキバキと全身の関節が小気味よく鳴った。部屋の暖房が点けっぱなしだったのは幸いだった。そうでもないと凍死も免れなかったかも知れない。
酷い有様だ。コンビニのフロアから持ってきたお菓子や飲み物がほとんど食べかけの散乱し、まるでゴミの絨毯のように仕上がっている。立ち上がって一歩でも動けば足の裏がスナック菓子を軽快に潰した。電源が入りっぱなしのテレビは、格闘ゲームの画面のまま止まっている。
世界各国の猛者達が自分たちの国の格闘技で戦うというテーマのゲームだ。ぼんやり発光する画面の中では、黒川の操っていたロシア人キャラがひたすらキレのあるコサックダンスを繰り返していた。
適当にゴミを除けて道を作り、ひとまずテレビの電源を切る。キャラクターの雄叫びはは不意に息絶えるようにして途切れた。
振り返って床を見下ろすと、ゴミの合間に死んだように眠る人間が二人。黒川と天姫は限界ギリギリまでゲームをやり続けていたらしく、両者ともにコントローラを握りしめて寝ていた。ゲームに熱中している最中に急に意識を飛ばしたような、実に寝づらそうな体勢だ。天姫に至っては制服のスカートが半分近くめくれている。そっとそれを直してやり、僕は自分の座るスペースを確保して床に腰を下ろした。
「……!」
ヨガでもやっていそうな体勢で寝ていた黒川が弾かれたように瞼を開けた。
「トベミネくん!」
「はい?」
唐突に名前を呼ばれ、反射的に返事をする。
「アシモフ! ロシアンルーレットハンマーだ!」
脈絡もない叫びは静まりかえった部屋に不気味に響く。それだけを言い残すと黒川はまた床に仰向けになった。
アシモフは格闘ゲームで黒川がよく使うロシア人のキャラクター、ロシアンルーレットハンマーはそのキャラクターの必殺技で、六回に一回しか成功しないという酷い技だ。
目をやったテレビの中ではそのロシア人がウォッカの瓶を振り回しながらコサックを踊っていた。黒川に意識があったのかなかったのか確認する間もなく、僕は再び訪れた睡魔に負け、床に突っ伏した。
○
「ホントに来るんすかね?」
「来なかったら殺すから」
「来ても殺すじゃないっすか」
和久田の依頼を受けた三日後。暗闇に浮かび上がる蛍光緑の文字盤は午後一〇時を指している。刺すような冷気が顔に痛い。鼻の奥が凍りそうだ。二人ともジーンズとTシャツに薄手のコートを羽織っただけの恰好で、真冬の、それも夜中に外出するには装備不足もいいところだった。
ラッキーマートから五分程度歩いたところに、数年前から作業が遅々として進まない工事現場がある。マンションが出来る予定だそうだが、今はその姿を想像も出来ない。鉄骨も足場も剥き出しの、幌を被ったただの遮蔽物。限りある土地を無駄にして、近隣住民への日差しを遮るくらいしか能がない。
黒川と僕がいるのはその暗い工事現場の奧。やる気なく首をもたげるショベルカーや、異臭を放つ簡易トイレが放置された一角だ。元々中庭か何かになる予定だったのか、拓けた場所なので周りを気にせず事に及ぶことができる。困ったのは恐ろしいくらいに真っ暗だということだけ。僕は店から持ち出した非常用の懐中電灯を点けるが、今にも死にそうな光り方である。せめて工事現場の作業灯が使い物になれば、と期待してみても、懐中電灯で照らした先のそれは目を逸らすようにそっぽを向いてちらりとも光らない。
隣り合う人の顔すらも見せない闇と、体を芯から固めていくような寒さは、まるで冷蔵庫の中にでもいるかのような気分を味わわせた。懐中電灯と同じく店から持ってきたカイロは、期限が切れているのかまるで役に立たない。手を擦り合わせていた方が暖かいくらいだ。
「……天姫来ないんすね」
「数学の宿題が終わらないんだってさ」
「あいつも一応女子高生やってるってことっすかね」
「そうだねー。凄腕の殺し屋も勉強と教師には敵わないようだね」
「色仕掛けでどうとでもしそうっすけどね」
「数学教師はゲイらしい」
待ち人が来るまでの時間は、寒さのせいか異様に長く感じた。くだらない事でも言って絶えず口なり体なりを動かしていないと、あっという間に体が凍ってしまう気さえする。
