8話
「……あの娘だ」
魔物の群れの中から、低い声が響いた。
「見つけたぞ」
その言葉を聞いた瞬間――
ユイナの表情が変わった。
「……私?」
村の入り口。
そこには、これまでこの村で見たこともないほどの数の魔物が集まっていた。
ゴブリン。
オーク。
狼のような魔獣。
そして、その後ろには――
巨大な身体を持つ魔物までいる。
数十。
いや。
百を超えているかもしれない。
「先生……」
トモヤが不安そうにユイナを見上げた。
ユイナは、そんなトモヤに笑顔を向けた。
「大丈夫です」
いつもの、優しい笑顔だった。
「みんなは村の中へ戻ってください」
「でも!」
「これはお願いじゃありません」
声は穏やかだった。
けれど――
その瞳には、今まで見たことのない強い光が宿っていた。
「走ってください」
「……!」
トモヤも。
レイアも。
ミツルも。
一瞬、動けなくなった。
以前なら――
トモヤは「戦う!」と言っていたかもしれない。
しかし。
今日までの訓練で教えられたことを思い出す。
――危険なときは逃げる。
――自分の命を守る。
――生きていれば、また誰かを助けられる。
「……わかった」
トモヤが拳を握った。
「先生、絶対帰ってきてよ」
ユイナは少し驚いた顔をした。
そして――
優しく笑った。
「もちろんです」
「約束だからな!」
「はい。約束です」
トモヤは頷くと、レイアとミツルを見る。
「行くぞ!」
「ちょっと、引っ張らないでよ!」
「早くしろって!」
「ぼ、僕も……!」
三人は村の中へ走っていった。
ユイナは、その背中を見送る。
そして――
「……よし」
ゆっくりと魔物たちへ向き直った。
その隣に、アンジェリカが立つ。
「随分と人気者になったもんだな、ユイナ」
「え?」
「これだけの魔物が、わざわざお前を探しに来た」
アンジェリカは杖を構えた。
その顔から、いつもの軽い表情が消えている。
「理由くらい、聞かせてもらおうか」
魔物たちの奥から、一匹のオークが前へ出てきた。
身体には古びた鎧。
手には巨大な斧。
その目は、真っ直ぐにユイナを見ている。
「お前だ」
「……私?」
「光を操る娘」
ユイナの眉が動いた。
「……どうして私を?」
「知らぬとは言わせぬ」
オークが斧を地面へ突き立てる。
ドンッ!
地面が震えた。
「我らの仲間を倒した」
「……」
「多くの同胞を傷つけ、村を守った娘」
ユイナは黙っていた。
確かに――
あの日、ユイナは戦った。
ゴブリンたちに囲まれ。
必死に拳を振るった。
光の力を使った。
それでも――
最後に村を救ったのは、自分一人の力ではない。
兄がいた。
アンジェリカもいた。
そして――
ユイナは、ふと兄のことを思い出した。
「……お兄ちゃん」
「ユイナ?」
アンジェリカが横を見る。
「いえ……」
ユイナは小さく首を振った。
「大丈夫です」
その瞬間――
魔物の群れから、別の声が響いた。
「そいつを殺せ!」
「村ごと潰せ!」
「娘を捕らえろ!」
一斉に魔物たちが走り出す。
「来るぞ!」
アンジェリカが叫んだ。
ユイナも両手を握る。
拳に、淡い光が集まっていく。
「待ってください」
「何?」
「アンジェリカさんは、後ろをお願いします」
「……何をする気だ?」
ユイナは、少しだけ笑った。
一歩。
「やってみます」
さらに一歩。
「自分の命を守ること」
もう一歩。
「逃げること」
そして――
ユイナは拳を握った。
「それから――」
その瞳に、強い光が宿る。
「大切な人を守ること」
次の瞬間――
ドンッ!!
地面が爆発したように土煙が舞い上がった。
ユイナの姿が消える。
「なっ――!」
先頭を走っていたゴブリンの目の前に、ユイナが現れた。
「ごめんなさい!」
拳が振り抜かれる。
ドォン!!
ゴブリンの身体が吹き飛び、後ろにいた魔物までまとめて巻き込んでいく。
「な、なんだ今の……!」
オークが驚愕する。
しかし、ユイナは止まらない。
一体。
二体。
三体。
魔物たちが次々と倒れていく。
拳。
蹴り。
光をまとった一撃。
さらに――
「光の盾!」
目の前に光の盾を展開し、魔物の攻撃を受け止める。
そのまま身体をひねり――
「えいっ!」
拳を叩き込む。
ドォン!
