統治都市グランディア編⑤
アルベルトの屋敷に世話になることになった翌日。
「せっかくだ。グランディアの街を案内しよう」
アルベルトがそう言った。
「いや、いい」
俺は即答した。
「お兄ちゃん……」
「どうせ歩くんだろ?」
「街を案内してもらうんだから歩くよ」
「じゃあ、いい」
俺は椅子に座ったまま動かなかった。
膝が痛い。
昨日も散々動いた。
わざわざ痛い思いをしてまで街を見たいとは思わない。
「お兄ちゃん、見とかないと」
「街なんてどこも似たようなものだ」
「グランディアは初めてなんだから」
「昨日、門は見た」
「それだけじゃないでしょ」
ユイナが俺の腕を引っ張る。
「ほら、行こう」
「面倒だ」
「じゃあ、私がお兄ちゃんをおぶってあげる」
「余計に面倒だな」
ユイナにはかなわない、俺はそう思いながら立ち上がった。
ユイナが嬉しそうに笑う。
……まあ、ユイナがあんな顔をするなら仕方ない。
俺たちはアルベルトに案内され、グランディアの街を歩き始めた。
街には人が多かった。
昨日も避難民の多さは見ていたが、改めて歩いてみると、その数に驚かされる。
街のあちこちに簡易の寝床が作られ、食事を配る場所もある。
子供を連れた者。
怪我をした者。
疲れ切った顔で座り込んでいる者。
戦から逃げてきた人間が、ここには大勢いる。
「周辺では今も戦いが続いている」
アルベルトが言った。
「だから、グランディアには次々と避難民が集まってくる」
「大変だね……」
ユイナが街を見回す。
「兵士たちは?」
「各地に派遣している。グランディアだけを守っているわけではない」
アルベルトは淡々と答えた。
「それでも、ここに来た者を追い返すわけにはいかないからな」
その言葉に、ユイナが少しだけ黙った。
アルベルトは統治者だ。
それでも、自分の街だけを守ればいいとは考えていないらしい。
「ただ、最近は少し妙なことがある」
「妙なこと?」
ユイナが聞き返した。
「グランディアの防衛力が、以前より強くなっている」
「強く?」
「ああ」
アルベルトは城壁のほうを見る。
「昔から、この街には目に見えないシールドのようなものがある。敵意を持った者が城壁へ近づくと、身体が重くなったり、進みにくくなったりする」
「だが、最近はそれが明らかに強くなっている」
「何か原因は分かっているんですか?」
アンジェリカが尋ねる。
「分からない」
アルベルトは首を横に振った。
「防御そのものが強くなったことは分かる。だが、なぜ強くなったのかは誰にも分からない」
「……不思議ですね」
リナが呟いた。
俺は話を聞きながら歩いていた。
防御が強くなった。
それだけなら、俺にはあまり関係ない。
街を歩く。
膝が痛い。
早く戻りたい。
その程度だった。
しばらく歩くと、大きな広場に出た。
そこにも避難民が集まっている。
広場の中央には、一本の古びた石碑が立っていた。
「あれは?」
ユイナが指差す。
アルベルトも足を止めた。
「ああ、あれか」
アルベルトが石碑を見る。
「私も詳しくは知らない」
「知らないんですか?」
「グランディアが今の街になるより前から、あそこにあるらしい」
石碑は古かった。
普通の石とは少し違う。
表面は長い年月を経ているはずなのに、不思議なほど大きな傷がない。
「何のためのものなんですか?」
ユイナが尋ねる。
「それも分からない」
アルベルトは苦笑した。
「昔からある。ただ、それだけだ」
「じゃあ、誰が作ったのかも?」
「ああ。記録にも残っていない」
俺も石碑を見る。
……古い石だな。
それだけだった。
「お兄ちゃんはどう思う?」
ユイナが聞いてくる。
「何か変な感じしない?」
「しない」
即答した。
「ただの石っころだろ」
「もう……」
ユイナが呆れたように言う。
「せっかく見に来たのに」
「俺は見たぞ」
「そういう意味じゃないよ」
俺はもう一度だけ石碑を見る。
特に何も感じない。
だから興味を失った。
「行こう」
俺は言った。
「膝が痛い」
「はいはい」
ユイナに呆れられながら、俺たちは広場を後にした。
その時だった。
街に重い鐘の音が響いた。
街中に響き渡るその音に、アルベルトの表情が変わった。
「敵襲だ」
広場にいた兵士たちが一斉に動き出す。
避難民の間から悲鳴が上がった。
街の外。
そこに、鎧をまとった兵士たちが攻め入ってきた。
ユイナが構える。
アンジェリカも杖を握った。
「私たちも行くぞ」
「面倒だな」
俺は膝を押さえた。
「お兄ちゃん」
ユイナが振り返る。
「お願い」
「……」
「私たちだけじゃ、止めきれない」
そう言われると断りにくい。
「分かった」
俺はため息をついた。
戦いが始まった。
ユイナが光の盾を展開する。
アンジェリカが炎と氷を操る。
リナの水裂から圧縮された水が撃ち出される。
鎧兵は倒れても、また立ち上がる。
「何度倒しても……!」
アンジェリカが剣を構え直す。
「まだ来るぞ!」
