30年8月15日
「何もないから楽しくないかも?」
嘘を言ったつもりはない。
近所の夏祭りに出かけたいというので、一応の念押しをしただけだ。
「初めてなので楽しみですわ」
目をキラキラさせる妻を見ると何もいえなくなった。
人混みは危険だから連れ出したくなかったが、甘かった。
大甘だった。こんなことなら──もっと早く連れてくるんだった。
確かに人は多い、けれど誰も他人のことなどは気にしていない。
そう、堂々と妻の腰に手を回し抱きしめて歩けるのだ。
「ああ、気をつけて。はぐれないようにもっと近くにおいで」
最初は恥ずかしがっていたが、次第に慣れたようだ。
「雅、あれは何ですか? あの赤くて丸いのはりんごのようにも見えますが」
「りんご飴だね。りんごを飴でコーティングしたものだよ。祭りや縁日でしか見かけないレアものだよ」
「ぜひ食べてみたいですわ!」
「大きいのと小さいの両方買おう。小さい方が美味しいというのが世間一般的な評価だけれど──りんごを味わうなら大きい方だね」
「そうなんですか? 物知りですわね。あっ! お母さまとお姉さま、それにお父さまにもどうかしら?」
「そうだね。お土産に買っておこう。母たちのは小さい方がいいと思うよ。大人だし、量より色々なものを食べるのが楽しいんだよ」
「あら、お子さまで悪かったですわね」
大人という単語に反応して妻がすねた。
「はい、どうぞ」
小顔な妻の前に差し出すと、りんご飴がひときわ大きく見える。
やはり、小さい方が良かったかもしれない。
「まあ、これですわね。どうやって食べれば──なめればいいのかしら?」
目をキラキラさせてりんご飴を受け取る。秒で変わる百面相は見ていて飽きない。
「なめてもいいけど時間がかかるから普通はかじるんだよ。ガブリと噛んでごらん」
「ええ、そうね。やってみるわ」
はむはむとかじる。かじる。
小さな口を精一杯大きく広げてはむはむと。
しかし、残念ながら分厚いコーティングは傷一つついていない。
さらに、はむはむと。
敵は手強く、つるつると前歯が滑るのが見て取れる。
「はい、こちらと交換してくれるかな? 大きい方が食べたくなってんだ。ごめんね」
小さいりんご飴を妻に渡し、持っていた大きい方を変わりに受け取った。
「もう、しょうがないですわね。今回だけですよ」
「ああ、ありがとう。大好きだよ」
「べ、別にそんなこと言われたくて交換したんじゃないわよ。変なこと言わないでちょうだい」
照れて力が入ったのか、小さいからかじりやすいのか、バリバリとりんご飴に歯が通った。
そのまま、もぐもぐと美味しそうに頬張る。
目を細めて味わっている姿を記憶に焼き付けておく。近すぎてカメラで撮影できないのが欠点だ。
今度は見たまま撮影できるメガネ型のカメラを装備しておこう。そう心に誓った。値段ならすでに調べてある。あとはポチるだけだ。
「雅、あれは何かしら?」
妻の指差す方を見る。
「ああ、あれは子供たちが夢見る食べられる雲だよ。一度は思ったことがないかい。空を見上げて美味しそうな雲だなぁって」
「ありますわ! あなたもそう思ったことあるのですね。仲間ですわね!」
歓喜に語尾が跳ねていることに気づいていないようだ。本当にうちの妻は可愛い。おもわず辺りを見回した。大丈夫、不審者はいないようだ。
「はい、どうぞ」
袋から取り出した綿飴を渡した。
食べ方がわからないのか不思議そうな顔をしている。
「こうやってちぎって食べるといいよ。雲は引っ付いたり、千切れたりするだろう?」
「ええ、そうね。あら、美味しい! 甘くて、口の中で溶けてしまいましたわ!」
ちびちびと食べていたのにあっという間になくなった。
割り箸を見つめながら妻がポツリとつぶやく。
「ぜひ、お母さまとお姉さまにも食べていただきたいですわ! お父さまはお好きかしら?」
「ははは、あの人は何でも食べるし、母が欲しがったら全部差し出すから、これも三人分のお土産にしよう。問題ないよ」
「そうですか、よかったですわ」
胸を撫でおろす姿も眩しい。
がるる。勝手に盗み見してる不届ものはいないだろうな。見つけたら成敗してやる。
「あなた、あれは何かしら?」
妻が見ている視線の先にあったのは、
「あれはね、右からたこ焼き、焼きそば、お好み焼き、たい焼き、ベビーカステラ。屋台の定番であり、関西人の主食だね。まさに、粉物パラダイスといってもいい。どれから食べたい?」
「私はた、たこ焼きとたい焼きが食べたいですわ」
「なるほど、なかなか通な選択だね」
