Chapter4:ぼくらはころしや④
「依頼はいつから受けてたんすか?」
握ったデッキブラシを強く床に擦りつける。すぐに元の白に戻っていくが、何より飛び散った量が量だ。全てを真っ白に戻すには大分時間がかかりそうだ。
「うーん、と。あの子、ビッチ女子高生が依頼に来た日」
「澄奈さん?」
「そうそう。あの子の前に受けたの。娘を殺した殺人鬼を殺してくれ、ってね」
パイプ椅子にふんぞり返っていた黒川は、オールバックに櫛を入れる手を止め、床に付着していた薄ピンクの塊を摘んだ。かと思うと「うぇっ、脳みそじゃん。きっもー」と言って適当に投げ捨てる。暇そうに座っているだけならまだしも、こうやって更に汚くしていくからこの男はたちが悪い。今投げた臓物を口に押し込んでやろうか。そう頭のなかで毒を吐きながら、黒川の投げたそれを拾い上げてゴミ袋に入れた。
「娘さんは最初の被害者だったそうだよ」
死体はブルーシートで包み込んで部屋の隅に転がっている。処理は後ほどその手の連中に依頼する予定で、それまでは放っておく。下手に弄って余計なものが溢れるのは面倒だ。
不意に例の中年女性の姿が思い浮かんだ。色あせた部屋着を着てやってくる女性は、いつも彼女に似合わない趣味のものばかり買っていった。ファッション誌や、化粧品。あの女性を初めて見た日は、そう確か山村澄奈からの依頼を受けた日だ。丁度澄奈と入れ違いだった。
「……あの人だったのか」
いつの間にか常連になっていたあの女性こそが今回の依頼主だったのだ。
「何か言った?」
「何でもないっす」
デッキブラシを置いて、雑巾で床の血を擦る。
ようやく合点がいった。彼女の買い物は、和久田によって無残に殺された娘のためだったのだ。仏壇にでも飾っているのだろうか。もう二度とオシャレを楽しむことの出来ない娘を無念に思って。あるいは彼女がまだ生きていると思い込もうとしたのかも知れない。どちらにせよ僕には関係のないこと。そうわかっていても心に引っかかる。それはまだ自分が正常な人間である証しなのかも、と小さく思った。
ようやく全ての汚れを綺麗にして定位置に腰を下ろす。壁に背を預け、デスクでリボルバーを拭いている黒川を見た。拳銃は自分の手で掃除したかったようで、鼻歌交じりに手がリズミカルに動いている。
「横島警部は殺すんすか?」
「当たり前でしょ。前払いだし」
「でも依頼主は死んだっすよ。正確には殺されたっす」
「依頼主はね。でも依頼は死んでない」
片目を閉じて黒川は銃口を覗き込む。部屋の掃除は人に任せるくらい面倒くさがりのくせに、殺しになると極端なくらいこだわりと美意識を持つ男だ。
「警部がいなくなったら店も何かと不便なんじゃ?」
「まあねー。警察の後ろ盾がないのはねー厳しい。 けどまあ依頼は受けちゃったししょうがないしょうがない」
手入れを終えた拳銃を引き出しにしまうと、黒川は机を両手で押しつけるようにして立ち上がった。
「まあ! 横島警部を殺すとか殺さないという次元の話はしても無駄! 殺すのは確定事項だからね! それとも何かね? トベミネくんは横島警部に死んで欲しくないと思うのかな? 特別な感情でも芽生えた?」
「死んで欲しくないか死んで欲しいかで言ったらそりゃあ相手も人間っすし、俺も人間っすから死んで欲しくないっすよ」
「頭おかしいんじゃない?」
「そっくりそのままお返しするっす」
「まあ君が何と言おうと僕はもう依頼を受けましたから、殺します! 反論するなら君を殺して反論を根本から叩き潰すよ」
血だらけのノコギリを振りかざし黒川は宣言した。和久田の残していった道具はどれもこれも使い勝手が悪いが故に、その刃にかかりたくはない。切れ味の悪い刃物ほど悪趣味な殺しの道具はない。
