統治都市グランディア編⑥
アルベルトから譲られた膝当ては、思いのほか役に立っていた。
装備している間だけは、右膝の痛みがずいぶんと和らぐ。
歩くのも、立ち上がるのも、以前より楽だった。
もっとも、痛みがなくなったわけではない。
膝当てを外せば、相変わらず痛む。
「……便利なものをもらったな」
俺は椅子に腰掛け、膝当てを軽く叩いた。
これなら、しばらくは何とかなるだろう。
ただし、膝の力は使わない。
ユイナにもアンジェリカにも、無理をするなと言われたばかりだ。
わざわざ忠告を無視してまで、面倒なことをする必要はない。
使わない……ようにする。
俺は膝当てを装備し直すと、椅子の背もたれに体を預けた。
さて、今日は何をして過ごそうか。
できれば何事もなく、一日が終わってほしい。
そう思っていたのだが。
「お兄ちゃん!」
部屋の外から、ユイナの声がした。
「……今度は何だ」
「鎧兵が来たって!」
「またか」
俺は深いため息をついた。
どうしてこう、休ませてくれないのだろう。
グランディアへの鎧兵の襲来は、一度きりでは終わらなかった。
それからも、何度か街の周辺に鎧兵が現れた。
そのたびに俺たちは迎え撃ち、街への侵入を防いだ。
ユイナは光の力で人々を守り、アンジェリカは炎と氷の魔法で鎧兵の動きを封じ、リナも水裂で応戦する。
俺も仕方なく戦った。
仕方なく、だ。
別に戦いたくて戦っているわけではない。
ただ、放っておけば街に被害が出る。
ユイナが危険にさらされるのも困る。
それだけだ。
何度か戦ううちに、ひとつ気になることがあった。
鎧兵は、いつも最後には撤退する。
避難民が街に入ると、まるで何かの合図を受けたかのように動きを止め、街から離れていく。
追い詰められて逃げるというより、最初から退くことが決まっていたかのようだった。
「……また逃げるのか」
最後の鎧兵が街の外へ去っていくのを見ながら、俺は呟いた。
「兄様、どうかしたの?」
隣に来たユイナが、俺の顔を覗き込む。
「いや。あいつら、何がしたいんだと思ってな」
「街を攻め落とすためじゃないの?」
「それなら、もう少し必死になってもよさそうなものだが」
何度も襲ってきて、そのたびに撤退する。
街を攻め落とすことが目的なら、少々不自然だ。
何か別の目的があるのか。
それとも、俺たちに何かをさせようとしているのか。
考えても答えは出なかった。
「……まあ、考えても仕方ないか」
俺はそれ以上考えるのをやめた。
面倒なことは、わかる人間に任せればいい。
グランディアの街には、相変わらず避難民が増え続けていた。
周辺の戦が終わらないため、家を失った者や、戦火から逃れてきた者たちが次々と街へ流れ込んでくる。
街の広場や避難所は人であふれ、食料や寝床の確保も簡単ではなくなっていた。
そんな状況でも、アルベルトはできる限りの手を打っていた。
俺たちが街の防衛に協力しているおかげで、アルベルトは各地の戦場へ兵を集中させることができるようになったらしい。
もちろん、それで戦が終わるわけではない。
だが、少なくとも以前よりは、兵を動かす余裕ができたという。
「君たちには、本当に助けられている」
そう言われたが、俺としては複雑だった。
「礼なら、この膝当てをくれたことで十分だ」
「それだけでいいのか?」
「あと、飯、な」
アルベルトは笑った。
ユイナは呆れたように俺を見る。
「お兄ちゃん、もう少し真面目に話してよ」
「俺はいつだって真面目だぞ」
「そうは見えないけど……」
俺はそれ以上の会話を避け、広場のほうへ歩いていった。
もちろん、散歩がしたかったわけではない。
ユイナたちについてきただけだ。
広場の中央には、古びた石碑が立っている。
以前、アルベルトに案内されたときにも目にしたものだ。
いつからそこにあるのか、詳しいことはわかっていない。
現在のグランディアが築かれるよりも前から存在しているらしいが、それ以上のことはアルベルトも知らなかった。
