☆迷子の少女
ラグナールを出て、数日が経っていた。
町を離れてから、俺たちは街道を進みながら、いくつかの村や小さな集落を通り過ぎてきた。
旅そのものは、今のところ順調だった。
……少なくとも、俺にとっては。
「……兄様、寝てる?」
「寝てるな」
「またですか……」
そんな声が聞こえてくる。
俺は地面に横になったまま、薄く目を閉じていた。
別に眠っているわけではない。
ただ、立っているより横になっているほうが楽なのだ。
右膝の痛みも、ラグナールを出てから少し落ち着いている。
だからといって、無理をするつもりはない。
ユイナとアンジェリカ、リナのレベルも上げなければならない。
「来るよ!」
リナの声が響いた。
俺は目を開けない。
だが、周囲の気配は感じている。
前方。
木々の間から、数体の魔物がこちらへ向かってきていた。
以前なら、魔物を見た瞬間に少し慌てていたかもしれない。
だが――
「水裂!」
リナが水裂を構えた。
二つの銃口が、迫ってくる魔物を捉える。
――パンッ!
乾いた音が森に響いた。
一発目が魔物の身体を捉え、大きくよろめかせる。
慌てる様子はない。
手元の動きは、ラグナールを出たばかりの頃よりずっと滑らかになっていた。
「……」
俺は薄く目を開ける。
リナの手元。
魔物の位置。
その両方を見る。
装填を終えたリナが、すぐに銃口を上げた。
「そこ!」
――パンッ!
二発目。
今度は別の魔物の足元へ水が弾けた。
足を取られた魔物が、勢いを失う。
「ユイナ!」
「任せて!」
ユイナが前へ出る。
光がその手に集まった。
動きを止めた魔物へ向かって、光が走る。
その横をアンジェリカが駆け抜けた。
「リナ、右だ!」
「分かってる!」
リナはすぐに水裂へ水を装填する。
次の瞬間。
逃げようとした魔物へ銃口が向く。
「――そこ!」
――パンッ!
魔物が倒れた。
「もう一体!」
アンジェリカが叫ぶ。
リナはすぐに身体の向きを変えた。
狙い。
そして――
――パンッ!
水が魔物の動きを鈍らせる。
そこへユイナの光が走った。
アンジェリカの魔法が続く。
ほどなくして、森に静けさが戻った。
「……終わった」
リナが水裂を下ろした。
「うん。今のはよかったよ」
ユイナが笑う。
「本当?」
「うん。ちゃんと周りを見てた」
リナは嬉しそうに水裂を見る。
俺は横になったまま、その様子を眺めていた。
ラグナールで水裂が完成したとき。
リナは、自分の手にした武器を何度も眺めていた。
嬉しくて仕方がない。
そんな顔だった。
だが、あれから数日。
何度か魔物と戦ううちに、明らかに変わってきている。
構えるのも。
狙うのも。
撃つのも。
そして、撃った後に次の攻撃へ移るのも。
少しずつだが、自然になってきた。
俺はそれを見ていた。
……まあ。
本人には、あまり言わないでおこう。
心配していないわけじゃない。
むしろ、危ないところがあればすぐに分かるように、ずっと見ている。
「ずいぶん使えるようになったな」
俺が言うと、リナが振り返った。
「兄様、見てたの?」
「いや」
リナは微笑む。
「……えへへ」
リナが水裂を抱きしめる。
「もっと上手になりたい」
「焦るなよ」
「うん!」
その返事を聞いて、俺はまた横になった。
「お兄ちゃん……」
ユイナの呆れた声が聞こえる。
「何だ?」
「せっかく褒めたんだから、もう少し起きててあげたら?」
「……努力する」
「寝る気満々だな」
アンジェリカの声まで聞こえた。
俺は苦笑した。
そんなやり取りをしながら、俺たちは再び街道を歩き始めた。
そして――
昼を少し過ぎた頃だった。
「……あれ?」
リナが足を止めた。
「どうした?」
「あそこ……誰かいる」
街道から少し外れた木の陰。
そこに、小さな女の子が一人で座り込んでいた。
膝を抱えている。
