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兄様は膝が痛い痛いと言いながら意外と私のストーカーでした。  作者: ぱんだでぴょん


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30話

古い砦を出た。


 外へ出ると、朝の光が差し込んでいた。


 長い間、地下にいたせいだろうか。


 少女は眩しそうに目を細めた。


「……外」


 小さく呟く。


 青い空。


 白い雲。


 風に揺れる木々。


 何もかもが初めて見るもののようだった。


「綺麗……」


 少女が空を見上げる。


 ユイナが隣に並んだ。


「うん。綺麗だよね」


「……」


 少女はしばらく空を眺めていた。


 やがて――


 ユイナが少女の手を握る。


「これから、もっといろんなところを見に行こう」


「……いいの?」


「もちろん!」


 少女は自分の手を見る。


 温かい。


 誰かと手を繋ぐ。


 それが――


 なぜか懐かしかった。


「……ユイナ」


「はい?」


「あなたは……私を知ってるの?」


「ううん」


 ユイナは首を横に振った。


「でも、これから知っていけばいいんじゃないかな」


「……これから」


「うん」


 少女は少しだけ笑った。


「……そう」


 その様子を見ながら、アンジェリカが歩いてくる。


「二人とも、先に行かないでよ」


「あ、アンジェリカさん」


「砦の中はもう大丈夫みたいだけど、まだ何があるか分からないからね」


 アンジェリカは少女を見る。


「それに――」


 少し考えてから尋ねた。


「君のこと、まだ何も分かってないんだ?」


「……うん」


「名前も?」


 少女は黙った。


 しばらく目を閉じる。


 何かを思い出そうとしている。


「……」


 だが――


「……分からない」


「そっか」


 アンジェリカが小さく息を吐く。


「まあ、無理に思い出す必要はない」


 その時。


「……名前」


 少女が呟いた。


「ん?」


「何か……聞こえた」


 少女は胸に手を当てる。


「私の名前……」


 目を閉じる。


 頭の奥に、何かが浮かぶ。


 けれど――


 それ以外は何も見えない。


 ただ一つ。


 言葉だけが残った。


「……リナ」


「え?」


 ユイナが聞き返す。


「リナ……」


 少女はもう一度呟いた。


「私の名前……リナ」


「思い出したの!?」


「うん……たぶん」


 少女は自分の胸に手を当てる。


「でも……それだけ」


「他のことは?」


 アンジェリカが尋ねる。


 少女は首を横に振った。


「何も思い出せない」


「そっか」


 ユイナが嬉しそうに笑った。


「じゃあ、リナだね!」


「……リナ」


「うん!」


 ユイナが少女の手を握る。


「よろしくね、リナ!」


「……よろしく」


 少女――リナは、小さく笑った。


 俺は少し離れたところから、その様子を見ていた。


「……リナか」


 その名前を口にした瞬間。


 右膝が――


 ズキッ。


「……っ」


 痛んだ。


 リナが俺を見る。


「兄様?」


「なんでもない」


 俺は膝をさする。


「ただ……その名前を聞いたら、少し痛くなった」


「……私の名前で?」


「分からない」


 リナは不思議そうに俺を見る。


「……兄様」


「ん?」


「私、本当に……あなたのことを知ってるのかな」


「たぶんな」


「どうして?」


「分からない」


「……」


「でも、俺も君を見ると何か思い出しそうになる」


 リナは少しだけ嬉しそうに笑った。


「……そっか」


 俺たちは砦から離れ、森の中を歩いていた。


 しばらくすると、小さな泉が見えてきた。


「休憩しようか」


 アンジェリカが言う。


「賛成!」


 ユイナが泉へ駆け寄る。


 リナも、その後ろをついていく。


 そして――


「……?」


 泉の前で、リナが立ち止まった。


「どうした?」


「分からない」


 リナは水面を見る。


「でも……何か、気になる」


 リナがそっと手を伸ばす。


 水面に――


 小さな波紋が広がった。


 風は吹いていない。


 それなのに。


 泉の水が、ほんの少しだけ浮かび上がった。


「……!」


 ユイナが目を輝かせる。


「リナの魔法?」


「たぶん……」


 水がリナの手のひらへ集まる。


 小さな水の玉。


 直径は、せいぜい数センチ。


「できた!」


 ユイナが嬉しそうに声を上げる。


「すごいよ!」


 だが――


 リナは水の玉をじっと見つめていた。


