24話
翌朝。
俺は村長の家にいた。
机の上には、昨日見つかった古い金属板が置かれている。
王家の紋章。
その下に刻まれた、五つの印。
そして――。
何もなかったはずの場所に浮かび上がった、六つ目の紋章。
「……やっぱり変だな」
俺は金属板を眺める。
「何が?」
ユイナが横から覗き込んでくる。
「昨日は何もなかった場所に、六つ目が出てきた」
「お兄ちゃんの膝が光ったから?」
「たぶんな」
俺は右膝をさする。
今はそれほど痛くない。
昨日ほどではない。
「アンジェリカ、この五つの印、何か分かるか?」
「少しなら」
アンジェリカは杖を片手に持ちながら、金属板を覗き込んだ。
「第一の印――剣」
「剣?」
俺は黙ってその印を見る。
なぜか、妙に引っかかった。
「第二の印は……光」
ユイナが自分を指差す。
「光って、私だったりして?」
「そうかもしれない」
アンジェリカがユイナを見る。
ユイナの手のひらに、淡い光が浮かんだ。
「やっぱり、そうかもな?」
「……そうだな」
俺も頷いた。
第二の印。
光。
「第三の印は?」
俺が尋ねる。
アンジェリカが印を指でなぞる。
「知」
「知?」
「知識や判断に関係する印みたい」
村長が頷いた。
「古い記録では、そう伝えられている」
「第四は?」
アンジェリカの指が、四番目の印で止まる。
「……これは少し変だ」
「何が?」
「普通の属性を表す印じゃないみたい」
アンジェリカはじっと紋章を見る。
「古い記録では、記憶とか境界とか……そういう意味で使われていた可能性がある」
「記憶……」
俺の右膝がズキッと痛んだ。
「……っ」
「お兄ちゃん!」
ユイナが俺の腕を掴む。
「大丈夫だ」
俺は膝を押さえる。
頭の中に、また光景が浮かんだ。
子供。
少年が一人。
少女が三人。
その中に――。
一人の少女がいた。
顔は見えない。
でも、その声だけは分かる。
『兄様……』
胸の奥が締めつけられる。
大切な誰か。
守らなければならなかった誰か。
なのに。
思い出せない。
「……」
「お兄ちゃん?」
「何でもない」
俺は目を開けた。
アンジェリカが、じっと俺を見ている。
「無理に思い出そうとしなくていい」
「……ああ」
俺は金属板に視線を戻した。
第四の印。
記憶。
境界。
「第五は?」
ユイナが尋ねる。
アンジェリカが最後の印を見る。
「……これは」
そこだけ、深く削られていた。
「分からない?」
「ああ。紋章そのものが壊されてる」
「誰かが消したのか?」
「その可能性は高い」
ユイナが呟く。
「どんな印だったのかな?」
俺は削られた場所を見る。
今は何も分からない。
「……五つの印」
俺は呟いた。
第一。
第二。
第三。
第四。
第五。
俺は、昨日浮かび上がった六つ目の紋章を見る。
「これは?」
村長の表情が変わった。
「それは……五つの印とは別だ」
「別?」
「ああ」
村長は古い記録を一枚取り出した。
「昔から、王家にはこんな言い伝えが残っている」
紙には、かすれた文字が書かれていた。
『五つの印を守りしもの』
その下は破れている。
「それだけか?」
「残っているのは、それだけだ」
「五つを守るもの……」
俺は六つ目の紋章を見る。
王族ではない。
五人の誰かでもない。
それなのに、五つの印と一緒に存在している。
「……妙だな」
俺は金属板を見つめた。
* * *
「もう一つ、気になるものがある」
村長が古い地図を広げた。
エルビス村の北。
そこに一本の古い街道が描かれている。
「昔は、この道が王都へ続いていた」
「王都……」
その言葉を聞いた瞬間、右膝がまた痛んだ。
俺は顔をしかめる。
「ユイナの兄様?」
アンジェリカがこちらを見る。
「大丈夫だ」
「……そう」
アンジェリカは、それ以上聞かなかった。
地図には、街道の途中に小さな印があった。
「これは?」
「昔の砦だ」
「砦?」
「王家が使っていたものらしい」
俺は地図を見る。
王家。
五つの印。
六つ目の紋章。
そして、俺の失われた記憶。
全部が繋がっている。
そんな気がしてならない。
「……行くか」
「え?」
ユイナが顔を上げる。
「まずはこの街道沿いの町へ行く」
「旅?」
「まだ旅とは決めてない」
「でも行くんでしょ?」
「まあな」
ユイナが嬉しそうに笑う。
「じゃあ私も!」
「最初から付いてくる気だっただろ」
「もちろん!」
「やれやれ」
アンジェリカも地図を見ながら言った。
「私も行く」
「いいのか?」
「ユイナを一人で行かせるわけにはいかないでしょう」
「……そうだな」
俺は頷いた。
* * *
村の外れ。
俺たちは街道へ向かって歩いていた。
村を出る。
それだけなのに、少し不思議な気分だった。
これまで俺は、エルビス村から離れたことがない。
それなのに今は、北へ向かおうとしている。
紋章のこと。
自分の過去。
失った記憶。
何も分からないまま。
すると――。
森の中から、ガサッと音がした。
ユイナが立ち止まる。
「何かいる」
アンジェリカも杖を構えた。
「魔物ね」
俺は街道脇の大きな岩を見つけた。
ちょうどいい。
「じゃあ、頼んだ」
「え?」
ユイナが振り返る。
「俺はここで休んでる」
「お兄ちゃん!?」
「面倒だから」
「まだ何も起きてないよ!」
「起きたら起こしてくれ」
「そういう問題じゃない!」
俺は岩に背を預けた。
「二人で何とかなるだろ」
アンジェリカが呆れた顔をする。
「ユイナ」
「何?」
「この人、本気で寝る気だ」
「お兄ちゃんだから……」
「納得しない!」
俺は目を閉じた。
「……おやすみ」
「こんな状況で寝られるの!?」
ユイナの声が遠ざかる。
その直後。
森から魔物が飛び出してきた。
「来た!」
ユイナが光の盾を展開する。
巨大な狼型の魔物が突進してくる。
――ドンッ!