「まあ俺は任された仕事をするだけっすから」
「うんうん。偉い。君はやっぱり優秀な人材だ」
黒川は腕を組んで大仰に頷く。
「そこで警部を殺すにあたってなんだけども。やっぱり彼は殺しの一ターゲットである前に、殺し屋屋ラッキーマートの常連客であるわけだよね」
「そうっすね」
「だからこそ僕は彼に関しては他の殺し屋に頼らず僕自身の手で殺してあげるべきだと思うのよ。それが常連さんに対するお店からの精一杯の誠意だよね」
机から身を乗り出した黒川の目は爛々と輝いている。
長年利害をともにし力を供給しあっていたいわば相棒とも言える相手ののど笛を避ける喜びを噛みしめるように黒川は笑みを見せた。彼にとって殺しの障害は多ければ多いほど魅力的に写る。物理的であれ精神的であれ、それを乗り越えた暁の断末魔は耳にこの上ない快感をもたらし手足は思わず痺れる、と。人が知恵を付けて忘れてしまった原始の快楽だ、と黒川はいつもきざったらしく口にした。
「そこで急遽緊急対策会議を開きたいと思う! 如何にして警部を殺すか、この話題について僕とトベミネくんの洗練された知恵を出し合おう!」
すでにペンとメモ用紙とを用意し、黒川はやる気満々。まだ半分以上は一般人である僕に何を求めているか知らないが、炸裂する黒川の多彩な案を適当に肯定していれば良いだけなのは楽なものだ。
「さあ、始めようか」
と一体どこにしまっておいたのかわからないホワイトボードを黒川が引っ張ってきたところで、換気のために開け放していたドアの向こうから階段を下りてくる音が聞こえてきた。コツコツと硬い足音が狭い階段をこちらに近付いてくる。
「こんにちわー!」
ふわりとした笑みとともに現れたのは制服姿の天姫だった。学校帰りなのかスクールバッグを片手にローファーを軽快に鳴らして部屋に入ってきた。
見る男見る男を絡め取るような彼女の登場に、黒川はポケットから取り出した櫛で髪を梳いてオールバックを整える。
「何しに来たんだ?」
強がるように僕は言った。
「これを黒川さんとトベさんにお渡ししたくて」
んふ、と天姫の顔に浮かんだ愛嬌のある笑みは殺し屋として男に迫る時のものではない。
アイドル、日村アリアとしての媚びを売るような笑みだ。差し出されたモノを見て僕は納得がいった。
「CD?」
「正解でーす! このたびアインシュタインのセカンドシングル『アインシュタインホルスタイン』で私日村アリアはセンターポジションを獲得しましたぁ!」
誇らしげに言った天姫にパラパラと拍手が飛ぶ。僕は天姫と目を合わせず、黒川だけが手を叩いていた。
「ちなみにこれで二回連続センター抜擢です!」
「……お前意地悪いな」
「えぇ? そんなことないですよー」
天使のような表情の裏に悪魔のような性格が覗ける。
「そう言えば黒川さんいつからアインシュタイン好きになったんすか? この前は反応微妙だったじゃないっすか」
拍手を続ける黒川に訊ねた。
「好きになるのに理由も過程もいらないんだよ」
「……はぁ」
「人はある日突然好きになるんだ」
黒川は大事そうに貰ったCDを引き出しにしまう。僕の分も一緒にしまった。
「この間の車市民体育館のミニライブも勿論見に行ったよ!」
「わぁ! ありがとうございます! でも黒川さんなら、事前に私に言ってくだされば良い席をタダで取りますよー」
「え! ホントに! やったよトベミネくん!」
小躍りしかねないくらいに嬉々とした声をあげる。狭い地下室に耳が痛くなるほど黒川の声が響いた。喜びを共有しようと詰め寄られても、僕はどうにも反応できない。