「……もっと」


「もっと?」


「少しだけ……強くできる気がする」


 リナが両手を近づける。


 水の玉が、ゆっくりと震え始める。


「……」


 ぎゅっ。


 水の玉が、ほんの少し小さくなった。


「……!」


 アンジェリカが目を見開く。


「今……圧縮した?」


「圧縮……?」


「水を押し縮めたんだよ」


 リナは自分の手を見る。


「……できた」


「もう一回やってみて」


「うん」


 リナが集中する。


 水の玉が、また少しだけ小さくなる。


 だが――


「……っ」


 リナの顔が苦しそうになる。


「無理しないで!」


 ユイナが心配そうに声をかける。


「大丈夫……」


 リナは力を抜いた。


 水が普通の水へ戻り、手のひらから落ちる。


「……これしかできない」


 リナは俯いた。


「こんな小さな水じゃ……何もできないよね」


 アンジェリカがしゃがみ、リナと目線を合わせる。


「そんなことない」


「……」


「今、普通の水を圧縮しただろ?」


「うん……」


「それは簡単なことじゃない」


 アンジェリカは水面を見る。


「量は少なくても、使い方次第では変わるかもしれない」


「使い方……」


「そう」


 アンジェリカは笑った。


「魔法は、強さだけじゃないからね」


 リナは自分の手を見る。


「……私にも、できることがある?」


「あるよ」


 ユイナが即答した。


「私も一緒に練習する!」


「……ユイナ」


「私だって、最初から光の盾ができたわけじゃないもん」


 ユイナが拳を握る。


「一緒に強くなろう!」


「……うん」


 リナは笑った。


「一緒に……」


 その日の夕方。


 俺たちは森を抜けた先の休憩所で休んでいた。


 焚き火を囲む。


 ユイナはリナの隣に座り、今日覚えたばかりの水の圧縮について話している。


「もっと小さくできるかな?」


「分からない」


「じゃあ、明日やってみよう!」


「うん」


 楽しそうな二人。


 アンジェリカは少し離れたところで杖の手入れをしていた。


 俺は木にもたれている。


「……」


 妙なものだ。


 昨日まで、俺たちは三人だった。


 それが――


 今日は四人いる。


「お兄ちゃん」


「ん?」


「リナ、ここにいてもいいよね?」


「……」


 俺はリナを見る。


 少女は少し不安そうな顔をしていた。


「……いいだろ」


「本当?」


「ああ」


「やった!」


 ユイナが笑う。


 リナも少しだけ笑った。


「……ありがとう、兄様」


「礼を言うほどのことじゃない」


「でも……」


 リナは胸元に手を当てる。


「なんだか、ここにいると安心する」


「そうか」


 俺はそれ以上、何も言わなかった。


 ただ――


 不思議と、その言葉は嫌じゃなかった。


 夜。


 ユイナとリナは眠っている。


 アンジェリカは焚き火を見つめていた。


「……ユイナの兄様」


「ん?」


「あの子、名前だけ思い出したな」


「そうだな」


「リナ……か」


 アンジェリカが小さく呟く。


「それ以外は、本当に何も?」


「ああ」


「じゃあ、これから少しずつ思い出していくのかな」


「分からない」


 俺は夜空を見る。


「無理に思い出させる必要もないだろ」


「……そうだな」


 アンジェリカはリナを見る。


「でも――」


「何だ?」


「あの子、水の力を持ってる」


「ああ」


「それも、少しだけ圧縮できる」


「そうだな」


「まだ弱いけど……」


 アンジェリカは少し笑う。


「もしかしたら、面白い魔法使いになるかもしれない」


「本人次第だろ」


「……相変わらず冷たいな」


「そうか?」


「そうだ」


 アンジェリカが苦笑する。


 そして――


 俺は目を閉じた。


 その瞬間。


 右膝が――


 ズキッ。


「……っ」


 俺は膝をさする。


 頭の中に、一瞬だけ映像が浮かんだ。


 水。


 五人の子供。


 その中の一人。


 小さな少女。


 そして――


『兄様』


 声が聞こえた。


 俺は目を開ける。


「……」


 リナは眠っている。


 だが、その胸元で――


 小さな水の光が、淡く輝いていた。


 俺はその光を見つめる。


「……やっぱり、何かあるな」


 答えはまだ分からない。


 けれど――


 焦る必要はない。


 いつか、リナ自身が思い出すだろう。


 俺はそう思いながら、再び目を閉じた。


 そして――


 少しだけ、眠った。

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