震えた指が誤って懐中電灯のスイッチを切った。
「あ、ちょっと何も見えないよ」
「すみません。今点けます」
指をスイッチにかけて、しかし離した。
「点けてよー」
「どうせ横島警部が来るまでいらないっすよ。彼も懐中電灯くらい持ってるだろうし」
一切の明かりが絶えたここにいると、体は闇に深く深く沈んでいく。寒さが段々と感覚を消していって、街の喧騒も風の音も、飛ばされまいと抗うように喚く幌の音も遠くなっていった。不思議な感覚だった。この場が世間から切り離されていき、そしてどこでもない空間に変わっていく。何が起きても決して咎められることのない異様な空間へと。今まで現場に感じたことのない雰囲気だ。殺す者と殺される者。これからこの場にある構図に変わりは無く、いつもと同じだというのに、今日だけは違う。
妙な不安のようなものが僕の周りを漂っていた。
「おう、待たせたな」
風の音に混じって低い声が聞こえた。ゆらゆらと揺れる懐中電灯に引かれてようやく横島警部はやってきた。砂利を踏みしめる革靴の音には躊躇いがなく、これから自分の身がどうなるかなど知らない。
彼は背広を着崩しコートを身に付け、首元には暖かそうなマフラーを巻いていた。懐中電灯を握る手には革製の手袋まではめている。ぼくたちは自分たちの恰好が随分と薄着だったことにようやく気がついた。
「ライトも点けず、しかもそんな薄着とはな。お前らバカか?」
「警部が時間通りに来ると思ったから、近所だったし薄着できたんだけどー。あとライトはトベミネくんが消したから。バカなのはトベミネくんだけ」
ぼんやりと闇に浮かんだ顔は恨めしそうに横島を睨んでいた。
「遅れたのはすまなかった。すこしばかり会議が長引いてな」
「ホントは風俗にでも行ってきたんでしょ?」
「お前と一緒にするな」
やれやれ、と横島が吐いた息は懐中電灯の明かりの中で白く凍る。僕は悴む手で口元を覆って何度も熱い息を吹きかけた。しかし吹きかけた側から手は冷たさを取り戻していく。認めたくはないが、この恰好は馬鹿だった。
不意に横島は懐中電灯を消した。頼りがいのあった細い光がなくなり、再び辺りは闇に落ちる。暗闇に慣れた目は相手の輪郭のようなものを微かに捉えるが、それ以上のものは見ることが出来ない。風の音だけがやけに大きく聞こえる。
「何で電気消したのさ」
「俺が来るまで電気消してただろ。丁度良いじゃないか」
「何が丁度良いのさ。それに電気消したのはトベミネくんだよ」
黒川らしき黒い影がもぞもぞと動いた。こちらを向いたのかも知れない。
「暗闇も悪くないぞ。見ろ、星が綺麗だ」
僕は横島の言葉に空を見上げる。夜空に散るのは目を離した隙に消えてしまいそうなものが二、三。指先にこびり付いた星を適当に空へ弾いたかのような粗末な星空である。
「電気つけてよー暗いの嫌なんだよー」
「まあそう言うな。目が見えないと普段聞こえない音まで聞こえるものだ」
か細い風の音、足下の砂利の音、ベルトでも着け直すような金属音。遠くどこかからか客引きのもののような声も聞こえる。耳一杯そばだててみれば近くの民家の団欒の音も聞こえるかも知れない。
しばらく三人は些細な周りの音へ耳を澄ませていたが、やがて言い出したはずの横島が、飽きたのか、口を開いた。
「まあこれくらいで本題に入ろうか。なぜ、こんなところへ俺を呼び出したのか、という本題に」
不意の声には背中が跳ねる。どこにいるのかもわからない横島の声へ、これまたどこにいるのかもわからない黒川が反応した。
「本題に入ってもいいけど、その前に電気を付けて欲しいな。暗いの嫌いなんだよ、僕」
「それもそうだな」
カチッ、というスイッチの入る音がはっきりと聞こえ、頼りがいのない光が暗闇に割き入った。弱々しく細い光だが、それまで黒一色に塗りつぶされた視界がまるで夜から昼に転じたように明るくなった。誰がどこにいて周りに何があるのかがはっきりとわかった。
そして僕は、黒川と横島が互いの眉間に拳銃を突きつけ合っている光景を目にした。