光の盾が魔物の突進を受け止めた。
「アンジェリカ!」
「任せて!」
アンジェリカが杖を振る。
「――炎弾!」
炎の魔法が魔物へ飛んでいく。
魔物が横へ飛び退く。
「速い!」
「なら、私が止める!」
ユイナが地面を蹴る。
拳に光が集まる。
「はあっ!」
拳が魔物の身体に叩き込まれる。
魔物が吹き飛ぶ。
「ユイナ、右!」
「分かってる!」
魔物が方向を変え、ユイナへ襲いかかる。
光の盾。
拳。
アンジェリカの魔法。
二人の連携で、魔物は徐々に追い詰められていく。
だが――。
魔物が突然、黒い霧を吐き出した。
「っ!」
「これは……!」
アンジェリカが後ろへ下がる。
「ユイナ、気をつけて!」
「うん!」
黒い霧の中から、魔物が飛び出した。
ユイナが盾を構える。
だが。
魔物の爪が盾を弾き飛ばした。
「きゃっ!」
「ユイナ!」
アンジェリカが杖を振る。
「アイスウォール!」
氷の壁が二人の間に現れる。
しかし。
魔物の爪が壁を削っていく。
「まずいわね……」
アンジェリカが歯を食いしばる。
「この魔物、さっきより強くなってる」
「アンジェリカさん!」
「まだ大丈夫!」
ユイナが立ち上がる。
「私がやる!」
二人が同時に魔物を見る。
だが。
魔物の身体から、さらに黒い霧が噴き出した。
「……これは二人だけじゃ厳しいかも」
アンジェリカが呟く。
「お兄ちゃん!」
ユイナが叫ぶ。
「……」
俺は岩にもたれたまま寝ていた。
「お兄ちゃん!」
「……ん?」
目を開ける。
「もう終わったか?」
「終わってない!」
「そうか」
俺は立ち上がった。
「面倒だな」
「だから最初から起きててよ!」
「二人で勝てそうだったから」
「勝てそうじゃないよ!」
アンジェリカもため息をつく。
「ユイナの兄様……」
「ん?」
「どうしてこんな状況で寝られる?」
「眠かったから」
「……」
アンジェリカはしばらく黙った。
「呆れるわ」
「よく言われる」
「褒めてないから」
魔物が再び突進してくる。
俺は一歩前に出た。
「下がってろ」
拳を握る。
そして――。
一発。
魔物の巨体が森の奥まで吹き飛んだ。
木々を何本もなぎ倒し、地面を転がる。
静かになった。
「……終わった?」
ユイナが聞く。
「ああ」
俺は欠伸をした。
「じゃあ、もう寝ていいか?」
「駄目!」
ユイナとアンジェリカの声が重なった。
「……なんでだ?」
「なんでじゃない!」
ユイナが頬を膨らませる。
アンジェリカも呆れた顔をしていた。
「本当に、とんでもない人だ」
「そうか?」
「そうよ」
俺は肩をすくめた。
「二人で対応できるなら、俺が出る必要ないだろ」
「それはそうだけど……」
ユイナが困った顔をする。
「だったら最初からそう言ってよ」
「今言った」
「遅いよ!」
アンジェリカは小さく笑った。
「でも……」
「ん?」
「ユイナと私だけでどうにもならないときは、ちゃんと出てきてくれるのね」
「そりゃな」
俺は当然のように答えた。
「面倒だが」
「……そう」
アンジェリカは一瞬だけ俺を見た。
それから、ほんの少しだけ口元を緩める。
「それなら、まあいいわ」
「何が?」
「別に」
* * *
街道を歩きながら。
ユイナが俺の隣に並んだ。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「次に魔物が出ても寝るの?」
「二人で勝てそうならな」
「……」
ユイナはアンジェリカを見る。
アンジェリカもユイナを見る。
「……呆れる」
二人の声が重なった。
「お前ら、仲良くなったな」
「誰のせいだと思ってるの?」
俺は答えなかった。
ただ、少しだけ笑った。
俺たちはエルビス村を離れた。
目的地は、王都ではない。
まずは小さな町。
そこで情報を集める。
俺の失われた記憶。
五人の子供。
五つの印。
そして――。
六つ目の紋章。
まだ何も分からない。
だが。
少しずつ、何かが動き始めている。
そんな気がしていた。




