アグニア草を、花束に。編⑩ 完結
あれから、数日が経った。
リリアは、まだ一人で歩き回れるほどではない。
それでも、以前のように苦しそうに横になっていることはなくなった。
今ではベッドの上に座り、本を読んだり、窓の外を眺めたりしながら、普通の日常を過ごせるまでに回復している。
「リリア様、今日はこれを持ってきました」
「ありがとう、ミロさん」
ミロが持ってきたのは、村で採れた果物だった。
「おいしそう」
「村の人からいただいたものです。リリア様に、と」
「じゃあ、一緒に食べよう?」
「いいんですか?」
「うん」
リリアは笑った。
少し前まで、ミロが近づくだけでも緊張していたのが嘘のようだった。
そして――。
「ミロ!」
「おっと」
後ろから飛びついてきたリゼットが、ミロの腕にぶら下がる。
「リゼット様、危ないですよ」
「平気、平気!」
そのままリゼットは、ミロの腕にぶら下がったまま、くるくると回り始めた。
「ちょ、ちょっと……」
「ははは!」
ミロが困ったように笑う。
もう、すっかり懐いている。
その様子を見ながら、リリアも楽しそうに笑っていた。
「リゼット、ミロさん困ってるよ」
「大丈夫だって!」
「大丈夫じゃないですよ……」
そんな二人のやり取りを、少し離れたところからリナが眺めていた。
リナもリリアと同じ年ということもあり、ここ数日で自然に仲が良くなっていた。
「ねえ、リリア」
「なに?」
「これ、触ってみる?」
リナが手を前に出す。
その手のひらの上には、透明な水の塊が浮かんでいた。
「わあ……」
リナが魔力を込める。
水の塊が、ぎゅっと小さくなる。
それは柔らかく、ぷにぷにとした形になった。
「触ってみて」
「……ぷにぷにしてる」
「でしょ?」
リリアが指でつつく。
水の塊が少しだけへこみ、また元に戻る。
「面白い……」
「じゃあ、次はこっち」
リナがもう一度、魔力を込めた。
今度は水が一気に硬く圧縮される。
透明な塊は、まるで水晶のようになった。
「すごい……」
リリアが窓から差し込む光にかざす。
光を受けた水の塊が、きらきらと輝いた。
「綺麗……」
「でしょう?」
リナも嬉しそうに笑った。
それを見ていたリゼットが、突然何かを思いついたような顔をした。
「なあ、リナ」
「なに?」
「ちょっとそれ貸してくれ」
リゼットは、硬く圧縮された水の塊を手に取った。
「こうやって……横に回しながら――」
そして、床へ投げた。
水の塊は床に落ちると、横向きのまま勢いよく回り始めた。
くるくると回りながら、なかなか止まらない。
「……」
リナが眺める。
「……?」
しばらくすると、回転が弱まり、水の塊は床を転がって止まった。
「おお!」
リゼットが楽しそうに笑う。
「今度は、ぷにぷにした方!」
「え?」
「出して!」
「う、うん」
リナは何気に水を圧縮し、先ほどと同じ柔らかな水の塊を作った。
リゼットはそれを受け取ると、さっきと同じように横方向へ回しながら床へ投げた。
水の塊は床に落ちる。
最初は、ふらふらと不安定に回っていた。
だが――。
少しずつ、回転が整っていく。
そして次の瞬間。
水の塊が、まるで小さな渦のように回り始めた。
「わあ!」
「すごい!」
リゼットとリリアが声を上げる。
リナは黙って、それを見つめていた。
水の塊は、しばらくの間、渦のように回り続けた。
やがて回転が弱くなり――。
ぺたっ。
床に広がって、そのまま止まった。
「……」
リナの目が大きく開いた。
「どうしたの?」
「リナ?」
リリアとリゼットが、不思議そうに顔を覗き込む。
「ううん……」
リナは、水の跡を見つめる。
何かが引っかかっている。
けれど、それが何なのかまでは分からない。
「……なんだったんだろ」
「面白かったな!」
リゼットは、そんなことを気にせず笑っている。
「もう一回やろうぜ!」
「うん!」
「いいよ」
リナも笑った。
少し離れたところで、その様子を見ていたミロが首を傾げる。
「へえ……水って面白いですね」
その頃――。
俺は家で寝ていた。
「……」
静かだった。
とても静かだった。
