30年6月◆日
交渉が無事成功して、彼女は我が家の一員となった。
保護猫であるぶちゃいの里親になる、このことに対しては問題はない。
問題は我々二人が彼女とちゃんとやっていけるか、それが審査されたのだ。
もとより目立つ行動をしていた二人は店からも目をつけられ──注目されていたので、馴染んでいるのは認められた。
残すは本人の意思確認。
店で一番人気というぶちゃいく。引き取りたいという要望は週に1組はあるらしい。しかし、対面時に丸くなって動かない。いくら声をかけても動かない。
何かが彼女のお気に召さないようだ。
開店時と同時、片手に猫用キャリーを持ったスーツ姿で店の扉を開けた。違和感を覚えたのか、いつもならすぐに寄ってきて撫でろと召使いに指示を出す主人みたいに横柄な態度を表すのだが、今回は違った。
頭だけ上げてこちらをチラ見するが動こうとはしなかった。
「いつもこうなんですよ」
店員の無情な言葉が続く。
「一応、声を掛けて反応がなかったらご縁がなかったということで。遊びに来るのはいつでも歓迎しますので」
すでに10組を超える先客が断られているので、店員も慣れたものだ。
ゆっくりと近づき、猫キャリーを床に下ろす。
「これが嫌なのか?」
猫キャリーを指差しながら問いかける。予防注射や諸々の嫌なことの象徴だ。賢いなら記憶して紐づいているのだろう。
「今日は提案があるんだ」
腰を下ろして隣に座る。
耳はこちらを向いているので、ちゃんと聞いている。
「どうだろう、一緒に来てうちの子に──」
ならないか?
ちゃんと言わせてもらえなかった。
ぶもぅ。
私の肩に飛び乗ると耳元で一鳴きした。そのまま尻尾で顔を撫で回す。
どうやらオッケーをもらえたようだ。しかし、このままでは連れていけない。
猫キャリーの蓋を開けて中を指し示す。
「これに入ってくれないと連れていけないんだ。外は危険だ。君を守るためにも」
顔を撫で回す尻尾の動きが早くなる。
うやむやにする気だろうか?
「家でみんなが待っている。母、姉を筆頭に香澄も待って──」
またしても最後まで言わせてもらえなかった。
尻尾で頬にビンタをしながら、肩から飛び降りる。
犬のように猫キャリーの入り口に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
薬品の匂いはしないはずだ。
陰干しはしたといえ、先代猫の匂いが気に入らないなら家で暮らすのもストレスが溜まるはず。
しばらく経つと納得したようで、自ら猫キャリーに入ると腰を下ろした。
ぶもぅ。
「じゃあ、蓋を閉めるよ」
催促されたので声を掛けながら入り口を閉める。
「あらあら、まあまあ。こんなこともあるんですね。余程気に入ったのかしら。大事にしてあげてください」
店員に会釈をすると彼女とともに店を後にした。
ぶちゃいくからサマンサに立派に進化した。
名前負けしている気がしないでもないが、サマンサと呼ばれている姿を見ていると、そんな気にもなってくるから不思議なものだ。
もちろん名付け親は最愛の妻だ。
妻以外の他の誰にも譲る気はなかったが母と姉が
「当然、命名するのは香澄さんに決まっているでしょう!」
と宣言したので、家族全員一致で決定した。
父は母にベタ惚れなのであらためて聞く気はない。
しかし、野生の勘は油断ならない。
初めて訪れた家に放たれて困惑しているだろうに、一目散に父の膝の上に登った。
店では妻の膝の上がお気に入りだと思っていたが──まさか、女の子だけに父のダンディな魅了の虜に!?
「弱い私を許して!」
香澄のことも大事なのよ。でも抗えないの!
母と姉が肝心なことを口に出さずにサマンサの前で悶えている。
母は別にいい。普段と真逆に父に悶えているように見えるだけだから。
問題は姉だ。父親の前で悶えるのは倫理的にどうなんだろう──うん、見なかったことにしよう。
騒動から視線を外すと、妻と目があった。
にっこりと微笑みかけて来た。
私の天使だ。目に入れても痛くないほど、可愛い。
ゆっくりと近づいてくると耳元で囁く。
「お母さまたちがおっしゃっていた『弱い私を許して!』って何のことでしょうか?先代の猫さんへの謝罪でしょうか?」
抱きしめたいくらい可愛い。うん、抱きしめてしまおう。今なら誰も見ていない。
「それはね。香澄に対してだよ」
ついでに頭も撫でよう。
嫌がってないから大丈夫のはず。夫としての権利を行使させてもらおう。
猫もいいけど、妻が一番だ。誰が何と言おうがこれだけは譲る気はない。




