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兄様は膝が痛い痛いと言いながら意外と私のストーカーでした。  作者: ぱんだでぴょん


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30/83

29話

古い砦の中を、俺たちは進んでいた。


 外から見た以上に広い。


 長い廊下。


 崩れかけた壁。


 使われなくなった部屋。


 どこを見ても、長い年月が過ぎていることが分かる。


「……本当に誰もいないね」


 ユイナが辺りを見回す。


「ああ」


 俺も周囲を見る。


 気配がない。


 魔物の気配も。


 人の気配も。


 ただ――


 右膝が痛い。


「……」


 ズキン。


 俺は膝をさする。


「また?」


 アンジェリカが俺を見る。


「ああ」


「この砦に入ってから、ずっと痛そうだけど」


「知ってる場所なのかもしれない」


「記憶に関係してる?」


「たぶんな」


 俺は前を見る。


 昨日、見つけた古い記録。


 王家の子供たち。


 五つの印。


 そして――


 俺を知っている、あの少女。


 顔ははっきりしない。


 姿も、そこに存在しているのかさえ曖昧だった。


 なのに。


 声だけは覚えている。


 ――兄様。


「……」


 俺は足を止めた。


「どうしたの?」


 ユイナが振り返る。


「いや」


 前方を見る。


 廊下の先に――


 一人の少女が立っていた。


「……!」


 ユイナが息を呑む。


 昨日、小屋で見た少女。


 それは、砦の最上階にいた少女。


 同じ姿だった。


「また……」


 アンジェリカが杖を構える。


「誰?」


 少女は答えない。


 ただ、俺を見ている。


「……兄様」


「お前……」


 俺は一歩近づいた。


 少女は少しだけ笑った。


「来てくれたんだね」


「お前が呼んだのか?」


「……うん」


「何者なんだ?」


 少女は答えなかった。


 アンジェリカが問いかける。


「あなた、ユイナの兄様のことを知ってるんだよね?」


 少女がアンジェリカを見る。


「……知ってる」


「昔から?」


「うん」


「どこで会ったの?」


「……ずっと昔」


 それだけだった。


 アンジェリカは眉をひそめる。


「それじゃ、分からない」


 少女は少し困ったように笑った。


「ごめんなさい」


「いや……」


 アンジェリカは杖を下ろす。


「まあ、いいけど」


 ユイナが少女へ近づく。


「ねえ」


「……?」


「私たちを、ここへ呼んだ理由は?」


 少女はユイナを見る。


 そして――


 砦の奥を指差した。


「眠っている子がいる」


「眠っている子?」


「うん」


「誰?」


 少女は答えなかった。


 代わりに、俺を見る。


「兄様なら、分かるよ」


「……俺が?」


「きっと」


 少女の姿が少し薄くなる。


「待て」


 俺が手を伸ばす。


 だが――


 少女の身体は、霧のように揺らいだ。


「この先へ行って」


「おい」


「その子を……」


 少女の声が遠ざかる。