ご褒美に頭を撫でる。
余程嬉しいのだろう。
素直に撫でられている。
「不思議な形をしていますわ。これがたい焼き?」
「そうだよ。食べ方に個性が出る不思議な食べ物なんだ」
「そうなんですか? 二つに割るとか?」
こめかみに人差し指を当ててしばらく考えていたが、答えがでなったのか上目遣いでこちらに視線をよこした。
「ははは、そんなに悩むことじゃないよ。素直に頭からかじるか、尻尾から食べるか。たまにお腹から食べる人もいるらしいけど、まだお目にかかったことはないな」
「そうなんですね。特別な食べ方でもあるのかと思いましたわ」
言い終わるやいなや、頭からかぶりついた。
はむ。
一口齧り付いた瞬間に、目がまん丸になる。
視線をこちらに送ってくる。
何か言いたいことがあるようだが、育ちが良いだけに口に食べ物がある状態では何もできない。
一生懸命口の中を空にしようと、口をもぐもぐ動かしている。
ごくん。
「すごいですわ、あなた。はい、どうぞ」
遠慮なく妻が差し出すお裾分けのたい焼きにかぶりつく。
「うん、美味しいね。一緒のものを分け合えて嬉しいよ。ありがとう、香澄」
妻の頬が赤く染まる。そして、自分の手に持つたい焼きに視線を移すとさらに耳まで赤く染まった。
間接キスをしていたことに気がついたようだ。
私の妻は本当に可愛い。
腰に回していた手に力を込めて、二人の距離を少し縮めた。
「たこ焼き、これは危険物だから要注意。外はカラッと、中はドロっと。油断すると口の中を火傷するんだ。うっかり噛んだら中のドロドロが口の中に広がって──」
「まあ、そんな危険なものを往来で売っていて大丈夫なのですか? あら、あんな小さい子が買って行きますわ。止めなくては──」
「大丈夫だよ。心配しなくてもいい。慣れれば大丈夫だとからね。あの子より、たこ焼き初心者の香澄の方が心配だよ」
「もう、子ども扱いしないでくださいな!」
振り上げた拳が私の胸を叩く。
ぽふっ。ぽふっ。
「心配しないでもいいよ。ふうふうしてあげるからね」
「だから、子ども扱いしないでくださいまし!」
ぽふっ、ぽふっ。
ずっと戯れあっていたいけれど、これ以上は本気で嫌われそうだ。
「じゃあ、一人でやってみるかい? 一口で食べない。前歯ではさんで唇には触れないように噛み切る。そして、ゆっくりと舌に乗せて味わうんだよ。さあ、やってごらん」
「ええ、こうかしら?」
しばらくの間、他人より口が小さい妻は悪戦苦闘していたが、何とかたこ焼きを成敗することに成功した。
「やりましたわ。不思議な味ですわね。たこが入っているのですね」
幸いに良心的な店で大きめのタコが入っていた。
「柔らかな生地に弾力のあるタコのハーモニー。何だかクセになる味ですわね」
「隠し味に紅生姜が入っているようだね」
「まあ、言われてみればそうかもしれません。本当に不思議な味ですわ」
金魚すくいに夢中になり、気がつけば3回もしていたけれど、お持ち帰りはサマンサのおもちゃになると、名残惜しそうに返却した妻。
射的のまとを狙うのに身長が足りずに、背伸びした不安定な体勢を支える役得。
脇を掴んで支えていたはずなのに、柔らかな物体が指先に当たって、ドキリとする。
不可抗力なので仕方がない。役得なのは否定はしない。頬が緩みっぱなしなのは言われなくても自覚している。
「綺麗ですわね──」
うっとりと花火を見上げている妻がつぶやいた。
花火そっちのけで妻の横顔を眺めている。
君の方が綺麗だよ。そう言いたいが我慢する。
下手な言葉で意識させると照れるのは学習して学んだ。
「ああ、綺麗だね」
君の横が。
「来年も一緒に来たいですわ──」
恥ずかしいからか語尾がか細く消えた。
「もちろん。嫌がっても連れ出すよ」
腰に当てていた手を肩に回すとそのまま引き寄せた。
すぐ横に妻の顔がある。
「キスしてもいいかい?」
「もう!こんな人混みで変態さんなんですか?」
花火に照らされた妻の顔が赤くなっている。
「みんな花火に夢中で見ていないよ。駄目かい?」
「でも──」
「ほっぺたでもいいんだよ。何なら香澄からしてくれるかい?」
「もう! ズルいんだから──」
そう呟くと──
私の頭の後ろに手を伸ばすとそのまま引き寄せた。
ぽふっ。
私の頭が柔らかいものに包まれた。
「もう。これくらいで我慢してください、あなた」
妻の声が頭の上から聞こえてくる。
「ああ」
ここは天国に違いない。妻の胸に抱かれて、いよいよあの世に旅立ったのだろう。




