アグニア草を、花束に。編①
ヴァレリア。
静かな部屋の中に、荒い呼吸だけが響いていた。
「……リリア」
ベッドの上で横になっている妹を、リゼットはじっと見つめていた。
以前よりも明らかに顔色が悪い。
胸が小さく上下し、その呼吸もどこか苦しそうだった。
「リリア、大丈夫か?」
「……大丈夫」
リリアは薄く目を開け、少しだけ笑った。
「リゼットは……大げさなんだから」
「大げさじゃないだろ」
リゼットはベッドの横に座る。
「前より苦しそうじゃないか」
「そうかな……」
「そうだよ」
リリアは何か言おうとしたが、途中で小さく咳き込んだ。
「リリア……」
「大丈夫」
そう言って笑う。
その笑顔が、今のリゼットには余計に辛かった。
しばらくして、リゼットは医師のもとへ向かった。
「先生」
「どうした?」
「リリアのことなんだけど……」
リゼットは今の状態を詳しく尋ねた。
医師は少し黙ったあと、重い口を開いた。
「……正直なところ」
「はい」
「この街でできる治療は、もう限界に近い」
リゼットの表情が固まる。
「……治せないのか?」
「治療を続けることはできる。だが、これ以上良くなる保証はない」
「じゃあ……どうすれば」
「グランディア、あそこならこの街にはない設備もある。腕の良い医師もいる」
「グランディア?」
医師は続けた。
「ただし、ヴァレリアからグランディアまでは馬車でも数日はかかる」
数日。
リゼットは黙り込んだ。
今のリリアを連れて、数日間の馬車旅。
それがどれほど危険なのかは分かっている。
それでも――。
「グランディアへ行く」
リゼットは決めた。
部屋へ戻る。
「リリア」
「なに?」
「グランディアへ行こう」
リリアの目が少しだけ見開かれた。
「グランディア……?」
「先生が、そこならもっと良い治療が受けられるって」
「でも……遠いよ」
「だから行くんだ」
「リゼット……」
「大丈夫だ」
リゼットは笑った。
「俺がついてる」
リリアはしばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……うん」
翌日。
リゼットは一羽の鳥を腕に乗せていた。
細身の鳥。
白銀の羽。
翼の先だけが、淡い青に染まっている。
リゼットは小さな紙を取り出す。
何度も折り、細く丸める。
そして鳥の足についた小さな筒へ入れた。
「……ルル」
リゼットは鳥を見る。
「頼んだ」
ルルは小さく鳴き飛び立った。
その直後、二人はチャーターした馬車へ乗り込んだ。
グランディアへ向かうために。
――――――――――
一羽の細身の鳥が、アンジェリカのもとへ飛んできた。
「……ルル」
アンジェリカは気付き、左腕を空へ差し出す。
ルルはその腕へ、静かに舞い降りた。
白銀の羽。その翼の先だけが、淡い青に染まっている。
足には、小さな手紙筒。
「久しぶりね」
アンジェリカはルルの頭を、そっと撫でる。
ルルは逃げることもなく、気持ちよさそうに目を細めた。
ユイナが不思議そうに近づいてくる。
「お兄ちゃん、あの鳥……?」
「俺に聞くな」
リナもアンジェリカの腕に止まったルルを覗き込む。
「アンジェリカさん、その鳥は?」
アンジェリカはルルを見つめながら、静かに答える。
「この子は、昔から妹たちと私を繋いでくれていた」
「妹さん?」
アンジェリカは頷く。
「ええ。私がエルビス村を離れてからも、何度かこの子に手紙を運んでもらってる」
アンジェリカは小さな手紙筒を外す。
そして筒を開ける。
中から、くるくると丸められた小さな紙が出てきた。
広げる。
そこに書かれていたのは、短い一文だった。
『リリアの治療のため、グランディアに向かいます』
「…………」
アンジェリカの表情が、ほんの少し曇る。
「グランディア……」
ユイナも手紙を覗き込む。
「妹さん?」
アンジェリカは頷く。
もう一度、手紙を見る。
