7話
「……魔法っていうのはな」
アンジェリカは、目の前に並ぶ村人たちを見渡した。
「気合いでどうにかなるもんじゃない!」
「はい!」
全員が一斉に返事をする。
「なら、なんで全員で杖を振り回してるんだ!」
「…………」
誰も答えない。
アンジェリカは額を押さえた。
「……前途多難だな」
その隣では、魔法の練習に使っていた杖を握った村人が、申し訳なさそうに俯いている。
「魔力を集めるんだ。腕を振り回したって、魔法は出ない」
「は、はい!」
「それと――」
アンジェリカは一人の村人の杖を指差した。
「それ、持ち方が逆」
「えっ!?」
「……本当に大丈夫か、こいつら」
アンジェリカは深いため息をついた。
一方、その頃。
子どもたちの訓練場では――
「もう一回!」
トモヤが声を上げていた。
「え?」
ユイナが振り返る。
「もう一回やって!」
「まだやるの?」
「だって、一回も先生に当たらない!」
「当たったら先生、困っちゃうよ」
「そういうことじゃない!」
トモヤは悔しそうに拳を握る。
その様子を見て、レイアが笑った。
「トモヤ、先生に勝とうなんて百年早いわよ」
「うるさい!」
「じゃあ、私とやる?」
「……」
トモヤが一瞬黙った。
「なんで黙るのよ」
「いや……レイアとやると負けるから」
「ほら!」
レイアが得意げに胸を張る。
ユイナは二人のやり取りを見ながら、楽しそうに笑っていた。
だが、その横では――
「僕はもう帰っていい?」
ミツルが地面に座り込んでいた。
「まだ始まって一時間くらいだよ?」
「一時間もやったよ……」
「ミツル君、今日まだ三回しか動いてないよ」
「三回も動いたよ」
「……」
ユイナは困ったように笑う。
「じゃあ、最後に一つだけやろうか」
「最後?」
ミツルの目が輝く。
「うん。今日の最後」
「本当に最後?」
「うん」
「絶対?」
「絶対」
ミツルはゆっくり立ち上がった。
その様子を見ていたトモヤが笑う。
「ミツル、お前ほんと弱いな!」
「……」
ミツルは何も言わない。
レイアがトモヤの頭を軽く叩いた。
「そういうこと言わないの」
「なんでだよ」
「強いとか弱いとかじゃないでしょ」
「でも――」
「トモヤ君」
ユイナが声をかけた。
「先生から一つお願いしていい?」
「うん」
「ミツル君を守ってあげて」
「え?」
トモヤが目を丸くする。
「戦いになったら、ミツル君はトモヤ君より先に逃げていい」
「……」
「その間、トモヤ君はミツル君が逃げる時間を作ってあげるの」
「俺が?」
「そう」
ユイナは頷いた。
「でもね、絶対に無理はしないで」
「……」
トモヤは少し考えた。
そして――
「わかった!」
胸を張る。
「俺がミツルを守る!」
「おい……」
ミツルが嫌そうな顔をする。
「守られるのも嫌なんだけど……」
「じゃあ、自分で逃げろ!」
「それはもっと嫌だよ!」
「はははっ!」
子どもたちの笑い声が響く。
ユイナは、その光景を見て微笑んだ。
――これでいい。
強くなるということは、何も敵を倒せるようになることだけではない。
逃げる。
守る。
助けを呼ぶ。
そして――
生き残る。
それも立派な強さだ。
ユイナは、そう思っていた。
だが――
その日の訓練が終わろうとしていた頃だった。
「……?」
ユイナが、突然空を見上げた。
「先生?」
レイアが不思議そうに尋ねる。
「どうしたの?」
「……ううん」
ユイナは周囲を見渡した。
何かがおかしい。
風が――
止まっている。
さっきまで吹いていた風が、まるで何かに吸い込まれたように消えていた。
鳥の声もしない。
虫の音さえ聞こえない。
「……みんな」
ユイナの声が変わった。
「家に帰って」
「え?」
トモヤが聞き返す。
「今すぐ」
「でも、まだ――」
「今すぐ!」
いつも優しいユイナの声に、初めて強い緊張が混じった。
子どもたちは驚いて黙り込む。
その瞬間――
村の入り口付近から。
「……?」
何かが聞こえた。
遠い。
だが、確かに聞こえる。
ドン……。
ドン……。
まるで巨大な何かが、地面を踏みしめているような音。
ユイナの顔から笑顔が消えた。
「……アンジェリカさん」
同じ頃。
大人たちを指導していたアンジェリカも、異変に気づいていた。
