アグニア草を、花束に。編④
エルビス村から少し離れた山道。
ミロは一人で歩いていた。
手には、いつもの杖。
その足取りは、村を出たときと変わらない。
「……アグニア草」
ミロは小さく呟く。
村長から聞いた場所を思い出しながら、山道を進んでいく。
リリアのため。
そのために必要な薬草。
ミロには、心当たりがあった。
だが――
その場所が安全ではないことも、ミロは知っていた。
「……大丈夫」
誰に言うでもなく呟く。
「僕なら、たぶん」
ミロはさらに山の奥へ進んでいった。
――同じ頃。
エルビス村。
「久しぶりだな」
村へ到着した俺たちは、周囲を見渡す。
ユイナとリナも俺の後ろから村の様子を見る。
村の者が俺たちを見たところで、
「ユイナちゃん、リナちゃん、それとユイナちゃんの兄ちゃん、お帰り!」
と声をかけてきた。
俺はおまけか?とも思ったが、今は何も言わない。
「アンジェリカさんが先に帰っていると思うのですが……」
とユイナが聞くと、村の者はすぐにアンジェリカのもとに案内してくれた。
俺たちはアンジェリカに会うと、状況を聞いた。
「アグニア草……そうなんですね。それがあれば治るかもしれないということですね」
とユイナは頷く。
俺はふと周りを見渡すと、
「ところで、ミロは元気にやってるのか?」
と聞く。
するとアンジェリカは、
「アグニア草、実はミロが取りに行っている」
「一人でか……」
「ああ。自分に心当たりがあると言って、一人で向かった」
――その頃。
山の奥深く。
「……暑い」
ミロは額の汗を拭った。
先ほどまでの山道とは、明らかに空気が違う。
熱気が身体を包み込んでいる。
足元の岩も熱を持っている。
「ここ……」
ミロは周囲を見回す。
そこは、まるで火山口のような場所だった。
岩肌の隙間から熱気が立ち上り、所々では赤く焼けた岩が見えている。
「……あった」
ミロの目が細くなる。
岩の間。
そこに赤く細長いつぼみを持つ植物が生えていた。
表面には棘のような模様があり、光を受けて艶めいている。
「やはり、これか」
ミロはしゃがみ込む。
「アグニア草……」
村長から聞いた特徴とも一致している。
ミロは慎重に手を伸ばした。
「よし……」
一本目を採る。
続いて二本目。
三本目。
傷つけないよう、一つ一つ丁寧に採取していく。
「これだけあれば……」
そのときだった。
――ゴオオオオオオッ!
「……!」
突風が吹き抜けた。
ミロが顔を上げる。
空が暗くなる。
巨大な影が、山の上から降りてくる。
「……」
ミロは動きを止めた。
巨大な翼。
赤黒い鱗。
鋭い爪。
そして、灼熱の息。
「……炎龍」
ミロはその姿を見上げる。
炎龍が、自分の巣へ戻ってきた。
「……間に合わなかったか」
ミロは小さく呟いた。
この場所が炎龍の住みかであることを、ミロは知っていた。
だからこそ、炎龍が戻ってくる前に採取を終えるつもりだった。
だが――
「少し遅かった……」
炎龍の目がミロを捉える。
そして、その視線が足元へ向く。
自分の巣。
そこに入り込み、草を採っているミロ。
炎龍には、それが巣を荒らしているようにしか見えなかった。
「……違う」
ミロが立ち上がる。
「僕は、これを――」
言葉が終わる前に。
炎龍が咆哮した。
「……!」
炎が吐き出される。
ミロは咄嗟に横へ飛んだ。
――ゴオオオオッ!
炎が地面を焼く。
「熱い……!」
ミロは転がりながら立ち上がる。
そして、アグニア草を見る。
「……まだ、大丈夫」
炎龍が翼を広げる。
次の攻撃が来る。
「防御強化!」
ミロ自身の身体へ魔力を流す。
身体を包むように魔力が巡り、炎への耐性を高めていく。
同時に、採取したアグニア草にも魔力を注ぐ。
「こっちも……守らないと」
アグニア草を包むように、魔力の膜が生まれる。
炎龍が再び炎を吐いた。
「ぐっ……!」
ミロは両腕を前に出して耐える。
身体が熱に包まれる。
炎を防ぐため、さらに魔力を流し込む。
そのたびに、身体の奥から何かが抜けていくような感覚があった。
足元の岩が溶ける。
「……っ!」
炎が消える。
ミロは膝をついた。
「はぁ……はぁ……」
短い呼吸を繰り返す。
防御に回した魔力が、思った以上に減っている。
だが、アグニア草を包む魔力はまだ維持できている。
ミロは小さく息を吐き、立ち上がった。
「まだ……」
炎龍が迫ってくる。
巨大な爪が振り下ろされた。
「うわっ!」
ミロは避ける。
だが、地面へ叩きつけられた衝撃だけで身体が吹き飛ぶ。
「ぐ……!」
岩へ激突する。
ミロは痛みに顔を歪めながら立ち上がる。
「……強い」
ミロには分かっていた。
正面から戦って勝てる相手ではない。
それでも――
「アグニア草だけは……」
ミロは再び草へ魔力を送る。
すでに一度炎を受けたことで、防御の魔力も消耗している。
それでも、採取したアグニア草だけは無傷で持ち帰らなければならない。
ミロは残った魔力を慎重に配分する。
その瞬間、炎龍が突進してくる。
「攻撃強化!」
ミロ自身の身体を強化する。
筋力を引き上げるため、魔力が一気に消費される。
「……っ!」
身体に力が戻る。
だが、その代わりに胸の奥に重い疲労がのしかかった。
そして、すぐ近くにあった大きな岩へ手をかける。
「……っ!」
魔力を全身に巡らせる。
「よい……しょっ!」
巨大な岩を持ち上げる。
炎龍へ向けて投げつける。
――ドンッ!