短い。
あまりにも短い。
けれど、リリアの状態について、それ以上のことは何も書かれていなかった。
「……心配だけど」
アンジェリカは紙を折り直す。
「きっと、大丈夫」
そう呟いて、ルルを見る。
「ありがとう。リゼットのところへ」
ルルは小さく鳴いた。
そしてアンジェリカの腕から飛び立つ。
白銀の翼が、青い光を残すように空へ舞い上がっていく。
アンジェリカは、その姿が見えなくなるまで空を見つめていた。
――――――――――
馬車は街道を進んでいた。
何度も揺れるたび、リリアの身体が小さく揺れる。
「……大丈夫か?」
「うん……」
返事はする。
だが、以前よりも声が弱い。
リゼットは何度も妹の顔を確認した。
「もう少しだ」
「……うん」
「グランディアに着けば、ちゃんと診てもらえる」
「うん……」
リゼットは自分に言い聞かせるように呟く。
もう少し。
あと少し。
それだけを考えていた。
御者は困ったような顔をしていた。
少しして御者は
「さっき、道中で聞いたんですがね」
「何を?」
「グランディアの周辺で、戦があったようです」
「……戦?」
リゼットの顔が強張る。
「グランディアは大丈夫なのか?」
「街そのものは大丈夫なようですが……」
御者は少し言葉を濁した。
「周辺から逃げてきた人たちで、今は街がいっぱいになっているそうです」
「……避難民で?」
「ええ」
御者は前を向いたまま続ける。
「これじゃあ、グランディアに着いたとしても……まともな治療を受けられるとは思えません」
リゼットはリリアを見る。
「そんな……」
リリアは目を閉じたままだった。
その直後――。
馬車が大きく揺れた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
馬が激しく嘶く。
「な、なんだ!?」
御者が手綱を引く。
街道の脇から、何かが飛び出してきた。
「魔物だ!」
次の瞬間。
大きな衝撃が馬車を襲った。
木が砕ける音。
車輪が外れる音。
引き具が、乾いた音を立てて弾け、
突然自由になった馬が、驚いたように嘶き、駆け出していく。
馬車が大きく横倒しになった。
「きゃあっ!」
リゼットはとっさにリリアを庇った。
「……リリア!」
「う……」
「大丈夫か!?」
「……うん」
だが、御者の姿がない。
「おい!」
外を見る。
御者はすでに街道を走っていた。
「待て!」
しかし、戻ってくる気配はない。
魔物の姿を見て、逃げたのだ。
「……くそっ」
リゼットの身体が震える。
怖い。
足が震える。
それでも、リリアの前から動かなかった。
魔物がこちらへ近づいてくる。
リリアは弱々しく目を開けた。
「リゼット……」
「大丈夫だ」
「……逃げて」
「え?」
「私のことはいいから……リゼットは逃げて」
「何言ってるんだよ」
「リゼットだけなら……逃げられる」
リゼットは唇を噛んだ。
そして、近くに落ちていた一本の棒を拾った。
手が震えている。
足も震えている。
それでも立ち上がった。
リリアの前に立つ。
「……嫌だ」
「リゼット……」
「お前を置いて逃げられるか」
棒を両手で握る。
魔物が唸る。
怖い。
今にも足がすくみそうになる。
それでもリゼットは退かなかった。
「……来やがれ」
震える声。
それでも、必死に声を張る。
「俺が相手だ!」
魔物が地面を蹴った。
リゼットへ向かって、一気に飛びかかる。
「うわあああっ!」
棒を振り上げる。
だが――。
間に合わない。
魔物の爪が目の前まで迫る。
リゼットは死を覚悟した。
――その瞬間。
ドンッ!!
魔物の身体が横へ吹き飛んだ。
「……え?」
リゼットは呆然とする。
地面に転がった魔物。
その向こうから、小さな影がゆっくりと近づいてくる。
リゼットは目を見開いた。
小さな影は二人を見つめる。
「怪我はないですか?」
ミロであった。




