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第7話 「正気と狂気」

「そんな…そんなことが許されると思ってるのか!人間がそんなことまでしていいと思ってるのか!生命を冒涜している!」

 明の声は震えていた。

「許されるのか、ですか。それは一体誰が決めるのですか?では、遺伝子組み換えってのはどうなんです?あなただってそういう食材を食べたことがあるでしょう? あれは生命の冒涜ではないのですか? それにクローンはどうです? まあ、さすがに人間は認められてないようですが、羊やら猿になら認められています。それでも私の脳内整形を生命の冒涜だといえるのですか? あなたもさっき待合室を見たでしょう? あれだけの数の人たちが、心の苦しみから解放されるために、私のところへ脳内整形手術を受けに来ているんですよ」

 明は混乱した。しかし、到底そんなことは認められない!

「しかし…あなたがどう言おうと、脳内整形なんてものは聞いたこともないし、まだ認可されていないはずだ! 法律があなたを許さないぞ!」

 そういうと、佐々木は軽くため息をついた。

「まあ確かに、法的にはまだ認められていませんね‥‥表面上は。でも、裁判をしたって私は負けることはないでしょう。というより、起訴されることもないと思います。なぜなら、私は多くの裁判官や検察官をすでに脳内整形していますから。その中には最高裁の裁判官さえいました。彼らは人の手で同じ人を裁いていいのか、ということにひどく苦しんでいたのです‥‥あなたにわかりますか? 犯罪者とはいえ、被告の一生が自らの采配しだいで決まってしまうことのプレッシャーが‥‥そして、もしかしたら有罪を下したあの被告は無罪だったのかもしれない、という疑いを抱きながら生活するつらさが‥‥正直私にもその苦しみはよくわかりませんが、とにかく私は彼らをその苦しみから脳内整形をすることで解放してあげました。彼らは何の苦しみもなく、死刑も下せるようになったのです。しかし、彼らは自分が違法な手術を受けたことが世間に知れたら大変ですから、きっと私が裁判沙汰にならないように妨害工作をしてくれるはずです」

「そんな‥‥あ‥‥あなたはそんなことをして正気でいられるんですか!」

 もうこの男を説得するには良心に訴えるしかない。そんなことが効果ないだろうことはすでに分かりきっていたが、明は言わずにいられなかった。

「正気でいられますよ。まあ確かに過去に一度苦しんだ時期はありましたが。もうそれも過去のことです。そんなことより、あなたは遥さんの傷を消すためにここにきたんでしょう? 脳内整形ならそれができる。遥さんの脳に手術を施すことによって、自分の視覚には、額の傷跡が認識されないようにすればいいだけです。どうですか? 脳内整形の素晴らしさが、おわかり頂けましたでしょうか」


 明は怒りに震えた。

「ふざけるな! 遥にそんなことをさせてたまるか!」

「そうですか。それならそれでも構いませんが。そうだ、じゃあ試しに斉藤さん、あなた脳内整形やってみませんか? 絶対に気に入っていただけると思うんですがね」

 明は心底あきれた。この男は俺にまでこんな馬鹿げた手術を受けさせようとしているのか。

「もう、いいかげんにしてくれ。こんな狂った場所にはもう一秒だっていたくない」

 明がそういうと、佐々木の目の色が少し変わったような気がした。

「あなたはどうしてそこまで私の脳内整形を否定するのですか? これは世の中の全ての人達の悩みを解決できる人類史上最高の技術といってもいいのですよ。私にはあなたの考えが理解できない」

「脳を都合よく改造するなんて正気の沙汰じゃない。そんなものを受けた人間はもはや人間ではない!」

 明は大声を出しながら、その怒りがますます増していくのを感じた。

「人間ではない? では、あなたは何をもって人間というのですか? では、私の手術を受けた人間は何だというのです? 遺伝子的に見ても間違いなく人間でしょう? あなたの言う人間とそうでないものとの境界線とは何なのですか」

