飛ばない水編①
森の中を歩いていた。
木々の間から差し込む日差し。
風に揺れる葉。
鳥の鳴き声。
旅をするには、なかなか気持ちのいい日だった。
「……疲れた」
俺は足を止めた。
「え?」
ユイナが振り返る。
「まだ歩き始めたばっかりじゃん」
「そうだったか?」
「そうだよ」
「じゃあ、気のせいだな」
「何が!?」
俺は近くの木に背を預けた。
「少し休む」
「また?」
「まただ」
ユイナが呆れた顔をする。
その横でアンジェリカが俺を見る。
「……ユイナの兄様は、本当に変わらないな」
「何の話だ?」
「別に」
アンジェリカは小さく笑った。
リナもクスクスと笑っている。
いつもの旅。
いつものやり取り。
――だが。
その時だった。
「……待って」
アンジェリカが足を止めた。
ユイナも気づいた。
「……何かいる」
森の奥から、低い唸り声が聞こえてくる。
俺も立ち上がった。
木々の向こう。
何かが動いた。
そして――
数匹の魔物が姿を現した。
狼に似た姿。
鋭い牙をむき出しにしながら、こちらを睨んでいる。
「結構いるね」
ユイナが拳を握った。
「リナ、後ろに」
「はい!」
アンジェリカが杖を構える。
「ユイナ、右」
「分かった!」
魔物が一斉に走り出した。
「行くよ!」
ユイナが駆ける。
一体目の攻撃をかわし、その懐へ入り込む。
「せいっ!」
拳が魔物の腹へ叩き込まれた。
魔物が吹き飛ぶ。
「次!」
別の魔物がユイナへ飛びかかる。
その瞬間。
「――そこ」
アンジェリカの魔法が魔物の足元を捉えた。
動きが止まる。
「ユイナ!」
「任せて!」
ユイナが一気に距離を詰める。
そして――
ドンッ!
魔物が地面を転がった。
「……やるじゃん、ユイナ」
「私を誰だと思ってるの?」
ユイナが笑う。
その直後、別の魔物が横から襲いかかった。
「ユイナお姉ちゃん!」
リナが叫ぶ。
ユイナが振り向く。
間に合わない。
――と思った瞬間。
「遅い」
アンジェリカの魔法が魔物を吹き飛ばした。
「助かった!」
「気をつけて」
「うん!」
リナは後ろから二人を見ていた。
自分も手を出そうとする。
だが――。
リナの魔法では、水を強く遠くへ飛ばすことはできない。
だから直接攻撃はできない。
「……なら」
リナは魔物が近づいてくる場所に水を生み出した。
足元に水が広がる。
魔物が踏み込んだ。
足が滑る。
「今!」
ユイナが飛び込んだ。
「ありがとう、リナ!」
「はい!」
リナは笑った。
自分にもできることはある。
けれど――。
やっぱり。
もっと、できるようになりたい。
魔物との戦いは、思ったより早く終わった。
最後の一体をユイナが倒す。
森が静かになる。
「終わったね」
ユイナが息を整える。
「うん」
アンジェリカが頷いた。
「今回は、私たちだけで何とかなったな」
俺は少し離れたところに立っていた。
「そうだな」
「お兄ちゃん、見てただけだったね」
「そうだな」
「……何か手伝おうとは思わなかったの?」
「危なくなかったからな」
ユイナが少し考える。
「そっか」
俺は二人を見る。
ユイナ。
アンジェリカ。
二人とも、確実に強くなっている。
だから、俺は必要以上に手を出さない。
戦える力は、自分で身につけた方がいい。
「……」
俺は右膝に手を置いた。
ズキッ。
「……」
少し痛む。
最近、この右膝の調子が悪い。
以前のように無理をして戦うのは難しい。
もし、俺が戦えない時が来たとしても――。
ユイナたちが自分の力で戦えるようにしておきたい。
「……ユイナの兄様」
アンジェリカが俺を見る。
「どうした?」
「膝……痛むのか?」
「まあな」
「……そうか」
それだけ言って、アンジェリカは前を向いた。
だが。
リナは、そんな俺たちのやり取りを黙って見ていた。