俺は一体の鎧兵を見る。
剣を振り上げた。
俺は避ける。
そして拳を握った。
本来なら、人間相手ならここまで力を入れない。
俺は人間を殴る時、無意識に力を抑えている。
拳を叩き込む。
轟音。
鎧ごと、その身体が吹き飛ぶ。
だが――
ゆっくりと、その鎧兵が立ち上がった。
「……人間じゃないな」
俺が呟く。
アルベルトがこちらを見る。
「……やはり、そうなのか」
「知っていたのか?」
「確信はなかった」
アルベルトが険しい顔をする。
「どこの国の兵士なのかも分からない。だが、少なくとも普通の人間ではない」
俺は鎧兵を見る。
「何度も立ち上がるなら……」
拳を握る。
次の瞬間。
鎧兵の身体が消し飛んだ。
「完全に消せばいい」
「ほう」
アルベルトはそれを見ながら目を丸くした。
しばらくして、避難民の誘導が終わった。
街へ入る者たちが安全な場所へ移動した頃。
残っていた鎧兵たちが、突然動きを止めた。
そして全員が同じ方向を向く。
「……?」
次の瞬間、鎧兵たちは一斉に街の外へ向かって走り始めた。
また、まるで誰かに命令されたかのように。
俺は遠ざかっていく鎧兵たちを見る。
誰かが操っている。
そんな気がした。
戦いが終わったあと、俺はアルベルトの屋敷へ戻った。
そこで待っていたのは、アルベルトが手配したグランディアの医師だった。
「少し膝を見せてもらえますか」
「俺より避難民を診たほうがいいんじゃないのか?」
「それは当然です。ただ、あなたの膝も放っておける状態ではないことを聞きました」
「俺はいい」
「お兄ちゃん、せっかくだから見てもらおうよ」
ユイナが言うので、仕方なく診てもらう。
しばらくして、医師が難しい顔をした。
「正直に申し上げます」
「何だ?」
「私にも原因は分かりません」
俺は黙って聞く。
「ですが、右膝はかなり限界に近い状態です」
ユイナが息を呑んだ。
アンジェリカも表情を変える。
リナも黙って俺の膝を見る。
「これ以上、無理をして使えば……」
「どうなる?」
「取り返しのつかない事になります。できるだけ負担をかけないでください」
俺は膝を見る。
「そうか」
それだけだった。
別に大したことじゃない。
今までも痛かった。
これからも痛いだけだ。
「お兄ちゃん……」
ユイナが小さな声で言う。
「もう無理しちゃ駄目だよ」
「無理なんてしてない」
「してるよ」
ユイナの声が震える。
アンジェリカも口を開いた。
「……私たちが、頼りすぎていたのかもしれない」
「何を言っているんだ」
俺はため息をつく。
「こんなものたいしたことない」
「でも……」
ユイナが何か言おうとする。
俺は先に立ち上がった。
「ほら、普通に歩ける」
一歩。
ズキッ。
「……痛いな」
「だから言ってるんだよ!」
ユイナに怒られた。
その夜。
アルベルトが一つの大きな箱を持ってきた。
「これは私の家に代々伝わるものだ」
箱を開ける。
中には、特殊な造りの防具が入っていた。
「身につけているだけで、身体の傷や疲労を癒やすと言われている」
「そんなのがあるんですか?」
ユイナが驚く。
「だが、今まで誰が身につけても、その効果が現れたことはない」
アルベルトは笑った。
「気休め程度だが使ってくれないか」
「でも、そんな大切なもの……」
「気にするな」
「道具は使われてこそだ。必要な人間がいるなら、家にしまっておく理由もない」
アルベルトは俺を見る。
「試してみないか?」
「いらない」
即答した。
「邪魔だ」
「せめて膝だけでも」
アルベルトが膝用の防具を取り出す。
「これは動きを邪魔しない」
ユイナが俺を見る。
「お兄ちゃん、つけるだけでもしてみて」
「……」
俺は防具を見る。
面倒だ。
だが、ユイナが見ている。
「分かった」
俺は右膝用の防具を見た。
その瞬間。
防具の内側。
ほんのわずかに。
淡い光が輝いたように見えた。
「……?」
俺は目を細める。
だが、もう光はない。
気のせいか。
そう思った。
俺はそれを右膝につけた。
「……?」
膝の痛みが、少しだけ軽い。
「どうです?」
アルベルトが尋ねる。
「少し痛みがひいた」
「本当に?」
ユイナが嬉しそうにする。
「効果があったのかな?」
「分からない」
俺は立ち上がり、膝を曲げ伸ばしする。
動かしやすい。
「いいな」
防具を見る。
「金は払わんぞ」
アルベルトが吹き出した。
「払ってもらうつもりはない」
「そうか」
「むしろ、使ってもらったほうがいい。誰にも使われずに眠っているほうが、道具としてはもったいない」
「なら、もらう」
「即答だな」
アルベルトが笑う。
「他の防具が羨ましがるかもしれないな。膝だけ使ってもらえて」
「知らん」
俺は膝を撫でた。
少しだけ痛みが軽い。
それなら、それでいい。
俺はそれ以上考えなかった。
ただ――。
誰にも見えなかった防具の内側で。
ほんの一瞬だけ輝いた光が、右膝の奥へ消えていった。