「連れて行ってあげて」


「どこへ?」


 少女は微笑んだ。


「外へ」


 そして――


 消えた。


「……」


 静かになった廊下。


 ユイナが呟く。


「消えちゃった……」


「何だったんだろう」


 アンジェリカも不思議そうな顔をしている。


「分からない」


「ユイナの兄様は知ってるのか?」


「俺も分からない」


 ただ。


 あの少女が嘘をついているとは思えなかった。


「行こう」


「うん」


 俺たちは、砦の奥へ進んだ。


 しばらく歩く。


 階段を下りる。


 さらに地下へ。


 空気が冷たくなっていく。


「……」


 そして――


 一番奥に、大きな扉があった。


 扉には、水のような紋章が刻まれている。


「これ……」


 アンジェリカが目を細める。


「五つ目の印?」


「じゃあ、ここに……」


 ユイナが扉へ手を伸ばす。


 すると。


 ギィィィ……。


 誰も触れていないのに、扉がゆっくり開いた。


「……」


 その先には――


 巨大な部屋があった。


 中央に、大きな水晶のような装置。


 その中に――


 一人の少女が眠っていた。


「……!」


 ユイナが息を呑む。


「女の子……」


 小さな身体。


 長い髪。


 目を閉じたまま、静かに眠っている。


 まるで、時間そのものが止まっているようだった。


「生きてる?」


 アンジェリカが近づく。


 杖の先から小さな魔力を飛ばす。


「……」


 しばらくして。


「生きてる」


「本当に?」


「うん」


 アンジェリカが驚いたように少女を見る。


「でも……普通じゃない」


「何が?」


「魔力の流れがほとんど止まってる」


「……」


 俺は少女を見る。


 その顔を見た瞬間。


 右膝が――


 ズキン。


「……っ」


 また痛んだ。


 そして。


 一瞬だけ、記憶が浮かぶ。


 幼い少女。


 笑っている。


 小さな手。


 誰かを追いかけている。


『兄様!』


「……」


 俺は目を閉じた。


 記憶が消える。


「お兄ちゃん?」


「大丈夫だ」


 ユイナが心配そうに俺を見る。


「この子……」


 俺は少女を見る。


「俺は、この子を知ってる」


「やっぱり?」


「ああ」


 だが。


 名前が出てこない。


 何度考えても――


 思い出せない。


 アンジェリカが水晶へ手を伸ばす。


「この装置、かなり古いね」


「壊せる?」


「壊すだけならできるけど」


「なら――」


「待って」


 アンジェリカが止めた。


「中の子に影響があるかもしれない」


「……そうか」


 俺は少し考える。


「じゃあ、どうする?」


「魔力を流してみる」


 アンジェリカが杖を構える。


「ユイナ、少し手伝って」


「はい!」


 ユイナも手を水晶へ向ける。


 淡い光が集まる。


「いくよ」


「はい!」


 アンジェリカの魔力とユイナの光が、水晶へ流れ込む。


 すると――


 パキッ。


 水晶に、小さな亀裂が入った。


「……!」


 さらに。


 パキ。


 パキパキッ。


 亀裂が広がる。


 そして――


 パァン!