俺が戦わなかったこと。
ユイナとアンジェリカが自分たちだけで戦えるようになってきたこと。
そして――
俺の右膝が以前より悪くなっていること。
全部、リナの中に残った。
◇
それからしばらく歩いた。
森を抜けると、遠くに町が見えてきた。
「町だ!」
ユイナが嬉しそうに声を上げる。
近づいてみると、その町はどこか古びていた。
石造りの建物には長い年月を感じさせる傷跡があり、古い木の看板が風に揺れている。
道もところどころ石が欠けていて、決して活気に満ちた町というわけではない。
それでも、人の姿はある。
長い間、ここで人々が暮らしてきた。
そんな雰囲気の町だった。
「……ラグナール」
町の入口にある古びた看板を見て、アンジェリカが呟いた。
「ここがラグナールか」
俺も看板を見る。
「今日はここで休もう」
町の中へ入る。
しばらく歩いていると、道端で町の人が話しているのが聞こえた。
「鍛冶屋?」
ユイナが反応する。
「ああ。町はずれにいる鍛冶屋だよ」
町の人が教えてくれた。
「腕はいいんだがなぁ……」
「何かあるの?」
「とにかく頑固でね。気に入らない客はすぐ追い返す」
「へえ……」
ユイナが俺を見る。
俺も少し考えた。
そして――
「行ってみるか」
「珍しい」
ユイナが目を丸くした。
「お兄ちゃんからそんなこと言うなんて」
「ユイナたちが、もっと楽に戦えるようになるかもしれない」
「……」
「武器でも防具でも、何か作れるかもしれないだろ」
ユイナが嬉しそうに笑った。
「じゃあ行こう!」
「うん」
アンジェリカも頷く。
「行ってみよう」
リナも、
「はい!」
と元気よく返事をした。
◇
町はずれ。
古い家々の間を抜けた先に、一軒の鍛冶場があった。
周囲の建物よりもさらに古く見える。
それでも、そこだけは妙に手入れが行き届いていた。
外からでも金属を叩く音が聞こえてくる。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
「ここか」
俺は扉の前に立った。
コンコン。
返事はない。
もう一度。
コンコン。
「すみません」
ユイナも声をかける。
「鍛冶屋さん、いますか?」
しばらくすると、奥から低い声が返ってきた。
「帰れ」
「……」
俺たちは顔を見合わせた。
「話くらい――」
「帰れ」
同じ言葉。
俺は頷いた。
「分かった」
踵を返す。
「えっ!?」
ユイナが慌てる。
「もう帰るの!?」
「帰れと言われた」
「もうちょっと頑張ろうよ!」
「面倒だ」
「お兄ちゃん……」
ユイナが呆れる。
アンジェリカも鍛冶場を見る。
「……頑固だな」
「そうだな」
俺は歩き出す。
「ユイナの兄様、もう少し話をしてみても――」
「いい」
「……そうか」
アンジェリカは小さく肩をすくめた。
だが。
リナは動かなかった。
「リナ?」
ユイナが呼ぶ。
「……はい」
リナは鍛冶場を見ていた。
扉の向こうから、また音が聞こえる。
カンッ。
カンッ。
カンッ。
リナは自分の手を見る。
今日の戦い。
自分はみんなを助けることができた。
でも――。
自分の水魔法は飛ばせない。
遠くの敵を攻撃することもできない。
ユイナのように前へ出ることも。
アンジェリカのように遠くから魔法を撃つこともできない。
それでも。
もっと役に立ちたい。
みんなを助けられる力が欲しい。
「……」
リナはもう一度、鍛冶場を見る。
古びた建物。
閉ざされた扉。
そして、その向こうから聞こえる金属を叩く音。
カンッ。
カンッ。
カンッ。
「リナ、行くよ」
ユイナの声に、リナは顔を上げた。
「はい!」
リナはユイナの後を追った。
その胸の中には――
いつもより少しだけ強くなった、
「もっと、みんなの役に立ちたい」
という気持ちが残っていた。




