Chapter4:ぼくらはころしや①
ラッキーマートに休憩という概念はない。
店員が実質二人しかいないという人手不足も理由の一つではあるが、何よりこの店は接客に慌てふためくほど混むということがない。僕の入店当初からの記憶を引っ張ってきても、そこにあるのはがらんとした店だけだ。天気のせいか、店員のせいか、記憶の中の店はモノクロじみている。マネキン人形の様にポツンと立ち尽くす緑川に、店員型レジスターとも言える僕。一日に数回は澱んだ空気を纏った客が訪れ、適当に何かを買っていく。僕がラッキーマートで働き出してからの全記憶を映像化して引き出せるようになったとしても、そこに映し出されるのは手元に広げた新聞記事ばかりだろう。
営業時間の九割は、つまるところ暇である。だからこの店に休憩が定められていない。仕事の九割が休憩のようなものだ。お腹が減れば適当に陳列棚から食品を持ってきてレジに座りながら食べ、後は新聞や週刊誌を読みながら時間を潰し、合間に客を捌く。
今日も今日とて右手に新聞、左手には新発売の天ぷらうどんサンドを持ちながら僕は自室にいるかのごとくレジに座り込んでいた。
サンドウィッチを二口かじり、広げた新聞に目を落とす。
僕とピースが関わった一件は見事に修正されていた。二人の名前はおろか、殺し屋という文字さえも記事の中には登場していない。荻臼組と萩白組のシマ争いというありそうな事実がでっち上げられ、互いの組の若い衆が同時の互いの組の事務所を襲撃、双方ともに相打ちという結末になった、と嘘みたいな記述で締めくくられていた。実際嘘なのではあるが。この一件が横島警部の差し金なのは間違いなく、記者は金で釣られたか妻子を人質に取られたかしてキーボードを叩いたのだろう。黒門会の面子を落とす内容なのは疑いようもない。しかしだからといって僕には、こんな適当な記事を全国ネットの新聞に掲載した記者の今後にまでに考えを巡らせるつもりはない。
咀嚼したパンと天ぷらうどんを飲み込んで新聞を捲ると、彼は気になる記事を見つけた。
「……へえ」
と感心の声が漏れる。
『東糴州螺連続殺人事件、犯人判明か』
ここ一ヶ月近く東糴州螺を震撼させてきた連続殺人事件は、これまで全く進展がな
かった。証拠はが増えない一方で、惨殺された死体だけが積み重なっていく。決まって殺されるのは若い女性ばかりであり、そこに何らかの性的倒錯が見て取れるのは明らかなのだが、現に今の今まで犯人に繋がるような証拠は何も見つかっていなかったのだ。この犯人の正常ではない犯行に、全国のフェミニストの過激派たちが怒り狂ったか理性を失ったかして『男はみんな死ね』などというとんでもない主張を叫び出す始末だった。
日頃殺しに関わっている僕だが、いや僕だからこそこの殺人鬼の犯行を擁護するつもりはない。黒川たちのは仕事で、この殺人鬼の場合はただの道楽。殺し屋は理性と秩序をもって人を殺すが、殺人鬼は本能と衝動で人を殺す。彼らは近しい他人だ。
ともあれ糴州螺署もようやく仕事に精を出し始めたということだ。直に犯人も捕まるだろう。そうすれば、この事件を期に芽生えた黒川の変な趣味もなくなるかも知れない。
黒川白介という男は定期的に変な趣味に目覚める。ある時は缶コーヒー全種類コンプリートに燃え、ある時は泥酔した人間が家に帰るまでに何回吐くのかを調べ、またある時は糴州螺の住民全員の名前を覚えようとした。