泣いていた。
「お兄ちゃん、あの子……」
ユイナが少女へ近づこうとする。
「待て」
アンジェリカが静かに制した。
「驚かせないほうがいい」
アンジェリカは少女から少し離れた場所で足を止めた。
杖を持っている。
表情も真剣だ。
少女から見れば、少し怖く感じるかもしれない。
案の定。
少女が顔を上げた瞬間、その身体がぴくっと固まった。
視線がアンジェリカの杖へ向く。
それから、顔を見る。
「……」
アンジェリカは、それ以上近づかなかった。
代わりに、ユイナとリナが少女のそばへ行く。
ユイナが少女の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫だよ」
リナも隣にしゃがむ。
「どうしたの?」
少女は二人を見た。
少しだけ警戒が解けたようだった。
「……」
アンジェリカは少し離れた場所から、その様子を見ている。
「一人?」
ユイナは声をかける。
少女は小さく頷いた。
「家族とはぐれたの?」
また頷く。
「……お姉ちゃん」
少女が小さな声で答えた。
「お姉ちゃんとはぐれたの……」
「それなら、探そう」
「……え?」
「あなたのお名前は?」
「……ミナ」
「ミナちゃんね、私はユイナ、でこっちはリナ、あのお姉ちゃんはアンジェリカさん、あとはおにいちゃん」
「おまけみたいだな……」
俺は呟く。
「ミナちゃんのお姉さんを探そう。ここに一人でいるより、そのほうがいい」
少女はユイナを見る。
ユイナが少女へ笑いかける。
リナも頷く。
「お姉ちゃん、どっちに行ったの?」
少女は少しずつ話し始めた。
森の中で姉と一緒に歩いていたこと。
少し休んでいる間に、はぐれてしまったこと。
姉が探しに戻ってくると思って、ここで待っていたこと。
だが、時間が経っても戻ってこない。
「……怖かった」
少女が呟く。
「うん」
ユイナが優しく頷く。
「もう大丈夫だよ」
その言葉に、少女は少しだけ安心したようだった。
俺は少し離れた木陰に座り込んだ。
まあ、俺にできることはない。
……いや。
正確には、見ていることならできる。
ユイナ。
リナ。
アンジェリカ。
三人がどう動いているか。
少女の様子。
周囲の気配。
全部、見ている。
そしてしばらく歩いたところで、異変が起きた。
森の奥から、低い唸り声。
「……魔物」
アンジェリカが杖を構える。
リナもすぐに水裂を手に取った。
「下がって!」
木々の向こうから、魔物が飛び出した。
少女が悲鳴を上げる。
アンジェリカの魔法が放たれ、魔物の進路を逸らす。
だが、魔物は止まらない。
次の瞬間。
魔物の視線が少女を捉えた。
少女が動けなくなる。
俺はその瞬間――
薄く目を開けた。
魔物の位置。
少女との距離。
アンジェリカの位置。
そして、魔物の攻撃が向かう先。
一瞬で判断する。
――アンジェリカなら間に合う。
俺が出る必要はない。
それに。
あの攻撃なら、少女を庇ったとしても――
傷は浅い。
俺は動かなかった。
アンジェリカなら、大丈夫。
魔物が少女へ向かって跳ぶ。
「――っ!」
アンジェリカが少女の前へ飛び込んだ。
魔物の爪が振り下ろされる。
――ザッ。
「……!」
アンジェリカの腕を爪がかすめた。
赤い線が一本走る。
だが、深くはない。
アンジェリカは顔色一つ変えなかった。
「下がっていろ!」
少女を背に庇いながら、杖を振る。
魔法が魔物を弾き飛ばす。
俺は目を閉じた。
やはり、大丈夫だ。
「アンジェリカさん!」
ユイナが叫ぶ。
「問題ない!」
アンジェリカが即座に返した。
「リナ!」
「分かってる!」
リナが水裂を構える。
その動きには、もう迷いがなかった。
魔物が起き上がる。
リナは水裂へ水を装填する。
カチッ。
その音が響いた瞬間には、もう銃口が魔物を捉えていた。
「今!」
――パンッ!
