30年7月7日
妻が可愛すぎる。
そう、妻だ。
推しではない妻だ。
いや、確かに推しではあった。だが結婚したのだから私の妻だ。これは間違いない。
帰宅すると庭に立て掛けられた笹竹に七夕飾りが飾り付けられていた。
「はい、これ、七夕のプレゼントだよ」
「あら、何にかしら? 開けてもよくって?」
「どうぞ」
彼女が手渡した小袋からごそごそと中身を取り出す。出てきたのは星型のクッキーと金平糖だ。
「!? 食べてもいいかしら?」
「どうぞ」
ベタすぎるチョイスだが、あまりこの手のイベントを体験していない彼女には何もかもが新鮮に映るらしい。
言い終わる前はすでにクッキーを頬張っていた。
はむはむと食べる姿は小動物に見える。例えるならばハムスターかリスあたりだろうか。
理屈としては、カンパンと同じである。クッキーに口の中の水分を取られる。金平糖を食べる。唾が出る。またクッキーを食べる。このサイクルだ。
プレゼントについて、適当に言った説明を目をキラキラさせて聞き入っている。
この純粋さをいつまでも守っていきたい。
「七夕への願い事は書いたかい?」
「ええ、もう飾り付けましたわ」
「へぇ、じゃあ、よかったらどんな願いなのか聞いてもいいかな?」
「べ、別に大したことじゃありませんわ。気にしないでちょうだい!」
照れたように少し視線をそらした。
可愛すぎる。そう、可愛すぎるのだ。
少し意地悪をしたくなる。
香澄を見つめたまま少し顔を近づけた。
彼女の身体がビクッと反応する。
そんなに警戒しなくても、プレゼントのクッキーは取りやしないよ。
そのまま耳元に口を寄せると囁くように言う。
「お願いだから教えてくれないかな? 夫婦なんだから、隠し事はなしでしょう?」
「ふ、夫婦! そう、夫婦だわ。ええ、隠し事なんてしないわよ。ちょっと意地悪しただけよ!」
こちらを向いた香澄がやはり照れくさいのか視線を下にそらした。顔が真っ赤になっている。
「よかった。嫌われたのかと思ったよ」
「嫌いなわけないじゃない──
馬鹿……」
嫌われていなかった。
ほっとして胸を撫でおろす。嫌いだとか言われたら──死にたくなる。
──嫌われる前に妻を精一杯愛ておこう。
「……家族が増えますように──そう願っただけよ。あなたこそどうなの? 私が言ったのだから次はあなたの番よ」
ぶほっ!
彼女の言葉にむせてしまう。
二人の子どもを望んでいるとは思わなかった。
強制的な、逃れられない結婚だと思っていたのではないか──いや、もとより逃すつもりはないのだけど。
いや、今は私の妻だ。
望むのなら、そりゃあ欲しい。
二人の子ども……いや、しかし──
「子どもは早いかな? いや、できるといいな──」
それにはまず、保健体育の授業をしなけらばならない。
彼女は何も知らないのだ──
「あら? 聞く気はないけど聞こえてきたから仕方ないわよね」
声に反応して振り返ると、母と大きめの荷物を抱いてる姉が立っていた。
「ちょうどいいプレゼントがあるから使ってちょうだい。私たちもお世話になったのよ。心配しなくても、私たちのお古じゃなくて新品だから安心してちょうだい」
母が姉から受け取り妻に渡したのは派手な──まくら?
うん?
枕にしては派手すぎる。
受け取った彼女は喜んでいる。家族からの贈り物が嬉しいのだろう。
イエスノー枕を喜んでいるとは思いたくない。
実際に喜んでいるが──
「お母さま、裏と表が違うようですが、どのように使うものですか?」
「それはね──」
「子どもが欲しいかどうかの意思表示だよ」
「まあ、そうでしたの!」
下手なことを喋らせるわけにいかない。
少し強引だったが無事、母の発言を封じ込めることに成功した。
母と姉が揃ってニヤニヤとこちらを眺めている。
間違ったことを言ったつもりはないが?
「へえ、そんなこと言える子だったんだ。我が弟ながら見直したわよ」
「もちろん、あなたはYES側以外は使っちゃ駄目なのよ。わかるわよね? ああ、そうそう、香澄ちゃんはバンバンNO側を使ってもいいのよ。そのための枕なんだから」
公然と男女差別を教え込む二人。変な色に染まらなければいいのだけれど。
そんな心配をよそに、その日から彼女の合図ばYESだけだった。




