〇豊かな町編 1話
エルビス村を出て、何日か経った。
俺たち四人は、次の町を目指して街道を歩いていた。
空はよく晴れている。
街道の両側には草原が広がり、遠くには山々が見える。
風が吹くたび、草が静かに揺れていた。
そんな穏やかな旅だったが――
「……腹減った」
俺の腹は、穏やかではなかった。
隣を歩いていたユイナが、呆れたように俺を見る。
「お兄ちゃん、さっき食べたばっかりじゃない」
「さっきはさっきだ」
「そんな理屈ある?」
「ある。今は腹が減ってる」
「もう……」
アンジェリカが小さく笑った。
「ユイナ、諦めたほうがいい。ユイナの兄様は、おそらく一生こういう人」
「アンジェリカまで……」
後ろから歩いていたリナも笑っている。
「兄様、そんなにお腹空くの?」
「育ち盛りなんだよ」
「……今さら?」
「うるさい」
そんなくだらない話をしながら、俺たちは街道を進んでいた。
そのときだった。
「助けて!」
遠くから、子供の叫び声が聞こえた。
ユイナが足を止める。
「……今の、子供の声?」
アンジェリカも耳を澄ます。
「そのようだ」
もう一度、声が聞こえた。
「やめて!」
ユイナがすぐに走り出した。
「お兄ちゃん、行ってくる!」
「おう」
俺はその場から動かなかった。
アンジェリカとリナも、ユイナの後を追っていく。
俺は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
街道脇の林の中。
そこでは、数人の男たちが三人の子供を取り囲んでいた。
「持ってるものを全部出せ!」
「何も持ってないよ!」
「嘘をつくな!」
男の一人が、一番年上らしい少年の腕を乱暴に掴む。
「痛い!」
「その子を離して!」
ユイナが男たちの前に立ちはだかった。
「なんだ、お前は?」
「その子たちを放して!」
「ガキが一人増えたところで――」
男がユイナへ近づこうとした瞬間。
男の足元が白く凍りついた。
「……っ!」
アンジェリカが静かに手をかざしていた。
「それ以上、その子たちに触れるな」
「魔法使い……?」
男たちが後ずさる。
アンジェリカは冷静な表情のまま、続けた。
「今ならまだ、何もなかったことにできる」
その言葉に、男たちは顔を見合わせた。
その隙にリナが子供たちの前へ回り込む。
「大丈夫だよ」
優しく声をかける。
「もう怖くないから」
子供たちは怯えながらも、リナの後ろへ隠れた。
男たちは三人を睨みつける。
だが、自分たちに勝ち目がないことは分かったらしい。
「覚えてろ!」
捨て台詞を残して、男たちは林の奥へ逃げていった。
ユイナが子供たちのところへ駆け寄る。
「大丈夫?」
三人とも震えていた。
だが、大きな怪我はないようだった。
一番年上の少年が、何度も頭を下げる。
「……ありがとう」
「本当にありがとうございました」
「気にしないで」
ユイナが笑う。
「怪我がなくてよかった」
少年はしばらく迷ったあと、口を開いた。
「お礼をしたいです」
「お礼?」
「うん。家に来てください」
「家に?」
「お父さんとお母さんにも、助けてもらったことを話したいです」
ユイナが俺を見る。
「お兄ちゃんも行くよね?」
「飯が出るならな」
「そこなの?」
「重要だろ」
ユイナが呆れた顔をする。
アンジェリカが微笑んだ。
「では、お言葉に甘えさせていただきましょう」
こうして俺たちは、子供たちの家へ向かうことになった。
街道を外れ、しばらく歩く。
そして――
目の前に広がった光景に、俺は足を止めた。
どこまでも続く、広大な農地。
黄金色に実った麦。
青々とした野菜。
遠くには果樹園まで広がっている。
風が吹けば、作物が一斉に揺れる。
その中央には、町を見下ろすようにして巨大な城がそびえ立っていた。
高い城壁。
いくつもの塔。
白く美しい城壁は、遠くからでもその立派さが分かる。
ユイナが目を輝かせた。
「わぁ……すごい」
アンジェリカも城を見上げる。
「これほど広大な農地があるとは……。かなり裕福な町なのでしょうね」
リナも周囲を見回している。
俺も思わず口にした。
「……なんて豊かな町なんだ」
その瞬間だった。
子供たちの表情が変わった。
さっきまで楽しそうに話していた三人が、急に黙り込む。
顔から笑顔が消えていた。
「……」
「……」
「……」
俺は子供たちを見る。
「ん?」
右の眉を少し上げる。
何か変だ。
さっきまであんなに楽しそうだったのに。
俺が言った言葉を聞いた途端、どうして黙った?