「その代わり……」
そっと唇を黒川の耳に寄せて天姫は囁く。
「お仕事いっぱい下さいね」
「ま、任せて! じゃんじゃん天姫ちゃんにお仕事あげちゃう!」
オールバックがだらしなく前に崩れる。今まで見たこともないくらい間抜けな面を晒して黒川は椅子に腰を下ろした。崩れ落ちたというのが正しいかも知れない。腰砕きの甘い囁きを耳に受け、まるで背骨をごそっと引っこ抜かれたかのような脱力っぷりである。
「そう言えばなんか血の臭いしますね……」
僕は鼻を動かす。丁寧に掃除をしたつもりだったが、まだ鉄臭さが残っているのか。
「血の臭いというか血の気配というか? ああ、誰かここで死んだなっていう……あれです。第六感ですね!」
「天姫ちゃんご明察! 実はさっきまでここにビッグゲストがいらっしゃったのさ」
「ビッグゲスト?」
「ほら、天姫ちゃんも知ってるでしょ? 東糴州螺連続殺人事件」
「ええー! すごいじゃないですか! あー私ももう少し早く来ていれば! もしかして今お二人が話してたのってそれに関することですか?」
「うーんまあ関係するっちゃするね」
とりあえず座りなよ、と黒川は促した。天姫には側にあった来賓用の良い椅子を、僕は愛用のボロボロのパイプ椅子を引っ張ってくる。座ろうとしたところで黒川は「茶を淹れろ」と目線を寄越した。
望み通り茶を淹れて、黒川のティースプーンはきちんと和久田の耳に突っ込んだものにして、デスクに並べる。何も知らないまま和久田の血も飲んでしまえと僕はほくそ笑んだ。
「実は横島警部を殺す依頼が来てね。どうやって殺そうかトベミネくんと話し合おうとしていたところだったんだよ」
「それはいい殺し方を考えた方が殺しの権利を与えられるという感じですか?」
「いやいや。もう殺すのは僕に決まってるんだ」
僕は殺し屋ではないのだ。アイデアは出せないし、アイデアを実行する勇気など身体のどこをまさぐっても出てない。
「えー私じゃダメですかー? これでも横島警部とは縁が深くて」
「でも僕を介しての縁でしょ? そしたら僕の方が付き合い長いしさー。それに彼とはお互いの弱みを握り合った仲だもの。最後は大親友の僕がやらないと」
「さっき私にいっぱい仕事くれるっていったじゃないですかー」
「ダメなものはダメだよ」
いつの間にか黒川はコルトパイソンの銃口を天姫の額に触れさせていた。黒い銃身が真っ直ぐに黒川の手元から伸びる。この男に無理は通らない。
「おっと、天姫ちゃんその化粧ポーチはしまってね! 見えてるよ」
顔色一つ崩さずスクールバッグに忍ばせた手はしっかりと水玉模様の化粧ポーチを掴んでいる。少女らしい可愛げのあるポーチだが、中身までもが可愛いと化粧品とは限らない。
「……わかりました。ちょっと可能性に掛けてみただけですよー」
「安心安心。こんなつまんないことで天下無双のアイドルを殺したくはないし、折角シリンダー残った一発も使いたくなかったからね!」
「殺しはさせてくれなくても、もしいい案出したら採用してくれますか?」
「それは勿論!」
天姫は化粧ポーチをバッグに収め、黒川は安っぽいホワイトボードマーカーを手に取った。キャップを外すと、蛍光灯の明かりを受けて光るホワイトボードにマーカーを走らせる。目がくらくらするほど濃い黒で書かれた字は、恐ろしいくらいに汚かったが、辛うじて『横島』という文字と『殺害』という文字は読み取れた。
字の汚さのせいで酷い目にあったのを思い出し、僕は少し寒気を覚えた。あの時は本当に死にそうになった。
「まあのんびりとね。でも斬新な殺害計画を考えよう。どう頑張っても同じ人は一度しか殺せないからね」




