31話
翌朝。
俺たちは、エルビス村へ戻ることにした。
目的だった古い砦は調べた。
そこで眠っていた少女――リナも目を覚ました。
ただ。
分かったことは、それだけだった。
リナは自分の名前しか覚えていない。
自分が何者なのか。
なぜ砦で眠っていたのか。
俺たちとどういう関係だったのか。
何も分からない。
それでも――
「……帰るか」
俺が言うと、ユイナが嬉しそうに笑った。
「うん!」
リナも小さく頷く。
「……帰る」
その言葉に、俺は少しだけ違和感を覚えた。
帰る。
まるで――
そこが自分の帰る場所であるかのように。
だが、深く考えても仕方がない。
俺は歩き出した。
「面倒なことが増えたな」
「お兄ちゃん!」
ユイナが頬を膨らませる。
「リナは面倒じゃないよ!」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味?」
「いろいろだ」
「もう……」
ユイナが呆れる。
隣でリナが小さく笑った。
「兄様は……面白いね」
「そうか?」
「うん」
アンジェリカが後ろから口を挟む。
「面白いというより、変なんだよ」
「アンジェリカさんまで……」
「事実だから仕方ない」
「そうか」
俺は右膝をさすった。
「……痛い」
「ほら、まただ」
アンジェリカが呆れた顔をする。
「歩ける?」
「歩ける」
「ならいいけど」
アンジェリカはそれ以上何も言わなかった。
俺たちは、そのまま南へ向かった。
遠くに、見慣れた景色が見えてきた。
エルビス村。
俺たちが暮らしていた、小さな村。
遠くから見ても、以前とは少し違っていた。
壊れていた壁は修復されている。
村の入口には、新しい柵も作られていた。
「村の人たち、頑張ったんだね」
ユイナが嬉しそうに言う。
「そうだな」
俺はそれだけ答えた。
村の入口へ近づく。
すると、見張りをしていた村人が俺たちに気づいた。
「……あれ?」
「戻ってきたぞ!」
「ユイナちゃんだ!」
「アンジェリカもいる!」
声を聞きつけ、次々と村人たちが集まってくる。
「無事だったか!」
「どうだったんだ?」
「砦には何かあったのか?」
ユイナが笑顔で答える。
「うん! いろいろあったよ!」
アンジェリカも簡単に説明する。
「古い砦の地下に、ずっと眠ってた子がいたんだ」
「眠ってた?」
村人たちの視線が、リナへ向く。
知らない少女。
当然、村人たちは困惑した。
「その子……誰だ?」
「見たことないぞ」
「一緒に帰ってきたのか?」
ユイナがリナの手を握る。
「この子はリナ!」
「リナ?」
「うん!」
ユイナは嬉しそうに紹介した。
「砦の地下で眠ってたの」
アンジェリカが続ける。
「本人も、自分のことをほとんど覚えてない」
「ほとんど?」
「名前だけ」
リナが小さく頭を下げる。
「……リナ」
村人たちは顔を見合わせた。
「自分の名前だけは分かるのか」
「それ以外は何も?」
「うん……」
リナは少し不安そうに頷く。
その時――
ユイナがリナの手を握り直した。
「大丈夫だよ」
「……」
「ここなら大丈夫」
リナがユイナを見る。
「……うん」
俺は、その様子を黙って見ていた。
すると――
「お兄ちゃん」
ユイナが振り返る。
「リナも家に連れて帰っていいよね?」
「……」
俺はリナを見る。
少女は少し不安そうに俺を見ていた。
「……いいだろ」
「やった!」
ユイナが笑う。
リナも少しだけ笑った。
「……ありがとう、兄様」
「別に」
その時。
「ちょっと待て」
村長の声がした。
人混みの奥から、村長が歩いてくる。
「話は聞いた」
村長はリナを見る。
「その子も、この村で暮らすのか?」
「そのつもりだ」
俺が答える。
「……そうか」
村長はしばらくリナを見つめた。
そして――
「ならば、村の者たちにも事情を説明しておこう」
「必要か?」
「突然、知らぬ子が住むとなれば、不安に思う者もおる」
「……そうか」
村長は村人たちへ向き直る。
「この子は、先日の砦で見つかった」
「危険はないのか?」
一人の村人が尋ねる。
アンジェリカが答えた。
「今のところはないよ」
「魔物じゃないのか?」
「人間だ」
「……」
村人たちは、まだ少し警戒している。
するとユイナが前へ出た。
「リナは大丈夫!」
はっきりと言う。
「私が一緒にいたから分かるよ」
「ユイナちゃんが言うなら……」
「まあ、あの子が嘘をつくとも思えん」
少しずつ、空気が和らいでいく。
村長も頷いた。
「では――」
リナを見る。
「今日から、この村で暮らせばよい」
「……いいの?」
リナが驚いた顔をする。
「うむ」
「……ありがとう」
小さな声。
村長が笑う。
「困った時は、皆で助け合うものじゃ」
リナはその言葉を聞いて、少しだけ安心したようだった。
その日の夕方。
俺たちは家へ戻った。
ユイナが扉を開ける。
「ただいまー!」
俺は何も言わず、その後ろから入る。
リナも続いて入ってきた。
「……ここが、兄様たちの家?」
「ああ」
俺は短く答えた。
リナは部屋の中を見回す。
テーブル。
椅子。
キッチン。
何の変哲もない、小さな家。
それなのに――
「……落ち着く」
「本当?」
ユイナが嬉しそうにする。
「じゃあ、ここがリナの家でもあるね!」
「……私の?」
「うん!」
リナは少し戸惑った。
「いいのかな……」
「いいだろ」
俺は椅子に座った。
「行く場所がないんだろ?」
「……うん」
「なら、ここにいればいい」
「……兄様」
リナは俺を見る。
「ありがとう」
「別に」
俺は右膝をさする。
「ただ、静かにしてくれ」
「え?」
「俺は寝たい」
「もう!」
ユイナが笑う。
「お兄ちゃんは、すぐ寝るんだから!」
リナも――
「ふふっ」
小さく笑った。
その笑い声を聞いて、俺は少しだけ目を細めた。
夜。
ユイナとリナは、同じ部屋で話をしていた。
俺は隣の部屋で横になっている。
壁越しに二人の声が聞こえてくる。
「リナは、好きな食べ物ある?」
「……分からない」
「じゃあ、明日いろいろ食べてみようよ」
「うん」
「好きな場所とかは?」
「それも……分からない」
「じゃあ、それもこれから探そう!」
「……ユイナ」
「ん?」
「ありがとう」
「え?」
「私、何も覚えてないから……」
少し間があった。
「でも、ユイナがいると安心する」
「私も!」
ユイナの明るい声。
「これからいっぱい思い出を作ろうね!」
「……うん」
俺は目を閉じた。
右膝が少し痛む。
ズキッ。
「……」
だが、今日はいつもより気にならなかった。
隣の部屋から、二人の笑い声が聞こえる。
俺はそのまま目を閉じた。
――明日から。
また、少し騒がしくなりそうだ。
そんなことを考えながら。
俺は静かに眠りについた。




