〇豊かな町 7話
翌朝。
俺は、宿の椅子に座っていた。
目の前には朝食。
パン。
卵。
そして――
少しだけ野菜の入ったスープ。
「……」
俺は黙々と食べていた。
「お兄ちゃん」
「何だ?」
「昨日、城を調べるって言ってたよね?」
「言ったな」
「じゃあ、そろそろ行こうよ」
「食べ終わってからな」
「もう食べ終わってるじゃん」
「もう一杯食べる」
「……」
ユイナがため息をつく。
アンジェリカも苦笑した。
「ユイナ、諦めたほうがよい」
「でも……」
「この方は、お腹が空いていると機嫌が悪くなりますから」
「誰のことだ?」
「お兄様です」
「……」
「事実でしょう?」
「まあ……そうだな」
リナが笑った。
「じゃあ、もう一杯食べよう」
「そうしよう」
「リナまで……」
ユイナが困った顔をする。
そんなやり取りをしていると――
宿の主人が近づいてきた。
「……旅の方々」
「ん?」
「昨日の話ですが」
主人は周囲を気にするように辺りを見る。
「城のことを調べるのなら……気をつけてください」
ユイナが姿勢を正した。
「何か知ってるんですか?」
「知っているというほどではありません」
主人は声を落とす。
「ただ……昔は、こんな町ではありませんでした」
「やっぱり」
ユイナが言う。
「王様が変わってからですか?」
主人は頷いた。
「ええ」
「何が変わったんですか?」
主人は少し考えてから答えた。
「最初は、税が増えました」
「……」
「次に、町の決まりが増えました」
「決まり?」
「夜に出歩くな」
「集会をするな」
「王様を批判するな」
「兵士に逆らうな」
「城へ近づくな」
一つ。
また一つ。
主人が指を折っていく。
「そして最後には――」
主人の声が小さくなった。
「誰も王様について話さなくなりました」
「……」
俺はパンをかじりながら聞いていた。
「じゃあ、今の町の人たちは?」
「皆、黙って生きています」
「それで王様は満足なのか?」
主人は苦笑した。
「王様にとっては、そのほうが都合がいいのでしょう」
「……なるほど」
俺は食事を終えた。
「行くか」
ユイナが立ち上がる。
「うん!」
宿を出ると、朝の町はすでに動き始めていた。
農民たちが畑へ向かう。
店が開く。
子供たちが水を運ぶ。
一見すれば、普通の町の朝だ。
だが――
誰も大きな声で話さない。
誰かが兵士を見つけると、自然に道の端へ寄る。
兵士が通り過ぎるまで、目を合わせない。
「……」
ユイナがそれを見ている。
「みんな、本当に怖がってる」
「そうだな」
俺たちは大通りを歩いた。
すると――
昨日の農夫を見つけた。
「こんにちは」
ユイナが声をかける。
農夫は驚いたように振り返った。
「ああ……昨日の」
「昨日のお父さんは?」
「……」
農夫の顔が曇った。
「まだ戻ってきていない」
「……!」
ユイナが息を呑む。
「どこにいるんですか?」
「分からない」
「でも……」
「たぶん、城の近くにある役所だ」
農夫は周囲を見た。
「税が足りなかったから」
「役所に連れていかれたんですか?」
「そうだ」
「……」
ユイナが拳を握る。
「助けに行こう」
「待て」
俺が止める。
「お兄ちゃん?」
「今すぐ行くのはまずい」
「どうして?」
「何も分からないまま突っ込んだら、同じことになる」
ユイナは悔しそうに俯いた。
「……分かった」
農夫が俺たちを見る。
「ありがとう」
「何が?」
「昨日も……今日も」
「別に」
俺は手を振った。
「俺たちが勝手に気になってるだけだ」
そのとき。
農夫が俺の顔を見て、少しだけ笑った。
「……変わった人たちだな」
「よく言われる」
俺は答えた。
農夫が小さく笑った。
それから、畑の方を指差す。
「もし本当にこの町を調べるなら……」
「うん」
「南の畑へ行ってみてくれ」
「南?」
「あそこには、昔から使われている水路がある」
「水路?」
「町の農地へ水を送るためのものだ」
「それが?」
「最近、その水路が妙なんだ」
農夫は声を落とした。
「畑には水が足りない」
「でも?」
「城の近くにある畑だけは、いつも水が豊富なんだ」
「……」
俺は城を見る。
「城の畑?」
「そうだ」
「同じ水路なのに?」
「……そうだ」
農夫は苦笑した。
「不思議だろ?」
「かなりな」
俺たちは南へ向かった。
町を抜けると、広大な畑が広がっている。