 佐々木は明に詰問する。

「それは‥‥それは心だ! 人間らしい心を持ってこそ人間というものだ! 脳をいじくって作られた偽物の心など人間とは言えない!」

 明は思ったままを叫んだ。佐々木は冷たい声で応答する。

「偽物?そもそも人間の心などというものは、厳しい自然環境の中で生存競争を勝ち抜いていくために進化の過程で作られたものに過ぎないでしょう。遠い昔から人間は、そのひ弱な肉体をカバーするために頭脳を肥大化させてきた。そして、群れと呼ばれる共同体を強化させるために意識というものを作り出した。ですから、喜びも、悲しみも、怒りも、罪悪感も、愛も、人間という種が生き残っていくために生み出された幻に過ぎないのです。しかし、現代では人間を助けるべき『意識』が逆に複雑化しすぎて、無用な苦しみやコンプレックスを感じたり、他人を蹴落とす人間を増やすような働きをするようになっている。自殺、引きこもり、いじめなども意識の複雑化が原因なのです。私は『意識』の本来持つべき役割を蘇らせるために脳内整形の研究を始めたのです」

「訳のわからないことばかりぬかすな! 人の心というものはそんな理屈でばかり片付けられるものじゃない! あんたは愛さえもわからないのか。本当に淋しい人間だな」

 明は嘲るように言い捨てた。

「淋しいなどという感情は私にはわかりませんが、先ほど申し上げたように愛など意識が作り上げた幻に過ぎません。」

 こいつは完全な狂人だ。どうすればこんな人間が生まれるのだ? いや、きっとこいつは人間ではないのだろう。明はそう思った。

「もうこれ以上あんたと話し合いを続ける気はしないな。頭がおかしくなってしまう」

 明がそういうと佐々木はようやく説得を諦めたようだった。

「それは残念です。では、どうぞご自由にしてください。ですが、遥さんの傷を治すことができるのは私だけですから。あなたは彼女に何もすることができない自分の無力さに耐えられるでしょうか。耐えられなくなったらまた当院にいらしてください」

「うるさい!」


 明は勢いよく診察室のドアを開けて、遥の病室に向かった。

 ノブを回して病室に入る。

 勢いよくドアを開けたために、ベッドで横になっていた遥が驚いた顔を向けた。

「どうしたの?」

「こんなところは早く出るんだ。ここにいたらおかしくなっちまう」

 その時、佐々木が開いたドアの向こうから相変わらずの無表情さで、二人を見つめていた。

「何の用だ」

「いえ、別に何の用もありませんが」

 確かに何の用もなさそうな顔をしていたが、佐々木は興味深そうにこちらを眺めていた。まるで、自分の製作した絵画か何かを見ているような顔。その視線の意味がいまいちよく解らなかった。

「さあ、行こう」

 明は遥の手を引いて、視線から逃げ出すように、立っている佐々木の横を急いですり抜けて走り出した。

 そして、多くの人が沈んだ表情で順番待ちをしている待合室を駆け抜けて、病院の玄関を飛び出した。

 病院を出てもしばらく走った。明には、頭を強打した病人を走らせるのは危険だ、などという考えは浮かばなかった。あの狂気の世界から少しでも離れたかった。


 どのくらい走ったのだろうか。息が続かなくなって明は足を止めた。

「どうしたのよ。急に退院するって言ったと思ったら、走り出すし。明、今日ちょっと変よ」

 息を切らしながら遥が言った。

「いや、なんでもないんだ。遥は気にしなくて大丈夫」

 明も息を切らして言う。

「本当に大丈夫?」

「大丈夫だって。さあ、家へ帰ろう」

 遥はまだ納得がいかない様子だったが、明に黙ってついてきた。額の傷跡が前髪で隠れているか気遣うようにしながら。その様子を見て、明は胸が痛んだ。


 だが、明はその時になって気が付いた。病室から遥の手首を握ったままだったのだが、自分の手のひらに遥の強い脈動が伝わってくることに。その脈動は、遥が生きていることを主張しているかのように力強かった。急にたまらないほど愛しさがこみ上げてくるのを感じた。ほとんど泣きそうになっているのを明は必死でこらえた。


 本当に遥が生きていて良かった。額の傷がなんだというのだ。遥が生きていてさえいてくれればそれでいい。あんな頭のおかしい医者の手術に頼らなくても大丈夫だ。これから自分がゆっくり時間をかけて、遙の心を癒していこう。そう明は強く決心した。


 そして、明は遥の手首を口元に持ってきて、軽くキスをした。唇に彼女の体温が伝わる。遥は生きているんだ。何度も心の中で繰り返した。

「明、今日はほんとに変ね」

 遥はくすぐったそうに、笑みをこぼした。

 


この連載は次話で最終話をむかえる予定です。ここまで読んでくださった方、どうぞ最後までお付き合い下さい。

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