一発目。
魔物がよろめく。
ユイナが光の盾を展開し、魔物の突進を止める。
「リナ!」
「うん!」
リナはすぐに装填する。
迷いのない動きだった。
そして――
――パンッ!
二発目。
魔物が地面へ倒れた。
アンジェリカが最後の魔法を放つ。
光と炎が重なり、魔物の動きが完全に止まった。
静寂。
戦闘は終わった。
「……ふぅ」
リナが息を吐く。
水裂を下ろす。
「大丈夫?」
ユイナがアンジェリカへ駆け寄る。
「ああ。かすっただけだ」
アンジェリカが腕を見る。
確かに浅い。
少女は、呆然とアンジェリカを見つめていた。
さっきまで怖いと思っていた人。
その人が、自分の前に立っていた。
自分を守るために。
「……」
少女は何も言わない。
ただ、アンジェリカを見ていた。
「怪我はないか?」
アンジェリカが少女へ声をかける。
少女は小さく首を横に振った。
「そうか」
アンジェリカはそれだけ言った。
「ならよかった」
少女はまだ、アンジェリカを見ていた。
その目に、もう先ほどまでの怯えはなかった。
代わりに――
小さな安心が浮かんでいた。
それからしばらくして。
「……いた!」
森の向こうから声がした。
少女の姉だった。
「お姉ちゃん!」
少女が駆け出す。
「よかった……!」
姉も走ってきて、少女を強く抱きしめた。
「ごめんね……! 怖かったよね……!」
「お姉ちゃん……!」
二人は泣きながら抱き合っている。
その姿を、俺たちは少し離れた場所から見ていた。
「よかったね」
ユイナが微笑む。
「うん」
リナも笑っている。
アンジェリカは、何も言わずに姉妹を見つめていた。
ミナの姉は
「ありがとうございました、なんとお礼を言ったらいいか・・・」
「気にすることはない」
俺が言うと。
「お兄ちゃんは何もしてないけどね」
とユイナが言う。
「たしかにな」
俺は納得するとユイナとリナが笑う。
「じゃあな」
俺が少女に声をかける。
少女は姉の手を握っている。
俺たちは少女たちと反対の方向へ歩き始める。
だが――
アンジェリカが歩き出したところで、少女はアンジェリカの服をちょこんと掴んだ。
アンジェリカは振り返る。
そして少女は小さな声で言った。
「お姉ちゃん、ありがとう」
アンジェリカが少し驚いたように少女を見る。
少女は顔を上げる。
アンジェリカの目が、ほんの少しだけ揺れた。
「……ああ」
それだけだった。
アンジェリカは少女の頭に手を置く。
優しく、ほんの一度だけ撫でた。
少女は微笑む。
姉妹は手を繋ぎ、何度も振り返りながら歩いていく。
俺たちも、反対の道へ歩き始めた。
しばらくして。
空が、赤く染まり始めた。
夕日が街道を照らしている。
「今日のリナ、すごかったね」
ユイナが言う。
「本当?」
「うん。水裂、すごく上手くなってた」
「兄様もそう言ってくれた!」
リナの嬉しそうな声が響く。
「……そうか」
俺は少し笑った。
その後ろを歩いているアンジェリカは、静かだった。
俺は何となく振り返る。
アンジェリカは、沈みかけた夕日を見ていた。
さっきの姉妹の姿を思い出しているのだろうか。
小さな手を握る姉。
その姉に抱きつく妹。
そんな光景を、しばらく黙って見つめている。
「……」
アンジェリカの表情が、少しだけ変わった。
寂しそうに。
遠くを見るように。
そして――
「……妹たちは、今どうしているだろう」
小さな声だった。
夕日の中に、その言葉が溶けていく。
俺は何も聞かなかった。
ただ、その横顔を見つめていた。
アンジェリカが故郷に残してきた、二人の妹。
その二人が今、どこで何をしているのか。
俺はまだ、何も知らなかった。
ただ――
夕日に照らされたアンジェリカの横顔が、いつもより少しだけ寂しそうに見えた。
俺たちは、そのまま夕暮れの街道を歩いていった。




