アグニア草を、花束に。編⑨
「……すごい……」
リナの呟きだけが、静かな鉱山跡に残った。
倒れたガルド。
その前で、右拳をゆっくりと上げたまま動かないミロ。
アンジェリカとユイナは、
「ミロ!」
「ミロ、大丈夫!?」
「……へへへ……」
ミロは二人の声に、かすかに笑った。
だが、その身体はもう限界だった。
立つことすら難しい。
ユイナがミロの身体を支えると
アンジェリカがミロに言う。
「もう休め。ここまでだ」
「でも……」
ミロの視線が、岩陰へ向く。
そこには、薄い膜に包まれたアグニア草があった。
「リリア様が……」
ミロは岩陰へ向かおうと、起き上がろうとする。
だが――
「……っ」
身体が動かない。
「ミロ!」
ミロは苦しそうに息を吐きながら、アンジェリカを見る。
「アンジェリカ様……」
「なんだ」
「アグニア草を……リリア様に……」
アンジェリカはミロの視線を追った。
「分かった」
アンジェリカは岩陰へ向かい、アグニア草をそっと拾い上げる。
そしてミロのもとへ戻ると、その胸元にアグニア草を置いた。
「……少し、膜の魔力が落ちていますね」
アグニア草を包んでいた薄い膜。
それは確かに、先ほどより弱くなっていた。
ミロはその膜を見つめ、少しだけ笑った。
「へへへ……」
そして――
目を閉じた。
身体の奥から、何かを絞り出すように力を込める。
「……っ」
淡い魔力が、ミロの身体から流れ出す。
それがアグニア草を包む膜へ吸い込まれていく。
薄かった膜が、再び少しずつ強くなっていく。
「ミロ!」
ユイナが叫ぶ。
「何しているの!」
アンジェリカも驚いてミロを見る。
「やめろ! お前はもう――」
「へへへ……」
ミロは苦しそうに笑う。
「村までは……これで十分、持ちます……」
「馬鹿な……」
アンジェリカがミロを見る。
だが、その横でリナが小さく呟いた。
「……魔力じゃない」
ユイナがリナを見る。
「え?」
リナはミロを見つめていた。
「今の……魔力じゃない」
そして、震える声で続ける。
「自分の命を……使った……」
「……!」
ユイナの顔から血の気が引く。
アンジェリカも言葉を失う。
ミロはそんな二人を見て、困ったように笑った。
「へへへ……少しだけです」
「少しだけって……」
「なので……先に届けてあげてください」
ミロはアグニア草を見る。
「僕はここで少し休んでから……行きますので……」
だが――
その身体は、もうほとんど動かない。
ここへミロを置いていけば、命そのものが危ない。
それは誰の目にも明らかだった。
その時。
「……おい」
低い声が響いた。
ミロが顔を上げる。
俺は、ミロの方へ歩き寄る。
そして、ミロの前で立ち止まると、何も言わず、その身体を無理やり背負い上げた。
「……え?」
「行くぞ」
「で、でも……」
「アンジェリカ」
俺は前を向いたまま言う。
「少しは早く歩くつもりだ」
そして、少しだけ間を置く。
「ミロと一緒に帰る時間くらいは、くれないか」
アンジェリカは一瞬、俺を見る。
そして小さく笑った。
「ああ。もちろんだ」
アンジェリカはリリアのことを思い浮かべる。
「それに私の妹だ」
「そんな時間くらいでは、死にはしない」
「……そうか」
俺はミロを見る。
「草はお前が持て」
「はい」
ミロは胸元のアグニア草を両手で抱える。
「ありがとうございます……」
そして、また涙を流す。
「ありがとうございます……」
俺は眉をひそめる。
「何を言っているんだ、こいつは」
その横から、ユイナが口を挟む。
「膝が痛いんだよね~」
「……」
「で、今回だけよね、お兄~ちゃん」
俺は少しだけ照れたように顔をそらした。
「あぁ……」
ユイナは笑う。
俺たちはミロを背負ったまま、鉱山の出口へ向かって歩き出す。
一歩。
また一歩。
「……あぁ面倒だ」
さらに一歩。
「面倒だ……」
そして――
「面倒だ、面倒だ、面倒だ……」
その声を聞きながら、ユイナたちも微笑みながら後を追った。
やがて――
一行はエルビス村へ戻ってきた。
ミロを背負った俺たちは、そのままリリアの眠る部屋へ向かう。
ベッドの横には、リゼットがいた。
「姉ちゃん!」
リゼットが立ち上がる。
そして、その後ろから現れた俺の背のミロの姿を見て――
「……ミロ……」
言葉が止まった。
ボロボロの身体。
傷だらけの姿。
そして、その胸に抱えられたアグニア草。
リゼットには、それだけで分かった。
ミロが、どれだけ無茶をしてこれを持ってきたのか。
「……」
俺はミロをゆっくりと下ろす。
「ミロ。少しだけ歩けるか」
「……はい」
ミロはふらつきながら立ち上がる。
そして、一歩。
また一歩。
リリアのベッドへ近づいていく。
「遅くなりましたが……」
ミロはアグニア草を差し出す。
「アグニア草です」
リゼットはそれを見つめる。
「……ミロ」
アグニア草を持ち帰るために、ミロが何をしてきたのか。
どんな場所から、これを持ち帰ったのか。
リゼットには、何となく想像できていた。
「リリア!」
リゼットが妹へ振り向く。
「リリア! アグニア草だ!」
「ミロが持ってきてくれた!」
リリアの瞼が、ほんの少し動いた。
「……」
ゆっくりと目が開く。
リゼットが息を呑む。
「リリア!」
アンジェリカも声を上げる。
「リリア!」
だが――
リリアの視線は、二人ではなく別の場所へ向いていた。
アグニア草。
リゼットとアンジェリカも、その視線を追う。
そして――
「……え?」
アグニア草のつぼみが、わずかに揺れた。
赤く細長い、棘のような模様が刻まれたつぼみ。
毒々しささえ感じさせるその姿が――
ゆっくりと開き始める。
一枚。
また一枚。
花びらの色が中心へ向かうほど鮮やかに変化していく。
「……わぁ……」
リゼットの目が輝く。
部屋の中が、淡い光に包まれていく。
中心から放たれる、柔らかな光。
それは、つぼみからは想像もできないほど美しかった。
ミロも、ただ静かにその花を見つめる。
そして――
リリアも、薄く目を開け、その花を見つめる。
その瞳にも、淡い光が映る。
「……きれい」
小さな声だった。
けれど、その瞳は確かに輝いていた。
その瞳に映るように――
アグニア草は、ゆっくりと最後の花びらを開いた。
金色から橙、そして赤へと色を変えながら、花びらは炎のように広がっていく。中心には、淡い光が静かに宿っていた。
――その花は、つぼみからは想像もできないほど美しかった。
アグニア草は、完全に花を開いた。