だが――
俺は、それ以上何も言わなかった。
そのまま子供たちについて町へ入る。
そこで、また違和感を覚えた。
外から見た印象とは、あまりにも違っていた。
城は立派なのに、町の建物は古く、傷んでいる。
道端には、痩せた老人。
服には何度も継ぎを当てた跡がある子供。
店先に並んでいる商品も少ない。
畑には、あれほどたくさんの作物が実っていた。
なのに――
町の人々からは、豊かさがまったく感じられない。
俺は黙って辺りを見回した。
やがて、子供たちの家に着く。
「ただいま!」
少年が扉を開ける。
「おかえりなさい」
出てきたのは、優しそうな女性だった。
「まあ……どうしたの?」
子供たちが今日の出来事を話す。
「この人たちが助けてくれたんだ!」
母親は驚いたあと、俺たちへ何度も頭を下げた。
「本当にありがとうございます……。この子たちが無事だったのは、皆さんのおかげです」
「気にしないでください」
ユイナが笑う。
「偶然、通りかかっただけですから」
「それでも……何かお礼をさせてください」
母親はそう言うと、台所へ向かった。
しばらくして――
小さなパンが三つと、薄いスープが入った鍋がテーブルに置かれた。
「……これだけですが」
母親が申し訳なさそうに言う。
俺は料理を見る。
そして、家の中を見回した。
「お母さんの分は?」
ユイナが尋ねる。
母親は笑った。
「私は大丈夫です。皆さんに食べていただければ」
「でも……」
「本当に大丈夫ですから」
俺は黙って母親を見る。
その顔は痩せていた。
どう見ても、さっき食べたようには見えない。
三人の子供たちも、食卓の前に座った。
しかし――
目の前のパンとスープを、じっと見つめている。
一番小さな子が、俺の前に置かれたパンをちらりと見る。
そして、すぐに目を逸らした。
だが、また見る。
その目は――
明らかに羨ましそうだった。
俺は、その視線を見ていた。
そして、ようやく気づいた。
こいつら――
ろくに食べてない。
俺は自分の前に置かれたパンを見る。
少し考える。
そして、何でもないような顔で口を開いた。
「俺、さっき食い過ぎたんだよな」
ユイナが俺を見る。
「え?」
「だから、もう腹いっぱいなんだ」
「お兄ちゃん、さっきまであんなにお腹空いたって――」
「うるさい」
俺はユイナの言葉を遮った。
そしてパンを一つ掴む。
「こんなに食えるかよ。ったく……」
悪態をつきながら、そのパンを一番小さな子の前へ置いた。
「ほら。食え」
子供が目を丸くする。
「……いいの?」
「俺はいらない」
「でも……」
「いいから食えって」
子供はパンを見つめた。
それから俺を見る。
「……ありがとう!」
小さな手でパンを掴む。
そして、嬉しそうに食べ始めた。
その顔を見て――
俺は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……」
ユイナが俺を見る。
何も言わない。
アンジェリカも何も言わない。
リナも、ただ静かに俺を見ている。
俺は三人の視線に気づいていたが、気づかないふりをした。
やがて食事が終わった。
母親が食器を片付けながら、ぽつりと口を開いた。
「……実は」
俺たちは顔を上げる。
母親は少し迷ったあと、静かに話し始めた。
「この町では……作った作物のほとんどを、王様へ納めなければならないんです」
ユイナの表情が変わる。
「ほとんど……?」
「はい」
母親は俯いた。
「税が、とても重いんです」
「でも……」
ユイナが窓の外を見る。
「外には、あんなにたくさんの畑があったのに」
「ええ」
母親は苦しそうに笑った。
「だからこそ……です」
俺は黙って聞いていた。
「どれだけ作っても、私たちの手元にはほとんど残りません」
母親は続ける。
「それだけではありません」
「……?」
「せっかく残した作物も……夜になると盗賊が奪っていくんです」
「盗賊?」
ユイナが聞き返す。
母親は小さく頷いた。
「はい。畑で育てた作物を、根こそぎ持っていかれることもあります」
「そんな……」
ユイナが拳を握る。
「じゃあ、みんなはどうやって暮らしてるの?」
母親は答えなかった。
ただ、眠っている子供たちへ視線を向けた。
その表情を見れば、十分だった。
俺は、町へ入る前の光景を思い出す。
広大な農地。
立派な城。
そして――
「なんて豊かな町なんだ」
そう言った瞬間に変わった、子供たちの顔。
俺は窓の外を見る。
立派な城が、遠くに見えていた。
「……」
何かがおかしい。
そう思った瞬間――
右膝が、ほんのわずかに疼いた。
「……」
俺は無意識に膝へ手を置いた。
まだ何なのかは分からない。
ただ――
この町には、何かがある。
そんな気がした。




