28話
翌朝。
俺たちは、町を出る準備をしていた。
「忘れ物ない?」
ユイナが荷物を確認している。
「大丈夫」
俺は答えた。
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんって……」
ユイナが呆れた顔をする。
「お兄ちゃん、昨日もそれ言ってたよ」
「昨日は忘れ物がなかった」
「じゃあ今日も大丈夫だね」
「そういうことだ」
「どういうことなの……」
アンジェリカが苦笑する。
俺は右膝をさする。
今朝は――
まだ痛くない。
それだけで、少し安心する。
「それじゃあ、行こう」
ユイナが玄関を開ける。
朝の冷たい空気が流れ込んできた。
俺たちは町の外へ出た。
目指すのは――
北。
古い王家の砦。
昨日、古い記録の中で見つけた場所だ。
第二王女に関する最後の記録。
そして――
俺の失われた記憶。
何かが、そこに繋がっている気がしていた。
町を出てしばらく歩く。
道は、最初こそ整っていた。
だが。
少しずつ、人の気配が減っていく。
家もない。
店もない。
畑もない。
ただ、北へ続く道だけが伸びている。
「……静かですね」
ユイナが周囲を見渡す。
「そうだね」
アンジェリカも頷いた。
「この先は、昔から人が少ないみたい」
「砦があるのに?」
「昔は人がいたんだろうね」
アンジェリカが地図を見る。
「でも王家がなくなってからは、使われなくなったらしい」
「……」
俺は前を見る。
遠くに山が見える。
その向こう。
そこに砦がある。
「まだ遠いな」
「お兄ちゃん、もう疲れたの?」
「少し」
「まだ歩き始めてそんなに経ってないよ?」
「だから少しだ」
「もう……」
ユイナが笑う。
「じゃあ、休む?」
「そうしたい」
「早すぎないか?」
アンジェリカが呆れる。
「ユイナの兄様って、体力がないのか?」
「ある」
「じゃあ歩いて」
「面倒だな……」
「はいはい」
アンジェリカが先へ進む。
「置いていくよ」
「待って」
俺も歩き出した。
しばらくして。
三人の前に、分かれ道が現れた。
「……どっち?」
ユイナが立ち止まる。
アンジェリカが地図を広げる。
「北へ行くなら右」
右側の道を見る。
草が伸びている。
ほとんど使われていないようだった。
「左は?」
「昔の街道」
「でも?」
「途中で崩れてる」
「じゃあ右だな」
俺は右へ進もうとする。
その時。
「……待って」
アンジェリカが足を止めた。
「どうした?」
アンジェリカは地面を見る。
「足跡」
「足跡?」
ユイナも覗き込む。
草の間。
土の上。
確かに何かの足跡が残っている。
「人間……かな?」
ユイナが首を傾げる。
「たぶん」
アンジェリカがしゃがみ込む。
「でも変だ」
「何が?」
「この道、ほとんど使われてないはずなんだよね」
「……」
俺も足跡を見る。
大きくはない。
普通の人間の足跡だ。
だが――
「新しいな」
俺が言った。
「分かるのか?」
「なんとなく」
アンジェリカが俺を見る。
「ユイナの兄様、こういうの分かるんだ?」
「昔は分かったのかもしれない」
「……」
アンジェリカの表情が少し変わった。
「また、記憶?」
「たぶん」
俺は足跡を見る。
すると――
右膝が。
ズキン。
「……っ」
「お兄ちゃん!」
「大丈夫だ」
膝をさする。
足跡の先。
そこに、小さな赤い布切れが落ちていた。
「……これ」
ユイナが拾い上げる。
「誰かの服かな?」
アンジェリカが受け取る。
布を確認する。
「普通の布じゃない」
「何か分かる?」
「王家で使われていた染料に似てる」
「……王家?」
俺は布を見る。
その瞬間――
視界が揺れた。
「……!」
赤い空。
燃えている建物。
誰かが走っている。
小さな手。
その手が、俺の服を掴んでいる。
『兄様……!』
「……っ!」
俺は目を閉じた。
次の瞬間。
景色が消える。
「お兄ちゃん!」
ユイナの声。
目を開ける。
いつもの道だった。
「大丈夫?」
「ああ」
「顔、怖かったよ」
「……少し思い出しただけだ」
ユイナが俺の手を握る。
「無理しないでね」
「分かってる」
アンジェリカは赤い布を見つめていた。
「この布……」
「何かある?」
「うん」