また一体、吹き飛んだ。
「速い……」
アンジェリカでさえ、目で追うのがやっとだった。
「しかも、前より動きがいい……」
だが――
魔物の数は多い。
倒しても。
倒しても。
後ろから次々と押し寄せてくる。
「ユイナ!」
「はい!」
アンジェリカが杖を振る。
「ファイヤー・ウォール!」
炎の壁が大きく広がった。
魔物たちの進路を遮る。
「今だ!」
「ありがとうございます!」
ユイナが炎の壁を飛び越える。
その向こうから、オークが斧を振り上げた。
「死ねぇぇぇ!!」
ユイナは逃げない。
右拳を握る。
淡い光が拳を包む。
「……!」
そして――
真正面から拳を突き出した。
ガキィィン!!
拳と斧が激突する。
――斧が、砕けた。
「……え?」
オークが呆然とする。
ユイナは首を傾げた。
「硬かったですよ?」
「……」
「でも、もう大丈夫です」
ユイナの拳が、オークの腹へ入る。
ドォン!!
巨体が後方へ吹き飛んだ。
アンジェリカは思わず苦笑する。
「……本当に、とんでもない奴だな」
そのときだった。
アンジェリカの足元に――
黒い影が伸びた。
「!」
反射的に飛び退く。
ドスッ!!
さっきまで立っていた場所に、黒い槍のようなものが突き刺さった。
「これは……」
アンジェリカが周囲を見る。
魔物たちとは違う。
明らかに異質な魔力だった。
「ユイナ!」
「はい!」
「まだいるぞ!」
魔物の群れの後方。
そこに――
一人の人影が立っていた。
黒いローブ。
顔は見えない。
手には一本の杖。
その姿を見た瞬間――
アンジェリカの表情が険しくなった。
「……魔導師か」
黒いローブの人物は、ゆっくりと杖を上げた。
「ようやく見つけた」
「……誰ですか?」
ユイナが尋ねる。
黒ローブは答えない。
ただ――
ユイナをじっと見つめていた。
「その力……」
そして、小さく笑う。
「やはり間違いない」
アンジェリカが一歩前へ出る。
「何を知っている?」
黒ローブはアンジェリカを見る。
「お前には用はない」
「そうか」
アンジェリカの目が細くなる。
「なら、私から遠慮する必要もないな」
杖を構える。
「ユイナ」
「はい」
「こいつは私が――」
「違う」
ユイナが遮った。
「……え?」
ユイナは、黒ローブを見つめていた。
なぜだろう。
初めて見るはずなのに。
どこかで――
この気配を感じたことがある。
胸の奥がざわつく。
「この人……」
ユイナは、自分の胸元に手を当てた。
「私、この人を知っている気がします」
「何?」
アンジェリカが驚く。
黒ローブの人物も、初めて表情を変えた。
「……ほう」
そして――
ゆっくりとフードへ手をかける。
「やはり、まだ覚えていないか」
フードが外れる。
その顔を見た瞬間。
「……え?」
ユイナが息を呑んだ。
そこにいたのは――
人間ではなかった。
だが。
以前の襲撃で現れた小さな魔導師とも違う。
その姿を見た瞬間。
ユイナの頭の奥で――
ずっと閉じていた何かが。
ほんの少しだけ、動いた。
「……?」
――
少し離れた場所。
古い家の陰にいた俺の足が止まった。
「……ん?」
右膝をさすっていた。
さっきから、嫌な痛みが続いている。
だが――
今のは、それとは違った。
何かを感じた。
俺はゆっくりと顔を上げる。
「……ユイナ?」
胸の奥が、妙にざわついている。
俺は村の入り口を見る。
遠すぎて、ここからでは何が起きているのか分からない。
それでも――
嫌な予感だけは、はっきりと分かった。
「……面倒だな」
俺は右膝をさする。
ズキン――。
「……また痛いし」
小さく息を吐く。
それでも――
今度は、そこに留まらなかった。
俺は、ゆっくりと歩き出す。
「……ユイナに何かあったら」
一歩。
「寝てられないだろ」
そして――
俺の右膝が。
ほんの一瞬だけ――
赤く光った。