「全員、止まれ」
「え?」
「静かにしろ」
アンジェリカが杖を握り直す。
周囲の魔力を探る。
大地の振動。
遠くから伝わってくる、嫌な気配。
そして――
アンジェリカの表情が変わった。
「……来たか」
「何がです?」
一人の村人が尋ねる。
アンジェリカは答えない。
ただ、村の入り口を見つめていた。
ドン……。
まただ。
今度は、先ほどより近い。
ドン……。
地面が、わずかに揺れる。
「まさか……」
誰かが呟く。
アンジェリカは杖を構えた。
「全員、気を抜くな」
「は、はい!」
「今日まで何を教えてきた?」
「逃げること……自分の身を守ること……」
「そうだ」
アンジェリカは短く頷く。
「今から、それを本当に使うことになるかもしれない」
そのときだった。
「魔物だぁぁぁぁ!!」
村の入り口から、絶叫が響いた。
一瞬で空気が変わる。
「全員、持ち場へ!」
アンジェリカが叫ぶ。
村人たちは慌てて動き始めた。
剣を持つ。
杖を握る。
震える手を押さえる。
怖い。
当然だ。
訓練を始めて、まだ数日。
剣を握ることすら慣れていない者もいる。
魔法を一度も成功させていない者もいる。
そんな彼らの前に――
今度は、本物の敵が来た。
「アンジェリカさん!」
子どもたちを連れて、ユイナが駆けてくる。
「ユイナ!」
二人の目が合う。
「子どもたちは?」
「家に帰そうと思います」
「それがいい」
アンジェリカは頷いた。
そして、村の入り口を見る。
「だが……」
その先には、まだ何も見えない。
それなのに。
地面だけが、一定の間隔で揺れている。
ドン……。
ドン……。
ドン……。
「……数が分からない」
アンジェリカが呟く。
「魔力の反応も妙だ」
ユイナも目を細める。
「私も……何か嫌な感じがします」
「なら、なおさら子どもたちは下がらせる」
アンジェリカは振り返った。
「村人も、戦える者だけ前へ」
「はい!」
村人たちが慌てて動き始める。
アンジェリカが杖を構える。
「守らなきゃな」
「はい!」
二人が村の入り口へ向き直る。
そして――
見えた。
村の外。
土煙の向こうから、何かがこちらへ向かってくる。
一匹。
二匹。
三匹――
いや。
「……多い」
ユイナが呟いた。
土煙の向こうに、無数の影が見える。
その数は――
先日の襲撃とは、明らかに違っていた。
アンジェリカが目を細める。
「……これは」
そして、その奥。
他の魔物たちとは明らかに違う、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
ズン……。
一歩。
ズン……。
また一歩。
地面が揺れる。
村人たちの顔から、血の気が引いていく。
「……あれは、何だ?」
誰かが震える声で言った。
アンジェリカは答えなかった。
ただ、杖を握る手に力を込める。
ユイナも拳を握る。
その拳には、わずかに光が集まり始めていた。
二人の前に――
かつてないほどの数の魔物が、迫っていた。
そして、そのさらに後ろ。
古い家の陰から――
ひょこっと顔を出した男が一人。
「……なんだ?」
俺だった。
右膝をさすりながら、面倒そうに魔物の群れを見る。
「またかよ……」
俺は大きくため息をついた。
そして、少しだけ空を見上げる。
「今日は静かに寝られると思ったんだけどな……」
右膝が――
ズキッ。
「……」
俺は膝をさする。
「嫌な予感しかしない」
そう呟きながらも――
俺はまだ、そこから動かなかった。
なぜなら。
村の入り口には――
ユイナがいる。
そして、その隣にはアンジェリカがいる。
二人とも、もう戦う準備をしていた。
「……まあ」
俺は小さく息を吐いた。
「二人が何とかするだろ」
そう言って、再び家の陰へ隠れようとした。
――その瞬間。
魔物の群れの奥から。
これまでとは明らかに違う、低い声が響いた。
「……あの娘だ」
俺の足が――
止まった。
「……?」
魔物の視線が、一斉にユイナへ向く。
「見つけたぞ」
その声を聞いた瞬間。
俺の表情から、いつもの気だるさが消えた。
「……ユイナ?」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
そして――
右膝をさする手を、止めた。