アンジェリカが布を裏返す。
そこに、小さな刺繍があった。
「……王家の紋章」
ユイナが息を呑む。
「じゃあ、これを落とした人は……」
「王家と関係がある可能性が高い」
俺は足跡の先を見る。
「追うか?」
アンジェリカが頷く。
「当然でしょ」
「面倒だな」
「何言ってるの」
ユイナが笑う。
「せっかく手掛かりが見つかったんだから」
「……そうだな」
三人は足跡を追った。
道を外れ。
森の中へ入る。
足跡は、意外なほどはっきり残っていた。
「ここを通ったのは、一人かな」
アンジェリカが言う。
「たぶん」
「それにしては、足跡が軽い」
「軽い?」
「体重が軽いんだと思う」
ユイナが周囲を見る。
「子供……?」
「可能性はある」
「……」
俺は黙った。
胸の奥に、妙な感覚が広がっていた。
何かを知っている。
何かを思い出しそうだ。
でも――
手が届かない。
やがて。
森の奥に、小さな小屋が見えてきた。
「……あれ?」
ユイナが指差す。
古びた小屋。
扉は開いている。
「誰かいるかな?」
アンジェリカが杖を構える。
「気をつけて」
三人で近づく。
中を覗く。
「……誰もいない」
机。
椅子。
古い暖炉。
そして――
机の上に、一枚の紙が置かれていた。
「何か書いてある」
アンジェリカが手に取る。
古い文字だった。
「……読める?」
「少しだけ」
アンジェリカが目を細める。
「『北の砦へ向かう』」
「……!」
ユイナが声を上げる。
「誰かが、砦へ?」
「そうみたい」
紙の下には、もう一つ何かがあった。
古い小さな装飾品。
金属製の――
胸飾りだった。
俺は、それを見た瞬間。
「……!」
右膝に激痛が走った。
「ぐっ……!」
赤い光が、膝から漏れる。
「お兄ちゃん!」
「ユイナの兄様!」
俺は机に手をつく。
頭の中に、また景色が浮かぶ。
幼い俺。
その隣に――
一人の少女。
顔は見えない。
少女は胸元に、同じ装飾品をつけている。
『兄様』
少女が笑う。
『これ、覚えていてね』
俺が答える。
『分かった』
少女は胸飾りに触れる。
『もし私がいなくなっても――』
「……!」
そこで、記憶が途切れた。
俺は息を吐く。
「……今のは」
アンジェリカが俺を見る。
「何を見たの?」
「……分からない」
俺は胸飾りを見つめる。
「でも、この飾りを知ってる」
ユイナが静かに尋ねる。
「第二王女……?」
「……たぶん」
その時だった。
小屋の外から――
ガサッ。
「……!」
三人が振り返る。
誰かいる。
俺は立ち上がる。
だが――
森の中を走っていく小さな影が見えた。
「待って!」
ユイナが追おうとする。
「ユイナ、待って」
アンジェリカが止める。
「罠かもしれない」
「でも……!」
「分かってる」
アンジェリカは森を見る。
「追うなら、三人一緒」
「……はい」
俺は小さな影が消えた方向を見る。
なぜか――
追いかける気になれなかった。
右膝が、まだ熱い。
「……あの子は」
俺は呟く。
「俺を知っている」
「どうして?」
ユイナが尋ねる。
「分からない」
俺は首を横に振る。
「ただ、そんな気がする」
アンジェリカが静かに言った。
「なら、砦へ行こう」
「ああ」
「そこに、その子のことも何か残ってるかもしれない」
俺は頷いた。
小屋を出る。
再び北へ向かう。
森を抜けると――
遠くの山の上に、巨大な建物が見えた。
古びた城壁。
崩れた塔。
そして――
その中心に立つ、黒い砦。
「……あれが」
ユイナが呟く。
「王家の古い砦……」
俺は砦を見る。
胸の奥がざわつく。
右膝も――
ズキン。
「……痛いな」
だが、俺は歩みを止めなかった。
北へ。
あの砦へ。
失われた記憶へ。
そして――
あの少女へ。
俺たちは歩き続けた。
その頃。
誰もいないはずの古い砦。
最上階。
崩れかけた窓の前に――
一人の少女が立っていた。
長い髪。
小さな身体。
そして――
胸元には。
俺たちが小屋で見つけたものと、同じ形の装飾品。
「……兄様」
少女は、静かに呟いた。
「もうすぐ……会えるね」
その姿は――
風が吹いた瞬間。
霧のように薄れていった。
そして。
誰もいなくなった砦には――
ただ、冷たい風だけが吹いていた。




