飛ばない水編⑤
朝。
町の外れにある鍛冶屋では、いつものように金属を叩く音が響いていた。
カン。
カン。
カン――。
鍛冶屋は黙々と金槌を振る。
そのときだった。
「……?」
ふと、手を止めた。
何かがおかしい。
外が妙に静かだった。
鳥の声がしない。
風の音もない。
代わりに――。
「……グルル……」
遠くから、低い唸り声が聞こえた。
鍛冶屋は眉をひそめる。
「魔物か……?」
金槌を握り直す。
そして、工房の外へ出た。
外に出た瞬間。
「……!」
鍛冶屋の目の前に、狼のような魔物がいた。
一匹。
いや。
二匹。
三匹。
さらに、その後ろからも次々と姿を現す。
「ちっ……」
鍛冶屋は金槌を構えた。
「こんな町の外れまで来おったか」
魔物が低く唸る。
次の瞬間。
一匹が飛びかかってきた。
「ぬっ!」
鍛冶屋は身体を横へずらし、金槌を振り抜く。
ガンッ!
魔物の身体に金槌が当たった。
「グルッ!」
魔物が地面を転がる。
「よし……!」
だが。
その隙に、別の魔物が横から迫っていた。
「なっ……!」
鍛冶屋は慌てて金槌を戻す。
ガキンッ!
牙と金槌がぶつかる。
「ぐっ……!」
腕に衝撃が走った。
「こいつ……!」
押し返そうとする。
だが、力が違う。
魔物に押し込まれ、鍛冶屋の身体が後ろへ下がる。
「ぬおおっ!」
なんとか振り払う。
魔物が離れた。
しかし、息が上がっている。
「……はぁ……はぁ……」
まだいる。
目の前に三匹。
さらに、その後ろにも何匹かいる。
「この数は……」
鍛冶屋は金槌を握り直した。
だが。
次の一匹が飛びかかってくる。
「ぐっ!」
金槌で受ける。
ガキンッ!
重い。
腕が痺れる。
「くそっ……!」
押し返せない。
そのまま地面へ押し倒されそうになる。
「ぐあっ!」
鍛冶屋が膝をついた。
魔物が牙を剥く。
「……まずい……!」
金槌を構え直す。
だが、もう腕に力が入らない。
そのときだった。
「鍛冶屋さん!」
声がした。
鍛冶屋が振り向く。
そこに立っていたのは、リナだった。
「嬢ちゃん……?」
リナは、その場で立ち止まった。
目の前には、何匹もの魔物。
そして――。
襲われている鍛冶屋。
「……っ」
身体が震えた。
怖い。
足が動かない。
鍛冶屋はリナを見ると、声を張り上げた。
「嬢ちゃん! 逃げろ!」
「……!」
リナの身体がびくっと震える。
鍛冶屋は金槌を握り直そうとする。
「ここはいい! 早く逃げるんじゃ!」
リナは後ろを見る。
兄様たち。
みんなを呼びに行けばいい。
そう思った。
兄様たちのところへ戻って、助けを呼ぶ。
それなら――。
けれど。
リナは目の前の魔物を見る。
鍛冶屋を見る。
今にも襲い掛かろうとしている。
「……」
呼びに行っている間に。
間に合わない。
そう思った。
兄様たちを呼んで戻ってくる。
その頃には――。
「……間に合わない」
リナは小さく呟いた。
足が震える。
怖い。
それでも。
鍛冶屋は、今ここで襲われている。
リナは左手を見る。
そして、鍛冶屋を見る。
「……」
ぎゅっと拳を握る。
「……助けなくっちゃ」
その瞬間。
リナの表情が変わった。
怖さは消えていない。
身体もまだ震えている。
それでも。
リナは、その場から逃げなかった。
「グルル……」
魔物が唸る。
鍛冶屋は金槌を構えた。
「……来い」
声を絞り出す。
だが。
もう腕に力が残っていない。
魔物が一歩近づく。
鍛冶屋は必死に立ち上がろうとする。
「くっ……」
膝に力が入らない。
魔物が低く身を沈める。
「……まずい……!」
鍛冶屋は金槌を持ち上げようとした。
だが。
腕が動かない。
魔物が牙を剥く。
次の瞬間――。
鍛冶屋へ向かって、一気に飛びかかった。
「……!」
避けられない。
受けることもできない。
鍛冶屋の目の前に、魔物の牙が迫る。
「しまっ――」
その瞬間。
「――パァン!」
乾いた音が響いた。
「……え?」
鍛冶屋には、何が起きたのか分からなかった。
ただ。
目の前まで迫っていた魔物が――。
突然、横へ吹き飛んだ。
ドンッ!
「グアッ!」
魔物は地面を転がった。
何度も転がり、ようやく止まる。
鍛冶屋は呆然とした。
「……何が……?」
何が起きた。
なぜ、あの魔物が突然吹き飛んだ。
鍛冶屋には何も分からない。
魔物はふらつきながら立ち上がる。
そして鍛冶屋を睨む。
「グルル……」
だが、すぐに後ろへ下がった。
その様子を見ていた他の魔物たちも警戒する。
そして――。
一斉に森の方へ逃げていった。
「……」
静かになった。
鍛冶屋は、その場に座り込んだまま動けなかった。
何が起きたのか。
何故、突然魔物が吹き飛んだのか。
分からない。
ただ。
自分は助かった。
それだけは分かった。
「……助かった……?」
「鍛冶屋さん!」
声がした。
鍛冶屋が顔を上げる。
リナが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
鍛冶屋は身体を起こす。
そして――。
ふと、リナの左手に目が止まった。
「……?」
左手から、血が流れている。
「嬢ちゃん」
「はい?」
「その手……」
リナも自分の左手を見る。
「あ……」
少し困ったように笑った。
「……少し強くしちゃった」
「……」
鍛冶屋は黙った。
何をしたのか。
どうやって魔物を吹き飛ばしたのか。
何も分からない。
ただ。
この少女が――。
自分を助けた。
その事実だけは、はっきりと分かった。
鍛冶屋は、リナを見つめた。
何度も自分の店へ来ていた少女。
何度追い返しても、翌日にはまた来る少女。
その少女が。
今、自分の目の前で――。
自分を助けた。
鍛冶屋は初めて。
リナという少女を、真正面から見た。