岩が炎龍にぶつかった。
しかし――
炎龍は何もなかったように、岩をはじき返す。
弾き返された岩が地面へ落ち、熱で赤く染まりながら溶けていく。
ミロは息を切らす。
「全然、効かない」
魔力を使った分だけ、呼吸も苦しくなっていた。
それでも立っている。
炎龍が咆哮する。
「……!」
再び炎が迫る。
ミロは横へ飛んだ。
だが、避けきれない。
「ぐあっ!」
身体を炎がかすめる。
ミロは地面を転がった。
防御強化の魔法が炎を軽減した。
それでも、かなりの魔力を持っていかれた。
「……っ、はぁ……」
ミロは苦しそうに息を吐く。
腕に力を入れて身体を起こす。
それでも手には、アグニア草がある。
「……大丈夫」
ミロはアグニア草を確認する。
傷はない。
「よかった……」
ミロは再び立ち上がる。
だが、身体が重い。
魔力の残量が明らかに減っている。
それでも、まだ使える。
「ゴーレム!」
地面の岩が動き始める。
いくつもの岩が集まり、一体のゴーレムが形を作っていく。
ゴーレムが完成する。
ミロは杖を握り直す。
「強化……!」
ゴーレムにも魔力を注ぎ込む。
身体を強固にするため、さらに魔力が削られていく。
「……っ」
ミロの額から汗が落ちる。
呼吸も徐々に荒くなっていく。
それでも、ゴーレムは動き出した。
炎龍へ向かって走る。
炎龍の爪が振り下ろされる。
――ズドンッ!
ゴーレムの身体が大きく吹き飛んだ。
「まだ!」
ミロが叫ぶ。
ゴーレムが立ち上がる。
しかし、炎龍が翼を振る。
強烈な風圧がゴーレムを吹き飛ばす。
そして――
炎。
ゴーレムが炎に包まれる。
岩の身体が赤く染まり、次々と溶けていく。
「……ゴーレム」
ミロの顔から余裕が消える。
炎龍は強すぎる。
ゴーレムですら、相手にならない。
そして、ゴーレムを維持しているだけでも魔力が減り続けている。
ミロは杖を握る手に力を込める。
「……まだ」
だが、身体が思うように動かない。
息が苦しい。
頭も少しずつ重くなってきた。
それでも、ゴーレムへの魔力供給を切れば、すぐに溶け崩れてしまう。
ミロは最後まで魔力を送り続ける。
やがて――
ゴーレムの身体が大きく崩れた。
残った岩が地面へ溶け落ちる。
ミロはその場で肩を上下させる。
「……はぁ……はぁ……」
もう、かなり苦しい。
魔力も大きく削られていた。
それでも。
ミロはアグニア草を守る。
「……これだけは」
残った魔力を、さらにアグニア草へ注ぎ込む。
少しでも魔力を使えば、自分の身体を守る余裕がなくなる。
それでも――
「絶対に……傷つけない」
炎龍の炎が再び迫る。
ミロは自分自身にも防御強化をかける。
残り少ない魔力がさらに削られる。
そして、アグニア草にも魔力を集中させる。
こちらも守らなければならない。
炎が周囲を包む。
「ぐあああっ!」
ミロの身体が焼かれる。
防御魔法が炎を受け止めるたびに、魔力が急速に失われていく。
「……っ!」
それでも魔力を止めない。
アグニア草を守る。
ただ、それだけに意識を集中する。
「……まだ」
炎が消える。
ミロはその場に膝をついた。
呼吸が荒い。
身体に力が入らない。
魔力を感じようとしても――
ほとんど何も感じられなかった。
残っているのは、ほんの僅か。
ゴーレムも、もう動かない。
炎龍が再びこちらを見る。
「……もう、無理」
ミロはそう呟いた。
身体を動かすための魔力すら、ほとんど残っていない。
だが――
腕の中にはアグニア草がある。
「……これを持って帰らないと」
ミロは立ち上がった。
ふらつく身体を引きずる。
炎龍が襲いかかる。
「……!」
ミロは残った僅かな魔力を身体へ回し、最後の力を振り絞って逃げる。
背後で岩が溶ける。
炎が山肌を焼く。
それでもミロは振り返らない。
ただ、アグニア草だけを抱えて走った。
山を下りる。
足が動かない。
身体中が痛い。
魔力は、空だった。
「……はぁ……」
一歩。
また一歩。
ミロはエルビス村への道を歩いていく。
「……リリア様」
小さく名前を呼ぶ。
「これ……持って帰るから」
その足取りは、今にも倒れそうだった。
それでも進む。
やがて――
前方に、影が見えた。
「……?」
ミロが顔を上げる。
複数の男たちが立っている。
その中央に、一人の男。
ミロはその顔を見た瞬間、足を止めた。
「……」
男が笑う。
「久しいな、ミロじゃないか」
ミロの目が見開かれる。
「……ガルド」
昔の仲間。
ガルドの周囲には、何人もの子分がいる。
ガルドはミロの傷だらけの身体を眺める。
「ずいぶん酷い格好だな」
ミロは何も答えない。
ただ、腕の中のアグニア草を抱きしめる。
ガルドの視線がそこへ移ると、口元に薄い笑みが浮かんだ。