ユイナは、その石碑の前で足を止めた。
「……やっぱり、何か気になる」
「何が気になるんだ?」
俺が尋ねると、ユイナは困ったように首を傾げた。
「それがわからないの。何か引っかかるんだけど……」
石碑をじっと見つめている。
しかし、何か特別なものが見えるわけではないらしい。
俺も石碑に目を向けた。
古びた石だ。
「ただの石っころだろ」
「お兄ちゃんは、そう見えるの?」
「ほかに何に見えるんだ」
「……そうだよね」
ユイナは納得したような、していないような顔をした。
隣にいたアンジェリカも、石碑を見上げる。
「私にも、ただの石碑にしか見えない」
そして、少し考えてから続けた。
「だが、ここにある以上、何か意味があるのかもしれないな」
「アンジェリカさんも、そう思う?」
「ああ。少なくとも、これだけ古いものが今まで残されている理由くらいはあるだろう」
ユイナはもう一度、石碑を見つめた。
何かが気になる。
けれど、それが何なのかはわからない。
俺には、その気持ちがよくわからなかった。
気になるなら調べればいい。
調べてもわからないなら、わかる人間に聞けばいい。
それだけの話だ。
もっとも、俺がわざわざ調べるつもりはなかった。
「そろそろ戻ろう。腹が減った」
俺がそう言うと、ユイナが言う。
「もう!お兄ちゃん」
それでも、広場を離れる直前まで、石碑を気にしている様子だった。
異変が起きたのは、それから数日後のことだった。
「アルベルト様! 大変です!」
屋敷に駆け込んできた兵士の声が響いた。
執務室にいたアルベルトは、手にしていた書類を置いた。
「何があった?」
「街の者たちが、外へ出られなくなっています!」
「……何?」
アルベルトは立ち上がった。
俺たちも、ただ事ではないと察して兵士の後についていった。
もっとも、俺はユイナに腕を引っ張られ、無理やり連れていかれたようなものだったが。
街の門には、外へ出ようとした兵や人々が集まっていた。
門そのものが壊れているわけではない。
道が塞がれているわけでもない。
それなのに、人々は街の外へ進むことができなかった。
見えない何かに押し返されるように、門の向こうへ進もうとすると足が止まる。
何度試しても結果は同じだった。
「何だ、これは……」
アルベルトが困惑した声を漏らした。
彼自身も門へ近づき、外へ出ようとした。
だが、見えない壁に阻まれたかのように、そこで動きを止めることになった。
「なぜだ? 今まで、こんなことはなかったはずだ」
グランディアを守る防衛の力。
それは以前から存在していた。
悪意を持って近づく者を阻み、街を守るためのものだと聞いている。
だが、街の人間まで外へ出られなくなるなど、聞いたことがない。
「アルベルトさん……」
ユイナが不安そうに呟いた。
「私たちも、出られないの?」
「今のところ、そう考えるしかない」
アルベルトは険しい表情で答えた。
街に入ってくる避難民は、今も増え続けている。
食料も、物資も、いつまでも十分にあるわけではない。
このまま外へ出られない状態が続けば、街そのものが立ち行かなくなる。
「……面倒なことになったな」
俺は門を見上げた。
鎧兵の襲撃。
繰り返される不自然な撤退。
そして、街から出られなくなった人々。
どれも別々の出来事だと思いたかった。
だが、そう考えるには、妙なことが重なりすぎている。
ふと、広場に立つ石碑の姿が頭をよぎった。
ユイナが気にしていた、あの古い石碑。
もちろん、石碑が原因だと決まったわけではない。
何の証拠もないのだから。
俺は小さく息を吐いた。
「面倒だな……」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
ただひとつ確かなのは、グランディアが、今までとは違う何かに包まれ始めているということだった。