俺にとっては、実に快適な時間だった。
その一方で、村ではユイナとアンジェリカが、村人や子供たちの訓練を続けていた。
「もう一度!」
「はい!」
村人たちも、以前とは動きが違う。
子供たちも、以前よりずっと動けるようになっていた。
アンジェリカは、それを見て感心する。
「かなり上達したな」
「旅に出る前より、ずっと動けるようになってますね」
ユイナも嬉しそうに言った。
村人の一人が言う。
「ミロが村を守ってくれるだけじゃなく、よく働いてもくれてるからな」
「だからこそ、少しでもミロの負担を減らしたいんですよ」
別の村人も続ける。
「ここは俺たちの村なんだ。自分たちで守れるようにならないとな」
アンジェリカは黙って頷いた。
そして、別の村人が笑いながら言った。
「それにしても、ミロはよく働く。どこかの誰かさんとは大違いだ」
「本当、その通りですね」
ユイナが笑う。
「まったくだ」
アンジェリカまで笑った。
その頃、家の中。
「……へっくしょん!」
俺はくしゃみをした。
「……風邪ひいたか」
そう呟いて、また横になった。
しばらくして、ユイナが俺のところへやってきた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「ミロって、本当にすごいね」
「そうか?」
「うん」
ユイナは少し考えるように黙った。
「村の人にも慕われているし、アグニア草の時だって……私も、あんな風になれるといいのに」
「……そうか」
俺は寝たまま答えた。
ユイナは少しだけ笑う。
「人を思う力って、あんなに自分を強くするんだね」
「……」
俺は何も言わなかった。
ただ、ユイナの声を聞いていた。
数日後。
リリアの状態も安定し、俺たちはそろそろ村を出ることになった。
「リゼットとリリアのことは、私たちにお任せくだされ」
村長がそう言う。
村人たちも頷いた。
「ミロもいますからな」
ミロも、いつもの杖を手にして頷く。
「はい。なんでもさせてもらいます」
俺はアンジェリカを見る。
「アンジェリカ」
「なんだ?」
「残ってもいいんだぞ」
アンジェリカは、少し困ったように笑った。
「そのことだがな」
「?」
「リゼットとリリアに話したんだ」
「なんて?」
「二人だけを村に残せない、私もここに残るとな」
「……それで?」
「怒られた」
「……」
「『姉ちゃんも行け』だそうだ」
アンジェリカは苦笑した。
「だから、行く」
「そうか」
俺は、それ以上何も言わなかった。
そして――。
俺たちは、エルビス村を出ることになった。
村人たち。
子供たち。
そして、リゼットとリリア。
みんなが見送りに来ている。
「姉ちゃん!」
リゼットが手を振る。
「今度はお土産、たくさん頼むぜ!」
「分かった」
アンジェリカが笑う。
その隣では、リリアがミロに支えてもらいながら立っていた。
「アンジェリカお姉ちゃん……気を付けて」
「ああ。リリアも無理するなよ」
「うん」
そして、リゼットが俺を見る。
「ユイナの兄ちゃん!」
「なんだ?」
「腹減ったからって、拾ったもんばっか食べんなよ!」
「……」
俺は眉を寄せた。
「俺のことをどう思ってるんだ」
周囲から笑い声が上がった。
リゼットも笑っている。
リリアも笑っている。
ユイナも、アンジェリカも、リナも笑っている。
その笑い声を聞きながら、俺は村を見渡した。
ミロがいる。
リゼットも、リリアもいる。
村人たちも、子供たちもいる。
……まあ、悪くない。
俺は、それ以上考えるのをやめた。
やがて、リゼットとリリアが俺を見る。
「アンジェリカお姉ちゃんをよろしくお願いします」
アンジェリカが、少し驚いた顔をする。
俺は思わず口を挟んだ。
「なんだそれ。世話になるのは俺だろ」
「そりゃそうだ!」
リゼットが笑う。
また、みんなが笑った。
俺も小さく息を吐く。
「……じゃあ、また、だ」
俺たちは歩き出す。
背中から、村人たちの声が聞こえてくる。
「気を付けて!」
「いつでも帰って来いよ!」
俺は振り返らなかった。
ただ――。
少しだけ、手を上げた。
そして俺たちは、エルビス村を後にした。