しかし今回のはそれを軽く凌ぐとびきり変な趣味だ。いや、変、だけで片付けるには問題があるほど異常で猟奇的である。以前偶然に散歩中に女性の腕を拾った時から、彼は殺人鬼の落とし物を拾い集めるのが趣味になっていた。事件の情報を入手すると、ビニール袋とゴム手袋を携えて意気揚々と出かけていく。まるで野菜つかみ取りセールに出かける主婦のようで、事件現場に人体パーツを探しに行くようには思えなかった。「頭、腕、足、胴体全部違う人のパーツで出来た人がいたら面白いでしょ」とは僕の問いに対する黒川の返答だ。地下の冷蔵庫には腕が四本と足が二本、それから胴体が二つ保存されているのを僕は知っている。どれも綺麗に洗浄されていて、不気味さはあっても不潔さはない。
そんなことを考えながらいると、自動ドアが開いて客が一人入ってきた。
新聞を捨てて、パンをポケットに突っ込むと僕は軽快に挨拶を飛ばす。
本日初の来店は、いつもの中年女性だった。ラッキーマートのロゴが入ったカゴを手に、いつも決まってそうしているように雑誌コーナーを見てまわる。奥では、彼女
に気がついた緑川が深々と頭を下げていた。
レジに座り直し、再び僕は天ぷらうどんサンドを頬ばった。殺人犯の逮捕は東糴州螺の住民への朗報だが、黒川にとっては趣味を途中で断念しなければならないという残念な結末かも知れない。僕は当然一般市民であるから、黒川の趣味など今し方口の端からこぼれ落ちていった天かすよりもどうでもいいことだった。
しばらくして女性がレジへ持ってきたカゴの中には、案の定彼女の趣味ではなさそうな雑誌や化粧品デザートの類が沢山入っている。娘にでも買っていってやるのだろうか。人の趣味はそれぞれとはいえ、この沈んだ顔の女性が若手アイドルに黄色い声援を送る姿は想像できない、と雑誌のジャンコードを読み込みながら僕は勝手に思う。
「ありがとうございましたーまたお越し下さいませー!」
丁寧に頭を下げて女性を見送ると、さて、と一息吐いて捨てた新聞紙を拾い上げた。
拾い上げた所で自動ドアが来店のメロディを奏でた。珍しい連続来店である。新聞に伸ばした手を引き、僕は客に笑顔を向けた。
駆け込むようにしてやってきたその客は、薄汚れた灰色のパーカーとスウェットを身に付け、口元をマスクで覆っていた。パーカーのフードを深々と被り、顔はほとんど分からない。辛うじて濁った目がフードの下にちらつく程度である。だが骨格と、荒い息とともに発せられた声で男だというのはすぐに分かった。
同時に、あまりに不審な風体に僕は眉をひそめた。
「……ラッキマートで合ってるか?」
随分と低い、押し殺したような声。ボロのボストンバックをカウンターに置くと、男は中から文庫本くらいの厚みがある封筒を取りだした。
コンビニを利用しに来た客ではないと瞬時に判断した。
「合ってますけど……いかが致しました?」
「殺し、やってくれるんだよな」
あまりに直截な物言いに思わずたじろぐ。
「なあ、殺し、出来るんだよな」
鼻頭同士が触れ合うくらいに男は顔を近づけてきた。汗と公衆トイレのようなの異臭が鼻につく。
「おでん具無しマスタード多め、でよろしいですか?」
「なんだそれ。意味わかんねえことと言うんじゃねえ」
「……ですからおでん」
「金ならあんだよ!」
男は手にしていた封筒をカウンターに投げ置いた。突然の怒鳴り声と音に僕はびくりと肩を震わせたが、側でモップ掛けをしていた緑川は顔を上げさえしなかった。
「五百万ある。殺しを依頼したいんだよ。やってくれるんだよな」
震える手で男は封筒から札束を抜き取り、カウンターに広げる。白い帯でまとめられた一万円札の束が五つ。辺りを憚らない男は、僕が折れるまでしばらく「殺してくれ、今すぐ殺して欲しい奴がいるんだ」と連呼し続けた。