 水晶が砕けた。


「きゃっ!」


 ユイナが目を閉じる。


 だが、破片は床へ落ちることなく――


 淡い光へ変わった。


 その中心に、少女が立っている。


「……」


 少女の瞳が、ゆっくりと開く。


「……ここは?」


 小さな声。


 俺は少女を見る。


 胸の奥が、妙にざわついた。


 少女は俺を見る。


 そして――


「……あなたは?」


「……」


 俺は答えられなかった。


 少女は首を傾げる。


「どこかで……」


 その瞬間。


 右膝が強く痛んだ。


「……っ!」


 頭の中に、また記憶が流れ込んでくる。


 幼い少女。


 俺。


 そして――


 水。


 笑い声。


 誰かが言う。


『この子を、いつか外へ』


 そこで記憶が途切れた。


「……」


 少女が俺を見る。


「もしかして……」


 少女は小さく呟いた。


「兄様?」


「……!」


 ユイナが驚く。


「兄様って呼んだ?」


「……」


 俺は少女を見る。


 その呼び方。


 なぜか――


 懐かしい。


「……そう呼ばれてた気がする」


 少女が少し笑う。


「じゃあ……やっぱり」


 アンジェリカが二人を見る。


「ユイナの兄様、この子と知り合いなの?」


「分からない」


 少女は少し困った顔をした。


「私も……分からない」


「記憶がないの?」


「うん」


 少女は自分の手を見る。


「私、ずっと眠っていたから……」


 アンジェリカが驚く。


「ずっとって、どれくらい?」


「分からない」


「名前は?」


「……」


 少女は少し考えた。


「……思い出せない」


 俺は少女を見る。


 その時だった。


 ゴゴゴゴゴゴ……。


「……!」


 地下室が揺れた。


 床に刻まれた紋様が、一斉に光り始める。


「何?」


 ユイナが周囲を見る。


 アンジェリカが杖を構えた。


「まずい」


「何が?」


「この部屋そのものが、何かを守るために作られてる」


 ゴゴン。


 大きな音が響く。


 壁が動いた。


 床が割れる。


 そして――


 地下から巨大な腕が現れた。


「……!」


 岩石でできた腕。


 続いて、巨大な身体。


 古い鎧をまとったような姿。


「守護者……」


 アンジェリカが呟く。


 巨大な存在が立ち上がる。


 ズシン。


 ズシン。


 少女の前へ移動する。


「この子を守るためのもの?」


「たぶん」


 アンジェリカが頷く。


 守護者の目が赤く光った。


 そして――


「……侵入者ヲ排除スル」


 低い声が響く。


「やっぱり敵だね」


 ユイナが拳を握る。


「お兄ちゃん!」


「分かってる」


 俺も拳を握った。


 だが。


 守護者は俺たちではなく――


 少女へ近づこうとした。


「……?」


 少女が一歩下がる。


 守護者が腕を伸ばす。


「眠りヲ継続スル」


「……!」


 アンジェリカが叫ぶ。


「この子を、また眠らせるつもりだ!」


「そんなのダメ!」


 ユイナが飛び出した。


「光の盾!」


 巨大な光の盾が現れる。


 守護者の腕が盾へ叩きつけられた。


 ――ドォン!


「きゃっ!」


 ユイナが押し返される。


「ユイナ!」


「大丈夫!」


 ユイナが踏ん張る。


「この子を守る!」


「なら、私も!」


 アンジェリカが杖を振る。


「アイス・バインド!」


 床が凍りつく。


 守護者の足が止まった。


「今!」


「はい!」


 ユイナが走る。


 拳に光を集める。


「えいっ!」


 ――ドンッ!


 拳が守護者の脚へ入る。


 だが――


 ビクともしない。


「……硬い!」


 守護者が腕を振る。


「ユイナ!」


 アンジェリカが杖を振る。


「アイスシールド!」


 氷の壁がユイナを守る。


 ――ドォン!


 壁が大きく揺れる。


「くっ……!」


 アンジェリカが歯を食いしばる。


「ユイナ!」


「はい!」


 二人が同時に動く。


 アンジェリカが氷で足を止める。


 ユイナが光を拳にまとい戦う。


 だが――


 守護者は倒れない。


「……強いな」


 俺は呟いた。


 その時。


「……私も」


 後ろから声がした。


 振り返る。


 少女が両手を前へ出している。


「私も……何かできるかも」


「危ないから下がってろ」


「でも……」


 少女の手に――


 小さな水の球が浮かんだ。


 ぽちゃん。


 小さな水滴。


「……これだけ?」


 少女自身も驚いている。


「力が……弱い」


 アンジェリカが叫ぶ。


「無理しなくていい!」


「でも……」


 少女は守護者を見る。


 そして――


「この人たちを、傷つけないで」


 水の球が小さくはじけた。


 ぴちゃっ。


 守護者の身体に当たる。


「……」


 何も起きない。


「……」


 少女が俯く。


「やっぱり……これじゃ……」


 だが。


 水が守護者の目の部分へ流れ込んだ。


「……!」


 守護者の視界が一瞬だけ塞がる。


 動きが止まった。


「今だ!」


 アンジェリカが叫ぶ。


「ユイナ!」


「はい!」


 ユイナが走る。


 光を拳へ集める。


「――光の拳!」


 ――ドゴォン!


 守護者の胸へ直撃する。


 大きな亀裂。


 だが、まだ倒れない。


「まだ!」


 アンジェリカが杖を掲げる。


「ファイヤーシェル!」


 炎が飛ぶ。


 守護者の身体を包む。


 その直後。


「アイス・バインド!」


 炎で熱せられた部分が、一気に凍りつく。


 バキバキッ!