遠くまで続く緑。
本来なら、豊かな土地なのだろう。
だが――
ところどころ土が乾いている。
作物が枯れかけている場所もある。
「こっちです」
ユイナが水路を見つけた。
細い水路だった。
水が流れている。
だが、途中で二つに分かれている。
片方は農地へ。
もう片方は――
城の方向へ続いていた。
「……」
アンジェリカがしゃがみ込む。
「これは……」
「どうした?」
「こちらの水路」
彼女は城へ向かう方を指した。
「明らかに流れる量が多いです」
「分かるのか?」
「水の流れを見れば」
アンジェリカは水面を見つめる。
「農地へ向かう水路のほうは、かなり絞られている」
ユイナが眉を寄せる。
「じゃあ……」
「城のほうへ、水を優先的に流しているのでしょう」
「……」
リナが水路を覗き込む。
「お城で、そんなに水を使うの?」
「庭や噴水、浴場などがあるのかもしれません」
アンジェリカが答える。
「ですが、それだけではないでしょうね」
「……」
俺は水路を見た。
確かにおかしい。
畑は町を支えるものだ。
なのに、その畑へ流れる水を減らしてまで城へ送っている。
「王様は、自分のところを優先してるってこと?」
ユイナが言う。
「たぶんな」
俺は水路の分岐点へ近づいた。
その瞬間。
右膝が――
ほんの少し疼いた。
「……」
俺は立ち止まった。
「お兄ちゃん?」
「……この辺」
「何かある?」
「分からない」
俺は水路を見る。
膝の痛みは、城の方向ではない。
水路の分岐点。
俺はしゃがみ込んだ。
土の中に、何かが埋まっている。
「……これか?」
手で土を払う。
小さな金具だった。
水路を固定するためのものらしい。
「ただの金具?」
ユイナが覗き込む。
「たぶんな」
俺は手に取った。
その瞬間――
膝の痛みが少し強くなった。
「……」
俺は金具を見る。
古い。
かなり前から使われているものだ。
だが、その表面には新しい傷がある。
「これ……最近動かされてる」
アンジェリカが驚く。
「分かるのか?」
「傷が新しい」
俺は金具を裏返す。
そこには、簡単な印が刻まれていた。
「水量を変えるための装置かもしれない」
アンジェリカが言った。
「つまり……」
ユイナが続ける。
「誰かが意図的に、農地の水を減らしてる?」
「そういうことだな」
リナが周囲を見る。
「でも、誰が?」
俺は答えなかった。
そのときだった。
「おい!」
遠くから怒鳴り声がした。
俺たちは振り返る。
兵士が二人。
こちらへ歩いてくる。
「そこで何をしている!」
ユイナが立ち上がる。
「水路を見ていただけです」
「勝手に触るな!」
兵士が怒鳴る。
「これは王領の設備だ!」
アンジェリカが冷静に尋ねる。
「農地へ水を送るための設備でしょう?」
「だから何だ!」
「農民たちが困っているようだが」
「王の命令だ」
兵士はそれだけ言った。
「王が決めたことに口を出すな」
「……」
ユイナが言い返そうとする。
だが俺は腕を掴んだ。
「行くぞ」
「でも!」
「今はいい」
俺は金具を元の場所へ戻した。
「証拠がない」
兵士が睨んでくる。
「分かったなら、とっとと帰れ」
俺たちはその場を離れた。
少し歩いてから、ユイナが口を開く。
「お兄ちゃん」
「何だ?」
「やっぱり、この町……」
「ああ」
俺は後ろを振り返る。
遠くに城が見える。
「誰かが意図的に、町を苦しめてる」
アンジェリカが頷く。
「そして、その命令を兵士たちは当然のように受け入れている」
リナが小さく言う。
「王様が全部やってるのかな」
「まだ分からない」
俺は答える。
「でも――」
俺は乾いた畑を見る。
「この町の貧しさは、偶然じゃない」
風が吹いた。
広大な畑が、一斉に揺れる。
豊かな土地。
豊かな城。
そして――
何も持たない人々。
俺は城を見上げた。
「……一度、城の中を見てみたいな」
ユイナが頷く。
「うん」
アンジェリカも静かに答える。
「その必要がありそうだ」
リナは。
「どうやって入る?」
俺は少し考えた。
そして――
「……知らん」
「え?」
「考えるのは腹が減ってからにする」
「逆じゃない!?」
ユイナの声が、広い畑に響いた。
俺は歩きながら、少しだけ笑った。
けれど。
胸の奥では――
この町のどこかに、まだ見えていない何かがある。
そんな気がしていた。