 守護者の身体に亀裂が広がった。


「今!」


 ユイナが拳を握る。


 再び光を集める。


「せーのっ!」


 ――ドゴォォン!


 守護者が大きく後退する。


 だが――


 まだ立っている。


「……」


 俺は右膝をさする。


 ズキン。


「やれやれ」


 どうやら――


 俺の出番らしい。


 俺は一歩前へ出た。


「お兄ちゃん?」


「二人は下がってていい」


 アンジェリカが俺を見る。


「ユイナの兄様……」


「こいつは、俺がやる」


 守護者が俺へ向き直る。


「排除対象ヲ変更」


 巨大な拳が振り上げられた。


 そして――


 振り下ろされる。


 ドォォン!


 俺は拳を避ける。


 地面が大きく陥没する。


「……」


 右膝が熱い。


 赤い光が――


 少しだけ漏れた。


 俺は拳を握る。


「悪いけど」


 一歩。


「この子は――」


 さらに一歩。


「連れていく」


 俺は守護者の懐へ入った。


「どけ」


 拳を振り抜く。


 ――ドンッ!


 守護者の胸に亀裂が走った。


「……!」


 だが、完全には壊れない。


 守護者が腕を振る。


 俺は腕で受ける。


 ズンッ!


 身体が少しだけ後ろへ押される。


「……結構重いな」


 俺はもう一度拳を握る。


 右膝の赤い光が強くなる。


「でも――」


 足を踏み込む。


 大地がひび割れる。


「俺は、こういうのが一番面倒なんだ」


 拳を叩き込む。


 ――ドゴォォォン!!


 守護者の胸が砕けた。


 全身に亀裂が走る。


 そして――


 巨大な身体が崩れ落ちた。


 ズズズズ……。


 静かになった。


「……終わった?」


 ユイナが近づく。


「ああ」


 俺は右膝をさする。


「痛いな」


「お兄ちゃん、大丈夫?」


「いつものことだ」


 アンジェリカも守護者を確認する。


「完全に止まってる」


「よかった……」


 少女が胸を撫で下ろす。


 そして――


 俺たちを見る。


「ありがとう」


 小さく頭を下げた。


 ユイナが笑う。


「ううん」


 そして少女の手を取る。


「一緒に行こう」


「……私が?」


「うん!」


 少女は戸惑ったように俺を見る。


「……いいの?」


 俺は少し考える。


「この砦に残る理由もないだろ」


「……」


「外を見てみればいい」


 少女は少しだけ笑った。


「……うん」


 その時だった。


 砦の奥から――


 ゴーン……。


 低い鐘の音が響いた。


 俺たちは振り返る。


 だが。


 そこには、誰もいない。


 ただ――


 遠くの廊下に、一瞬だけ少女の姿が見えた。


 長い髪。


 胸元の小さな飾り。


「……!」


 俺は目を凝らす。


 少女は俺を見る。


 そして――


 小さく笑った。


 その口が動く。


「兄様……」


 次の瞬間。


 姿が消えた。


「……」


 アンジェリカが不思議そうに俺を見る。


「今、誰かいた?」


「……いや」


 俺は首を横に振った。


「気のせいだ」


 アンジェリカは首を傾げる。


「そう?」


「ああ」


 ユイナは、新しく目覚めた少女の手を握っている。


「大丈夫?」


「うん」


「じゃあ、帰ろう」


「……うん」


 少女は、まだ不安そうだった。


 だが。


 その手は、ユイナの手を離さなかった。


 俺たちは、砦の出口へ向かって歩き始める。


 北の古い砦。


 そこで眠っていた少女。


 そして――


 俺を知る、もう一人の少女。


 まだ、何も分からない。


 少女の名前も。


 過去も。


 あの少女の正体も。


 ただ一つ。


 俺は――


 この少女を、このまま置いていく気にはなれなかった。


 右膝をさする。


「……やれやれ」


 また、面倒なことになった。


 けれど。


 なぜか――


 嫌ではなかった。

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